カラスの繁殖期に入ったのか? やたらと飛び回って煩いんだが,そーか、急がしサウにしているのは巣作りか?
良いなぁ~・・・春は良いなぁ~・・・励めよ,若者よ!!!
励む,か? 励まなくなったなぁ~・・・目的が無いんだもの。
人生の総てに,もう何の目的も無いんだもの。。。励みどころが無い!
より良い明日のために励む? 無いんだよなぁ~目指すものが。
より良い環境を求めて励む? ドーでも良いんだよなぁ~衣食住総て。
徹底的にドーでも良いと言うか,ナンでも有りと言うか,許容も否定も無い。
こう言った感覚に気が付いたのはつい最近なんだけれども,突然そうなったものでは無く,少しずつ変化して来たんでしょうなぁ~・・・そう,たぶん,無職になったあの日から。
この世に一つだけ残っている約束事と言えば,身内の後始末くらいで,自分の母親と,女房の父親と,そして,これは後先の事は不明なんだけれども,女房の事も考えてはいる。
前向きな事ではないよね・・・これをやったからって人生のプラスとか,明日が開けるナンテ事も無いのは明白。
と,言うよりも,明日に対して期待していない身なのだから現状維持が出来ていれば最上な訳で,放っておいても「老い」による生命力の後退は如何ともし難い訳で、それに伴って生活の質も当然後退するのは明らか・・・と,なれば,向上なんてのは望む方が間違いだと思うので,望むのは,今日と同じ暮らしが明日もあれば至極,と。
まっ、いろんな人が居るんで千差万別,老いてなお向上を目指す人はナンボでも居ると言うか,そっちの人の方が多いのかも知れない。
自分は,勉強的な事はあまり真剣にやって来ていないんで,どっちかと言うと未だ向上の余地はあるかも知れないと思う。
特に語学は好きと言うか,覚えると世界が広がって楽しいのでもっと知りたいと思う。
しかし,身体能力の伴う事はもう終わったと確信している。
いや,スキーの上達を狙ってスキースクールに通っているので矛盾した話しなのだが,それとても、目標はとても低くて,程々格好良く,楽しく滑れれば良いと言う程度だ。
今からまたランニングをしてみた所で30代の記録に戻れるはずも無いし,水泳だって然り,山だって,年々辛くなる一方で,今までのスタイルを続ければいつかは行き詰まるな・・・山で行き詰まると言うのは人様に多大な迷惑をかけるか,死ぬか,なので自重しなくちゃな,と思うし。
金を稼ぐ事にも全く興味が無くなったし。
喰って行ければ良いや・・・と、言いつつ,喰えなくなった時の事が微かに脳裏を掠めても,その先の事を考えるだけの気力は無くて,まぁ、その時は仕方が無いな,と思ってしまう。
人生に欲も無ければ見栄も無い・・・それはそうだ、だって、終わったんだもの。
社会で競争して来たのは,自分も含めた家族のより良い明日のために,だったのだけれど、もう家族は解散したと言うか,残っているのは,役目を終えた人ばかりで,これから輝く人では無い。
一番大きかったのは「子供の将来」だったのだな。
それが片付いた・・・未だ分からないと女房は言うが,それは俺たちの仕事じゃないと思うし,そんな、30過ぎた大人を子供として扱うなんてのは現実的に無理なんだから。
たとえ困った人生に陥ったとしても,それは人間として生きる能力が低かったんだから仕方が無い・・・親としての責任期間は終了した。
昨年,在宅看護で婆様を看取った分けたけれども,私ら夫婦にはそれを引き受けてくれる子供は居ない。
最後の始末は自分らのどちらかがしなくては成ら無いのだが,残念な事に,どちらか一方はどうしても子供の手を煩わせなくてはならない。
この事は,先の事に何も不安を抱かないと言っている自分の唯一の「思う処」だ。
子供なんだからあてにして良いじゃないか,と言うのが思えない。
女房と二人で0から始まって,ナンとかカントか幾多の紆余曲折をそれと感じず,能天気に乗り越えて来て,二人の間にあるのは「それでも生きて来た」と言う自負だ。
まあ,影で年寄りが助けてくれたのは知っていても知らん振りして「自力」だったと思い込んでいる節は否めないが。
余談。
30代の頃,二人の趣味がランニングだった。
自分はそこからトライアスロンに行くのだが,女房は泳げないのでついて来られなかった。
しかし,密かにスイミングスクールで水泳を習い,とうとうトライアスロンに乗り込んで来た。
