北野進の活動日記

志賀原発の廃炉に向けた取り組みや珠洲の情報、ときにはうちの庭の様子も紹介。

志賀町街頭宣伝・ビラまき・署名行動

2011-11-12 | 志賀原発
 午前10時から志賀町内で志賀原発の再稼動阻止と「さようなら原発1000万人署名」への協力を訴える街宣行動。

 弁士は柚木光石川県平和運動センター代表や午後から羽咋市内で講演を予定する福島県の石丸小四郎さん、盛本芳久県議、山根靖則県議、堂下健一志賀町議、清水文雄内灘町議、そして私も加わった。

 志賀町では、集会やデモ行進はいままで何回となく行なってるが、思い起こすと街頭での演説は初めてかも。
 車から手を振ってくれる人も入ば、ビラの受け取って頑張って!という声もかけられる。当然ながら3.11以降大きく雰囲気は変わったという。

 合わせて町内を1軒ずつビラを配布しながらの署名行動も展開され、こちらには平和運動センター加盟労組や市民グループ、さらには富山県からも含め約80人が参加した。

 署名行動にまわったグループの感想は様々。
 地区によっては全然署名に協力してもらえなかったり、ビラの受け取り自体拒否された家もあるという。隣近所の視線が気になるようだ。息子が北陸電力に勤めている。どうしたものかという相談もあったという。

 もちろんこうした人ばかりではない。
 3.11以前は考えられないことだが、次々と署名してもらった地区もある。じっくりビラを読んで、よしわかったと署名してくれる人もいたり、ご主人が帰ってきたらよく相談するという奥さんもいたそうだ。
 
 志賀原発の情報が北陸電力と役場からしか入ってこない中、近所の視線を気にしながらもいろんな話を聞きたい、相談したいという雰囲気もあったという。
 反対派の集会には行きにくい、だけど福島の状況を見ても電力や行政の話だけ聞いて、それを信じろといわれても無理というのが率直な思いだろう。

 志賀原発の再稼動の判断は志賀町の皆さんにだけ押し付けるべきではないが、志賀町の中から不安の声がしがらみを越えて出てくることも大切。
 
 今後の運動につならる街宣・署名行動であった。

 午後からは福島原発から10キロ圏、富岡町に住み長く反対運動に取り組んできた石丸小四郎さんの講演が羽咋市内にあり、参加する。

 石丸さんは震災後秋田県の親戚宅に避難。現在はいわき市内に住むが8ヶ月で5箇所目の避難場所だという。自宅に帰れる見込みはない。さすがに疲れたの言葉が漏れる

 しかし、長年東電と対峙してきたからこそ言える東電の安全軽視、情報隠蔽の体質を批判する舌鋒は鋭い。

 いまだに15万人もの人たちが避難しているにも関わらず「放射能でなくなった人は一人もいない」と東電は開き直っているそうだが、双葉病院から避難した患者の42人が亡くなり、老人ホームなどの施設入所の老人77人(前年の3倍)が亡くなっているとのこと。そして自殺者も農業者を中心に増えている事実を東電はどのように受け止めているのだろうか。おそらく無視し続けることだろう。
 
 仮設住宅に駆けつける救急車は増え、避難所での葬儀も行なわれている。
 震災前日、父親を亡くした友人は、棺おけに入った父を放置して逃げるわけにはいかないと、遺体を棺おけから出し、毛布でくるんで車に乗せて一緒に避難。避難先で荼毘にふしたと言う。

 家畜の多くは餓死し、一時帰宅で小屋を覗くと友喰いをした様子さえあったという。

 その一方で東電社員の家族は真っ先に100キロメートル以上離れた新潟県に避難していたそうだ。
 これまでも、原発事故のとき、行政からの情報を信じるより、電力社員の家族が逃げれば重大事故だから逃げろと言われてきたが、まさにその通りだった。

 双葉群6町2村の住民で近隣の仮設住宅に入居しているのは高齢者ばかり。若者は全国に散らばり、当然のこと、新たな生活を模索している。
 原発現地の自治体は消滅の運命にあるという。

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