毎月一度、エホバの証人と言う団体の人が来て小冊子を2冊くれて行くんですけれども、今月は、「目ざめよ!」と「聖書」(マタイによる福音書)と言うのを置いて行きました。
此れ、全世界で無料ですぜぇ~・・・やっぱし、洗脳か啓蒙か解りませんけど、面倒臭い事を吹き込もうと思ったらこのくらいの努力は必要ですね・・・エホバの証人の教義とか、細かい事は知りませんけど、この活動は立派だと思いますね。
翻って、日本のお寺はナンですかぁ~? 賽銭箱はでかいけれども、自分の寺の宗旨とか、有り難い仏様のお言葉の一つでも書いたものをくれる所って、ありますか?
おっさんはこれでもアチコチの寺に行くんですけれども、例えば、禅寺なんかで「勝手に入るな」と言う厳しい寺には出合いましても、茶の一杯も呑んで行きませんか?とか、少し説教でも聞いて行きませんか?と誘われた事は無い訳です。
ましてや、無料の冊子なんて見た事も無いです。
台湾仏教なんかだと日本とは違いますね・・・いろんな本が置いてあります。
寺の檀家と言うのかドーか? まっ、寺の信者と言って良いのかと思う訳ですが、そう言う有志が銭を出し合って、寺の成り立ち・・・開祖が誰で、どんな感じで建立され、どういう経緯をたどって今日に至る、と言う歴史を解説したものや、寺の教義? いや、中国語(台湾語か?)を英語に直した話しで聞いたもんで良く分からないんですけれども、そう言う事は、エホバの証人以上に積極的にやっている。
だからかなぁ~・・・おっさんの店の直ぐ傍にエホバの証人の「王国会館」とか言うのがあるんだけれども、信者は良く集まって勉強会を開いているし、日中も集まって布教に行く段取りをしたり、花壇の草取りなどしています。
で、台湾の寺なんて言うと、日中でも参拝者が引きも切らずでありまして、線香なんかも無料で配っているんで皆して参拝・お参りしている訳であります。
さて、日本のお寺は如何でありましょうか?
奈良や京都の観光名所なら人は居るでしょうけれども、それは信者や参拝者ではなく、拝観に来た観光客であります・・・宗教とは無関係の徒であります。
まっ、だからと言ってドーと言う事も無いんですけれども、その割りには、葬式に使う銭は易く無いし、墓も作るし、戒名だって意味も解らず有り難がってもらうし・・・ナンだか、日本人の宗教観って、やっぱし可笑しいよなぁ~、と、思うんですけどね。
今月号の「目ざめよ!」は秀逸の出来でスゼェ~・・・仏教気触れのおっさんなんですけど、毎回本気で読んじまう訳です。
今回のテーマは「買い過ぎていますか」と言う問い掛けでありまして・・・消費に対する考察と警告と提案をしている訳であります・・・その内容は的を得ています。
端折って言うと・・・消費によってストレスは増加する、と言うのは大賛成であります。
物を持つと憂いが生じるのは何度も経験した事でありまして・・・その割りには満たされている時間はとても短い。
と、言う事で、仏様でもキリスト様でも、自分が信じる物がある人の心は安らかと言いますか、強いと言いますか・・・それは、自分の心を預ける場所があるからじゃないかと思う訳です。
どうして良いのか解らなくなった、持て余しちまった自分の心を、取り敢えず、神仏に預けて一歩下がって時を待つ・・・いや、神仏に下駄を預けたら下手な思慮は無用と言いますか、しちゃダメなんですってさ。
考えた結果がそれなんだから・・・下駄を預けたら後は風任せ。
風任せ、神任せ、仏任せ・・・此れが出来る心を持つのを信心と言うのでありましようか?
此れ、全世界で無料ですぜぇ~・・・やっぱし、洗脳か啓蒙か解りませんけど、面倒臭い事を吹き込もうと思ったらこのくらいの努力は必要ですね・・・エホバの証人の教義とか、細かい事は知りませんけど、この活動は立派だと思いますね。
翻って、日本のお寺はナンですかぁ~? 賽銭箱はでかいけれども、自分の寺の宗旨とか、有り難い仏様のお言葉の一つでも書いたものをくれる所って、ありますか?
おっさんはこれでもアチコチの寺に行くんですけれども、例えば、禅寺なんかで「勝手に入るな」と言う厳しい寺には出合いましても、茶の一杯も呑んで行きませんか?とか、少し説教でも聞いて行きませんか?と誘われた事は無い訳です。
ましてや、無料の冊子なんて見た事も無いです。
台湾仏教なんかだと日本とは違いますね・・・いろんな本が置いてあります。
寺の檀家と言うのかドーか? まっ、寺の信者と言って良いのかと思う訳ですが、そう言う有志が銭を出し合って、寺の成り立ち・・・開祖が誰で、どんな感じで建立され、どういう経緯をたどって今日に至る、と言う歴史を解説したものや、寺の教義? いや、中国語(台湾語か?)を英語に直した話しで聞いたもんで良く分からないんですけれども、そう言う事は、エホバの証人以上に積極的にやっている。
だからかなぁ~・・・おっさんの店の直ぐ傍にエホバの証人の「王国会館」とか言うのがあるんだけれども、信者は良く集まって勉強会を開いているし、日中も集まって布教に行く段取りをしたり、花壇の草取りなどしています。
で、台湾の寺なんて言うと、日中でも参拝者が引きも切らずでありまして、線香なんかも無料で配っているんで皆して参拝・お参りしている訳であります。
さて、日本のお寺は如何でありましょうか?
奈良や京都の観光名所なら人は居るでしょうけれども、それは信者や参拝者ではなく、拝観に来た観光客であります・・・宗教とは無関係の徒であります。
まっ、だからと言ってドーと言う事も無いんですけれども、その割りには、葬式に使う銭は易く無いし、墓も作るし、戒名だって意味も解らず有り難がってもらうし・・・ナンだか、日本人の宗教観って、やっぱし可笑しいよなぁ~、と、思うんですけどね。
今月号の「目ざめよ!」は秀逸の出来でスゼェ~・・・仏教気触れのおっさんなんですけど、毎回本気で読んじまう訳です。
今回のテーマは「買い過ぎていますか」と言う問い掛けでありまして・・・消費に対する考察と警告と提案をしている訳であります・・・その内容は的を得ています。
端折って言うと・・・消費によってストレスは増加する、と言うのは大賛成であります。
物を持つと憂いが生じるのは何度も経験した事でありまして・・・その割りには満たされている時間はとても短い。
と、言う事で、仏様でもキリスト様でも、自分が信じる物がある人の心は安らかと言いますか、強いと言いますか・・・それは、自分の心を預ける場所があるからじゃないかと思う訳です。
どうして良いのか解らなくなった、持て余しちまった自分の心を、取り敢えず、神仏に預けて一歩下がって時を待つ・・・いや、神仏に下駄を預けたら下手な思慮は無用と言いますか、しちゃダメなんですってさ。
考えた結果がそれなんだから・・・下駄を預けたら後は風任せ。
風任せ、神任せ、仏任せ・・・此れが出来る心を持つのを信心と言うのでありましようか?