この頃から,やる気になれば大概の事は何とかなる,言うのが夫婦の間の暗黙の了解になったのかも知れない。
生涯現役,と声高に言う人も少なく無い。
そんな人の生き方は,私とは違うなと言うだけで,興味も無いかわりに否定もしない。
だって,俺には無関係だもの・・・どっちが良いと言う話しじゃ無いだろう,と思う。
しかし,58歳で仕事を辞めて趣味に勤しんでますと言うと,大概の人は随分早いんじゃないの?と言い,次に,年金未だだし,どうやって喰って行くの? と,来て,もっと突っ込む人は,相当貯め込んだんだね、などと言う話しになる。
そして,自営業であったと言うと,だったら辞めなくて良いんじゃないの?と、大半の人が言う。
ここで,銭金じゃ無いんだよなぁ~・・・欲しいのは何も考えない気楽な生き方と,残り少ない時間を銭金の事で煩わされたく無いんです,と説明しても殆ど理解は得られない。
そうかぁ~・・・皆して働く事が好きなんだな,俺が異端なのだなとつくづく思う。
ここまで思い付きを支離滅裂に書いてみて,一つ勘違いしていた事に気が付いた。
それは、欲はあると言う事だ。
大きな欲があって,自分は時間が惜しいのだ、と言う事に気が付いた。
それは,何かをしたくて時間が足りないとか,残り少ない人生の時間を有意義になどの前向きな事ではなく,自分の時間を人様に煩わされたく無い,と言う強い欲求があるのだと分かった。
普通に人と付き合いをしていて煩わしいと思う事はほとんど無いのだが,金銭が絡んだ,要するに仕事と言う付き合いが煩わしいのだな,と思う。
余談。
世の中には向上心の塊みたいな人が沢山居て,喰って行くのには十分な収入を得られるのに,更に上を目指す。
経営者の大半は,より大きな会社に,と、日々精進努力する訳だけれども,自分にはそれが起らない。
駆けずり回って資金を集め,逆さに振っても鼻血も出ない程に詰まった資金繰りで事業を始め,幾許かの利益がでるようになり,やがて,そこそこの決算書を出せるようになった。
すると不思議なもので,リース会社に頭を下げても通らなかった話しが,向うから,ドーですかと来るようになった。
国金も然りで,前と同じ担保なのに借りられる枠は数倍になったりする。
銀行に行くと,更なる事業の拡大にと,融資を勧められ,お茶まで出るようになる。
世の中って,持ってる奴しか相手にされないんだな,としみじみ思うとともに,持たなくなったら冷たいんだろうなと言うのを感じた。
こんな小さな規模でこんなに儲かるんなら,大きくしたらどんだけ儲かるのか?と考えるのは道理だと思うのだが,自分は少しだけ会計を学んでいたために会社が大きくなった時の出納の妙を知っていた,と、言うか感じられたと言う事か?
大きくなった分の経費は固定だが、売り上げの補償は何処にも無い。
まして,人を使った時の負担は,金銭よりも精神的に重いと言うのは,勤め人の時に経営者を見て感じた事だった。
ただでさえ人間関係に過敏な俺がそんな事に絶えられるはずが無いじゃないか、と、規模の拡大などつゆとも思わなかった。
まあ,事業の拡大はしなかったが,転進はした訳で,それが足を引っ張って儲けたはずの銭は南の海に散ったのだが。
この辺は馬鹿なんだか度胸が良いのか,自分でも良く分からないんだが,やりたいとなったら止まらない訳で,破産したって構わない覚悟で突っ込む。
国内での事業展開には慎重過ぎる程なんだが,フィリピンで垂れ流した銭には全く無頓着と言うか・・・まっ、夢買ったんだから,と、能天気です。
でも,フィリピンで行き詰まった理由も,突き詰めれば人間関係な訳で,私には人を使って仕事をする能力が皆無な訳です。
58歳でリタイアしたと言うと,まだまだの歳で,と言われるんだが,それは違うんだよ・・・もう、やりたい事もやるべき事も無いんだよ・・・一生懸命やっているように見える様々な事も,実はドーでも良い事なんだよ。
58歳まで,全力で生きて来て,もう、走りたく無いんですよ、と。
ドーですか・・・ダラダラと思い出し風に並べましたが,最後まで読んだ貴方様は忍耐強いと思います。
人の生き方に良いも悪いも無いし,成功も失敗も無いし,人生色々・・・これですよ,とどの詰まりは。
良いなぁ~・・・春は良いなぁ~・・・励めよ,若者よ!!!
