おっさんの存在が風前の灯なのか? うん、それはそうだろうねぇ~・・・社会的には風前の灯と言うよりも既に消えていますかねぇ~。
まっ、生き物としての、命の火的にはまだ消えないと自分では思っているんで、こっちはまだ揺らいでいると言う程のモノでは無いと・・・分からないけどね・・・消費税だって国民の大半が反対だと思っても上がっちまいそうな雰囲気の世の中ですから。
風吹くと桶屋が儲かる・・・この理屈はご存知ですか? ほほぉ~、知らないですか?
まっ、この先の話しとは無関係なんで説明は省きます。
禅の方に・・・禅は急げ、と言うのは・・・無いか?
いや、禅の方に、「八風」と言うのがある訳です・・・きちんと書くと「八風吹不動」と言うんだそうでありますが・・・字面からすると、何が有っても動じるな、と言う事のように見受けられるんですけれども・・・如何に?
で、ちゃんとしたモノの本に由れば・・・八風吹けども動ぜず、と、読むらしく、八つの風はそれぞれ決まりがあるんだそうであります。
利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽・・・の八つだそうであります。
一つずつ意味があるんですけれども、学者じゃないんで細かい意味はドーでも良いと思うんでアレなんですが・・・纏めて行っちまえば、風とは「風評」と言いますか、噂・・・要するに世間の声とでも申しましょうか・・・実体の無い声に惑わされるなよ、と、言う事だと思う訳であります。
で、こう言う言葉と言うのはアレです・・・ビールと一緒と言ったら語弊が多過ぎでしょうか?
飲んだ時には気分が良いが、醒めれば何事も無くもとに戻る、であります。
仏教的な説教系の本など読んでますと、もう、隅から隅までお説ごもっとも、私が悪うございました・・・その通りです、明日からは心を入れ替えて、と、大体の人は思う訳です。
明日から、と言うのが味噌であります・・・よしっ、この大盛り喰ったらダイエットするわ・・・と、ほとんど同じじゃないかと思うんですけど。
世間にはいろんな風が吹く訳ですが、同じ風向きで風を受けていても、受け手によってその影響はまちまちであります。
例えば為替なんてのは、上がっても下がっても損する人の裏に儲かる人が居る訳で、また逆も真なり、で、儲かる人の裏で損する人が居る訳であります・・・ウーム、喩えがマニアックで意味不明だったか?
いや、「八風吹不動」の意味は大した話しでは無く、動じるな、平常心を保て、と言うだけの事なんですけれども、おっさんは、もうひと捻り加えてみたいと思う訳です。
アレです・・・風向きが悪くて蹴つまずいたとしますと、禅の方では、気にして事態が良くなるのなら別だが、気に病んでも変わらないなら悩むだけ無駄だろうと、教えているんですけれども、おっさんは逆だと思う訳です。
万感の思いを込めて愚痴ったり悔やんだり嘆いたりするべきだと思う訳です。
そして、泣き続けて悔やみ続けて、立ち直るも良し、そのまま風前の灯に晒され、消え行くのも良し、と、思う訳であります。
何故にこんな事を宣うのかと言いますと・・・人は、100人居れば100通りの感受性やら考え方やらがある訳で、耳障りの良い言葉を頭に置いてその通りにして見ようとしても、所詮は出来ないからこんな世の中が出来上がっちまっているんだと思う訳です。
この世の中は、誰かが悪くてこんな社会なんじゃないんです・・・また、安倍総理が素晴らしいから、とか、ジョージワシントンが居たからこんな世の中なんじゃないんです・・・こうにしか成ら無い、成る可くしてなっている社会・・・世界ですか? そう言うもんじゃないかと思う訳です。
だったら・・・まっ、ナニがだったらなのか少しアレですけれども、こうにしか成ら無い世の中であれば、下手に知恵なんか付けて分かった様な顔をして我慢するよりも、泣きたいと思ったら泣いて、怒りたいと思ったら怒って、喰いたいと思ったら喰えば良いと思う訳です。
で、その時に、ホントーは怒りたいんだけれども、損得を考えると怒らない方が良いな、とか、理性と言うヤツが働く人は呑込めば良いと思う訳です。
で、法治国家では、激昂して人に危害など加えれば、社会と言うのが許さずに制裁を受ける事になっている訳ですから、制裁と、自分の憂さ晴らしとを計りに掛けて、勝った方を選んで、気侭に生きるべきなんであります・・・と、思う訳です。
なんと申しましょうか・・・ズーーーット宗教的な色のついた説教本を沢山読んでいると、それを真に受けてそのように生きてしまったら、ナンだかとても抹香臭くて人間味が無いと言いますか、泣いて叫んでぶつかり合って生まれる熱の様なものの無い社会と言いますか、つまらない世の中になるよなぁ~と、思えてならないわけであります。
この世の中は、どうしてもコーしか成らないと言う風が吹いてこー成っていると、思うわけです。
お釈迦様は言いました・・・ただ非難されるだけの人、ただ賞賛されるだけの人は、過去にも、未来にも、また現在にも居ない、と。
と、言う事で、おさんとしては、生きると言う事は、ナンでも有りだと思うわけです。
100人居れば100個の人生・・・そんなに画一的にいくはず無いじゃン、と。
おっさんの言いたい事・・・解りませんか? そうですよね。
まっ、生き物としての、命の火的にはまだ消えないと自分では思っているんで、こっちはまだ揺らいでいると言う程のモノでは無いと・・・分からないけどね・・・消費税だって国民の大半が反対だと思っても上がっちまいそうな雰囲気の世の中ですから。
風吹くと桶屋が儲かる・・・この理屈はご存知ですか? ほほぉ~、知らないですか?
