じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

暇なので雑談

2022-12-22 11:25:57 | 日記的雑談
昨日の朝日

いや、予定ではスキーに行くはずだったんですが朝起きた時から結構強い雨が降っていまして、自分はかなりのバカですが流石にこんな日にスキーに行くほど本格的な馬鹿ではないのでヤメにしました。

で、降って湧いちまった空き時間なので有意義に営業用の年賀状など作成すれば良いんですが、その方向のスイッチは入っていなくてボーッとネットなど見ていた次第であります。

雨に濡れて咲くサザンカ

あれです、こんな時はいつもYouTubeで好きな歌を流しながらブログに向かうんですが私ゃ食べ物や女性のタイプに好き嫌いがほとんど無いのと同じように音楽にも節操が無く演歌から洋楽、ジャズでも民謡でも聴くのであります。

で、今は竹内まりやの「駅」が流れております。

この歌の歌詞に沿うような過去は無いのでありますが何故かシーンの中に自分がいるから不思議であります。

しかし、雰囲気として似たような体験はありまして、自分は今の女房を乗せて走っていた時、やや渋滞気味の対向車に以前親密だった女性が乗っており赤ん坊を抱いていたのであります。

なんと申しましょうか、既になんの関係も無くなった女性なんですが、その瞬間にズドーンと大きな音を立てて幕が閉まったな、と思ったのを覚えております、なんちゃって。

あれです、自分は女性と接する時は真面目なんですが何故かあまり長続きせず、大概は気がつくと隙間風、なのであります。
たぶんあまりに夢見がちなので将来に不安を感じるたんだろうと今は理解できます、なんちゃって。

21歳の時でありました。
たぶん世界は広くて日本にいたんでは狭くて小さな世界しか知らずに生きることになる、と思った自分はアメリカ行きを企んで準備していたのでありました。
が、結果から申し述べると父が亡くなり色々と事情が変わって頓挫しました。
しかし、その事はずーっと頭の隅から消えずに暮らすことになるわけであります。

いや、何故アメリカなのかと言いますと昭和の日本で外国といえばアメリカでして他に思いつく国も憧れの国もなかったのであります。

あれから20年後、アメリカとメキシコには行きましたが暮らしたわけでは無くいわゆる通りすがりの観光なので感慨はありませんでした。

今まで行った国、通り過ぎた国は東南アジアを中心に30カ国くらいですが、暮らしたって感覚の国はフィリピンだけであります。

まっ、家も建てて暮らしていたんですが今にして思うと地に足のついた本当の暮らしではありませんでした。

これはフィリピンで言われた言葉なんですがMoney can buy a house, but it can't buy a home・・・これ、ことわざ的なものなんでしょうが、まっ、そういう事であります。

タイには二ヶ月居ましたが中華料理屋の二階の貸し部屋にトランクを一つ持って居ただけなので暮らした感覚はありません。

しかし、二ヶ月居ると地域住民が存在を意識すると言いますか、旅行者扱いでは無くなるのが感じられ、あれは面白い感覚でありました。

タイには何だかんだで10回以上は行っているんですがサムイ島では淡い恋バナが咲きました。
しかし、所詮は旅行者の気まぐれって事で帰国したらおしまいです。

タイって国はアジアの中心地だと自分は思うのです。
いや、今の事情は知りませんが少なくても自分が知る頃はそうでした。

まずバンコクに行けばアジアの大概の国のビザが取れましたし、長距離バスがどこの国へも出ているので便利でした。

自分はトイレの事情からバスは苦手でしたがラオスやベトナムへはバスで行きました。
自分より少し前に旅した人の話では陸路の国境通過は大変だったと言いますが周辺国の紛争が収まっていたので国境も楽でありました。

なんか色々思い出したのでもう少し思い出話をしたいんですが・・・

随分前ですが、中国には外国人専用の兌換元というのがありまして旅行者が両替するとこれだったのですが、闇で買取る人がいて良いレートで人民元と交換してもらえたのでした。
いや、裏町の飯屋では人民元しか使えないので旅行者は皆がやっていたと思います。

あれはフィリピンに居てダイビングサービスの形をどーようかと模索して居た時でした。
アメリカで9.11の事件が勃発し世界の飛行機が一瞬で止まってしまったのであります。

まっ、フィリピン航空などはすぐに再開して往来に支障はなかったんですがお客さんがテロに過敏になり誰も来なくなったことがありました。

9.11直後の航空券は今時のLCCも青くなる価格で、自分が乗った最安値は成田〜セブ往復が29000円でありました。

ああ、安いって事だと2004年のスマトラ沖大地震の津波でタイのプーケットが壊滅的な打撃を受けた時もそうでした。

航空券も安くなりましたがホテルの価格が激安になり普通なら手の出ない高級ホテルがタダみたいな価格になり良い思いをしました。

あの時はプーケットから観光客の姿が消えたので飲み屋街に行けば大歓迎され、調子こいて騒いでいたらケツの毛まで抜かれた記憶があります。

そーだ、コロラドの空港で荷物検査を受けてカナダのカルガリーで乗り換えた時でした。
自分のバックパックに入っていた日本製の割と鋭利な果物ナイフがアメリカの検査では見つからなかったんですがカナダ側で引っかかったわけです。

で、係官は「これが検査を通ったのか」と驚くわけですが、持って居たことさえ忘れていたと言うとGood boyと微笑んで捨てて良いよね、と言われました。
私ゃ彼女の和やかな雰囲気に誘われてWhat time do you finish workと言ってみたわけです。
すると、乗り換えの航空券の時刻を見てI'm sorry, I can't meet your requestと言われましたが、キラキラしたブロンドが素敵な女性でありました、なんちゃって。

と、まぁ、良い思い出は年齢とともに色褪せるのでは無く自分の都合の良い方に脚色されていくものでして、ここに書いたことの大半は自分の思い込みが大でありまして、要するに創造です、なんちゃって。

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