励む,か? 励まなくなったなぁ~・・・目的が無いんだもの。
人生の総てに,もう何の目的も無いんだもの。。。励みどころが無い!
より良い明日のために励む? 無いんだよなぁ~目指すものが。
より良い環境を求めて励む? ドーでも良いんだよなぁ~衣食住総て。
徹底的にドーでも良いと言うか,ナンでも有りと言うか,許容も否定も無い。
こう言った感覚に気が付いたのはつい最近なんだけれども,突然そうなったものでは無く,少しずつ変化して来たんでしょうなぁ~・・・そう,たぶん,無職になったあの日から。
この世に一つだけ残っている約束事と言えば,身内の後始末くらいで,自分の母親と,女房の父親と,そして,これは後先の事は不明なんだけれども,女房の事も考えてはいる。
前向きな事ではないよね・・・これをやったからって人生のプラスとか,明日が開けるナンテ事も無いのは明白。
と,言うよりも,明日に対して期待していない身なのだから現状維持が出来ていれば最上な訳で,放っておいても「老い」による生命力の後退は如何ともし難い訳で、それに伴って生活の質も当然後退するのは明らか・・・と,なれば,向上なんてのは望む方が間違いだと思うので,望むのは,今日と同じ暮らしが明日もあれば至極,と。
まっ、いろんな人が居るんで千差万別,老いてなお向上を目指す人はナンボでも居ると言うか,そっちの人の方が多いのかも知れない。
自分は,勉強的な事はあまり真剣にやって来ていないんで,どっちかと言うと未だ向上の余地はあるかも知れないと思う。
特に語学は好きと言うか,覚えると世界が広がって楽しいのでもっと知りたいと思う。
しかし,身体能力の伴う事はもう終わったと確信している。
いや,スキーの上達を狙ってスキースクールに通っているので矛盾した話しなのだが,それとても、目標はとても低くて,程々格好良く,楽しく滑れれば良いと言う程度だ。
今からまたランニングをしてみた所で30代の記録に戻れるはずも無いし,水泳だって然り,山だって,年々辛くなる一方で,今までのスタイルを続ければいつかは行き詰まるな・・・山で行き詰まると言うのは人様に多大な迷惑をかけるか,死ぬか,なので自重しなくちゃな,と思うし。
金を稼ぐ事にも全く興味が無くなったし。
喰って行ければ良いや・・・と、言いつつ,喰えなくなった時の事が微かに脳裏を掠めても,その先の事を考えるだけの気力は無くて,まぁ、その時は仕方が無いな,と思ってしまう。
人生に欲も無ければ見栄も無い・・・それはそうだ、だって、終わったんだもの。
社会で競争して来たのは,自分も含めた家族のより良い明日のために,だったのだけれど、もう家族は解散したと言うか,残っているのは,役目を終えた人ばかりで,これから輝く人では無い。
一番大きかったのは「子供の将来」だったのだな。
それが片付いた・・・未だ分からないと女房は言うが,それは俺たちの仕事じゃないと思うし,そんな、30過ぎた大人を子供として扱うなんてのは現実的に無理なんだから。
たとえ困った人生に陥ったとしても,それは人間として生きる能力が低かったんだから仕方が無い・・・親としての責任期間は終了した。
昨年,在宅看護で婆様を看取った分けたけれども,私ら夫婦にはそれを引き受けてくれる子供は居ない。
最後の始末は自分らのどちらかがしなくては成ら無いのだが,残念な事に,どちらか一方はどうしても子供の手を煩わせなくてはならない。
この事は,先の事に何も不安を抱かないと言っている自分の唯一の「思う処」だ。
子供なんだからあてにして良いじゃないか,と言うのが思えない。
女房と二人で0から始まって,ナンとかカントか幾多の紆余曲折をそれと感じず,能天気に乗り越えて来て,二人の間にあるのは「それでも生きて来た」と言う自負だ。
まあ,影で年寄りが助けてくれたのは知っていても知らん振りして「自力」だったと思い込んでいる節は否めないが。
余談。
30代の頃,二人の趣味がランニングだった。
自分はそこからトライアスロンに行くのだが,女房は泳げないのでついて来られなかった。
しかし,密かにスイミングスクールで水泳を習い,とうとうトライアスロンに乗り込んで来た。
この頃から,やる気になれば大概の事は何とかなる,言うのが夫婦の間の暗黙の了解になったのかも知れない。
生涯現役,と声高に言う人も少なく無い。
そんな人の生き方は,私とは違うなと言うだけで,興味も無いかわりに否定もしない。