まっ、この先の話しとは無関係なんで説明は省きます。
禅の方に・・・禅は急げ、と言うのは・・・無いか?
いや、禅の方に、「八風」と言うのがある訳です・・・きちんと書くと「八風吹不動」と言うんだそうでありますが・・・字面からすると、何が有っても動じるな、と言う事のように見受けられるんですけれども・・・如何に?
で、ちゃんとしたモノの本に由れば・・・八風吹けども動ぜず、と、読むらしく、八つの風はそれぞれ決まりがあるんだそうであります。
利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽・・・の八つだそうであります。
一つずつ意味があるんですけれども、学者じゃないんで細かい意味はドーでも良いと思うんでアレなんですが・・・纏めて行っちまえば、風とは「風評」と言いますか、噂・・・要するに世間の声とでも申しましょうか・・・実体の無い声に惑わされるなよ、と、言う事だと思う訳であります。
で、こう言う言葉と言うのはアレです・・・ビールと一緒と言ったら語弊が多過ぎでしょうか?
飲んだ時には気分が良いが、醒めれば何事も無くもとに戻る、であります。
仏教的な説教系の本など読んでますと、もう、隅から隅までお説ごもっとも、私が悪うございました・・・その通りです、明日からは心を入れ替えて、と、大体の人は思う訳です。
明日から、と言うのが味噌であります・・・よしっ、この大盛り喰ったらダイエットするわ・・・と、ほとんど同じじゃないかと思うんですけど。
世間にはいろんな風が吹く訳ですが、同じ風向きで風を受けていても、受け手によってその影響はまちまちであります。
例えば為替なんてのは、上がっても下がっても損する人の裏に儲かる人が居る訳で、また逆も真なり、で、儲かる人の裏で損する人が居る訳であります・・・ウーム、喩えがマニアックで意味不明だったか?
いや、「八風吹不動」の意味は大した話しでは無く、動じるな、平常心を保て、と言うだけの事なんですけれども、おっさんは、もうひと捻り加えてみたいと思う訳です。
アレです・・・風向きが悪くて蹴つまずいたとしますと、禅の方では、気にして事態が良くなるのなら別だが、気に病んでも変わらないなら悩むだけ無駄だろうと、教えているんですけれども、おっさんは逆だと思う訳です。
万感の思いを込めて愚痴ったり悔やんだり嘆いたりするべきだと思う訳です。
そして、泣き続けて悔やみ続けて、立ち直るも良し、そのまま風前の灯に晒され、消え行くのも良し、と、思う訳であります。
何故にこんな事を宣うのかと言いますと・・・人は、100人居れば100通りの感受性やら考え方やらがある訳で、耳障りの良い言葉を頭に置いてその通りにして見ようとしても、所詮は出来ないからこんな世の中が出来上がっちまっているんだと思う訳です。
この世の中は、誰かが悪くてこんな社会なんじゃないんです・・・また、安倍総理が素晴らしいから、とか、ジョージワシントンが居たからこんな世の中なんじゃないんです・・・こうにしか成ら無い、成る可くしてなっている社会・・・世界ですか? そう言うもんじゃないかと思う訳です。
だったら・・・まっ、ナニがだったらなのか少しアレですけれども、こうにしか成ら無い世の中であれば、下手に知恵なんか付けて分かった様な顔をして我慢するよりも、泣きたいと思ったら泣いて、怒りたいと思ったら怒って、喰いたいと思ったら喰えば良いと思う訳です。
で、その時に、ホントーは怒りたいんだけれども、損得を考えると怒らない方が良いな、とか、理性と言うヤツが働く人は呑込めば良いと思う訳です。
で、法治国家では、激昂して人に危害など加えれば、社会と言うのが許さずに制裁を受ける事になっている訳ですから、制裁と、自分の憂さ晴らしとを計りに掛けて、勝った方を選んで、気侭に生きるべきなんであります・・・と、思う訳です。
なんと申しましょうか・・・ズーーーット宗教的な色のついた説教本を沢山読んでいると、それを真に受けてそのように生きてしまったら、ナンだかとても抹香臭くて人間味が無いと言いますか、泣いて叫んでぶつかり合って生まれる熱の様なものの無い社会と言いますか、つまらない世の中になるよなぁ~と、思えてならないわけであります。
この世の中は、どうしてもコーしか成らないと言う風が吹いてこー成っていると、思うわけです。
お釈迦様は言いました・・・ただ非難されるだけの人、ただ賞賛されるだけの人は、過去にも、未来にも、また現在にも居ない、と。
と、言う事で、おさんとしては、生きると言う事は、ナンでも有りだと思うわけです。
100人居れば100個の人生・・・そんなに画一的にいくはず無いじゃン、と。
おっさんの言いたい事・・・解りませんか? そうですよね。
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