いや、まだ引っ張るのかとの声は聞こえないふりをして話は続くのであります。
本日はいよいよ青森県に入りまして北東北縄文遺跡群の核心に触れようかと言う気構えなのですが、まっ、期待してもらったら多分拍子抜けです、なんちゃって。
さて、大平山元遺跡といえば知る人ぞ知る、そして知らない人は何も知らないと言う、日本最古の土器(16500年前)が出土した旧石器時代末期の遺跡であります。
が、しかし、土器が出ないのが石器時代で土器が出たら縄文だとすると、縄文時代は寒冷期も終わり切らない16500年前には始まっていたことになると思うんですが、まっ、個人的な感想であります。
たどり着いたら外ヶ浜は土砂降り(大雨警報)
展示室は廃校になった小学校の教室
いや、土砂降りの中ワイパーを忙しく動かしながら田んぼ道を辿ったんですが施設を見過ごすなんて事は有り得ない大きな看板が入り口を示しておりました。
で、看板に対して結構質素な展示室なんですが、縄文マニアなら知っての通り時代が古いほど土器の出土も少ないわけでして、私の勝手な推測では並べるものが少ないので丁度良いと思うんであります、なんちゃって。
石器時代と縄文時代が交錯する年代か?
すぐ近くの蟹田側で頁岩が採れる
いや、頁岩が出るってのは重要でして各種石器の元ですから大平山元遺跡の存在の源と言える石でありますが、まっ、いいでしょう。
これが噂の土器片であります
なんと申しましょうか、私ゃ土器片を見た瞬間に、これは古いぞ、と感じたのであります。
いや、なんとなれば、縄文時代の土器は古いものほど厚みがあるわけでして、土器の欠片とはいえ結構な厚みを感じるところから古さが分かるってもんであります、なんちゃって。
形状が縄文草創期以前かも、なんちゃって
あれです、私ゃ外ヶ浜の遺跡と展示物を見て一気に「旧石器時代」を意識しちまった次第で有ります。
いや、石器時代・縄文時代・弥生時代、なんて文字で表しちまうと錯覚するんですが、そこに明確な線引きなど無いし、縦長の日本列島の位置によっても変化の時間軸は大きく違うと思うんであります。
と、言う事で、今までほとんど眼中になかった縄文以前と以後も視野に入れなくては、と思ったんですが、まっ、いいでしょう。
宇鉄遺跡から出土の土偶
板状土偶と遮光機土偶の原型のような土偶
左は多分栗の化身で右は遮光機土偶ですか?
いや、上記の土偶類は大平山元遺跡からさほど遠く無い、津軽海峡冬景色で有名な竜飛岬の宇鉄遺跡からの出土品で有ります。
で、ネットで調べると出土した土器類は弥生時代となっているんですが土偶を見る限りでは縄文前期、遅くても中期のものであると自分は思うんですが、まっ、いいでしょう。
あれです、たぶん旧石器から連綿と生活が続きたまたま土器類は弥生時代のものが出たって事だと思うんですが、まっ、いいでしょう。
いや、良く無い!!!
なんと申しましょうか、時代の古いものほど下に埋まっているってのが普通でして弥生時代の遺跡の下に縄文が、なんてのはナンボでも有るわけでして、ここも掘ったらきっと出るんですぜ、なんちゃって。
宇鉄遺跡 象嵌を施した土器
いや、3000年前というと縄文末期の象嵌を施した土器なんですがこれを何に使ったのかと想像すると、たぶん箸置きでは無いと思うんで有ります。
んじゃぁ何かと言えば、祭祀用としか思えないわけなんですが、他の土偶と同じで何かモチーフがあるんでしょうか?
いや、これにて大平山元遺跡と展示物はお終いなんですが縄文を訪ねる旅は訪ねる場所が増えるほど謎が深まるわけでありまして、ほとんど底なし沼なので有ります。
なんと申しましょうか、私ゃ一生飽きそうも無い趣味を手に入れちまった感じでして縄文人に感謝で有りますが、まっ、いいでしょう。
つづく
では、皆様と自分の明日がそこそこ良い日で有りますように願いまして、おやすみなさい、と。