だって,俺には無関係だもの・・・どっちが良いと言う話しじゃ無いだろう,と思う。
しかし,58歳で仕事を辞めて趣味に勤しんでますと言うと,大概の人は随分早いんじゃないの?と言い,次に,年金未だだし,どうやって喰って行くの? と,来て,もっと突っ込む人は,相当貯め込んだんだね、などと言う話しになる。
そして,自営業であったと言うと,だったら辞めなくて良いんじゃないの?と、大半の人が言う。
ここで,銭金じゃ無いんだよなぁ~・・・欲しいのは何も考えない気楽な生き方と,残り少ない時間を銭金の事で煩わされたく無いんです,と説明しても殆ど理解は得られない。
そうかぁ~・・・皆して働く事が好きなんだな,俺が異端なのだなとつくづく思う。
ここまで思い付きを支離滅裂に書いてみて,一つ勘違いしていた事に気が付いた。
それは、欲はあると言う事だ。
大きな欲があって,自分は時間が惜しいのだ、と言う事に気が付いた。
それは,何かをしたくて時間が足りないとか,残り少ない人生の時間を有意義になどの前向きな事ではなく,自分の時間を人様に煩わされたく無い,と言う強い欲求があるのだと分かった。
普通に人と付き合いをしていて煩わしいと思う事はほとんど無いのだが,金銭が絡んだ,要するに仕事と言う付き合いが煩わしいのだな,と思う。
余談。
世の中には向上心の塊みたいな人が沢山居て,喰って行くのには十分な収入を得られるのに,更に上を目指す。
経営者の大半は,より大きな会社に,と、日々精進努力する訳だけれども,自分にはそれが起らない。
駆けずり回って資金を集め,逆さに振っても鼻血も出ない程に詰まった資金繰りで事業を始め,幾許かの利益がでるようになり,やがて,そこそこの決算書を出せるようになった。
すると不思議なもので,リース会社に頭を下げても通らなかった話しが,向うから,ドーですかと来るようになった。
国金も然りで,前と同じ担保なのに借りられる枠は数倍になったりする。
銀行に行くと,更なる事業の拡大にと,融資を勧められ,お茶まで出るようになる。
世の中って,持ってる奴しか相手にされないんだな,としみじみ思うとともに,持たなくなったら冷たいんだろうなと言うのを感じた。
こんな小さな規模でこんなに儲かるんなら,大きくしたらどんだけ儲かるのか?と考えるのは道理だと思うのだが,自分は少しだけ会計を学んでいたために会社が大きくなった時の出納の妙を知っていた,と、言うか感じられたと言う事か?
大きくなった分の経費は固定だが、売り上げの補償は何処にも無い。
まして,人を使った時の負担は,金銭よりも精神的に重いと言うのは,勤め人の時に経営者を見て感じた事だった。
ただでさえ人間関係に過敏な俺がそんな事に絶えられるはずが無いじゃないか、と、規模の拡大などつゆとも思わなかった。
まあ,事業の拡大はしなかったが,転進はした訳で,それが足を引っ張って儲けたはずの銭は南の海に散ったのだが。
この辺は馬鹿なんだか度胸が良いのか,自分でも良く分からないんだが,やりたいとなったら止まらない訳で,破産したって構わない覚悟で突っ込む。
国内での事業展開には慎重過ぎる程なんだが,フィリピンで垂れ流した銭には全く無頓着と言うか・・・まっ、夢買ったんだから,と、能天気です。
でも,フィリピンで行き詰まった理由も,突き詰めれば人間関係な訳で,私には人を使って仕事をする能力が皆無な訳です。
58歳でリタイアしたと言うと,まだまだの歳で,と言われるんだが,それは違うんだよ・・・もう、やりたい事もやるべき事も無いんだよ・・・一生懸命やっているように見える様々な事も,実はドーでも良い事なんだよ。
58歳まで,全力で生きて来て,もう、走りたく無いんですよ、と。
ドーですか・・・ダラダラと思い出し風に並べましたが,最後まで読んだ貴方様は忍耐強いと思います。
人の生き方に良いも悪いも無いし,成功も失敗も無いし,人生色々・・・これですよ,とどの詰まりは。
こういう、ちょっぴり年の離れた方の、
本音の塊のような日記は、
とても面白い、と申しては失礼かもしれないけれど、
そう感じます。
奥様との関係が素敵だな・・・ウン。
下らないのにコメント,アリガトね。
こんな歳でも,生きる事に自信も確信も何も持ててないのですよ。
若さは宝物です・・・ほら,過去は変えられないけど,記憶は変えられるって,誰かが言ってたし。