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じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

ああ 日本よ 日本!!!

2014-04-28 12:20:45 | 日記的雑談

私が世界一好きな写真


終戦直後の写真です。

以下は撮影者のオダネルの書いた記事です。

佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。…10才くらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。おんぶ紐をたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。…しかし、この少年の様子は、はっきりと違っています。重大な目的を持ってこの焼き場にやって来たという強い意志が感じられました。しかも彼は裸足です。少年は焼き場の渕まで来ると、硬い表情で目を凝らして立ち尽くしています。…少年は焼き場の渕に、5分か10分も立っていたでしょうか。白いマスクをした男達がおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶ紐を解き始めました。

この時私は、背中の幼子が既に死んでいる事に初めて気づいたのです。男達は幼子の手と足を持つとゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。それから眩いほどの炎がさっと舞い上がりました。真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。その時です、炎を食い入るように見つめる少年の唇に血が滲んでいるのに気がついたのは。少年があまりにきつく噛みしめている為、唇の血は流れることなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。夕日のような炎が静まると、少年はくるりと踵(きびす)を返し、沈黙のまま焼き場を去っていきました。背筋が凍るような光景でした。


私はこの写真を見て、戦争がどうのこうのと言う事はあまり思わないのです。
ただ、男として、この少年の様な精神でいたい、と、思うのです。

日本男児として、いついかなる時でも毅然としていたい、と思うのですが・・・。













ロスケ すぐにトドメを刺してやろう!!!





いや,こう言う馬鹿な事をするから私の品性と言うものが疑われちまう訳ですね。

まっ、30万人虐殺でも従軍慰安婦でも何でも良いですけど,日本がアメリカからやられたのはそんなもんじゃ無い訳で・・・ナンで無理矢理手込めにされたアメリカ様にいつまでも股を開くのか日本!!!

朝鮮や中国に日本人の目を向けさせる為のアメリカ様の仕掛けなんじゃないのか?
原爆や無差別な都市部への焼夷弾の無差別爆撃や艦砲射撃の惨劇を隠す為の仕組まれた猿芝居が,南朝鮮と中国だとしたら・・・黒幕はアメリカだろうに。

アメリカと仲良くすんの止めようぜぇ・・・日米安保なんて、手篭めにされた上にまだ囲われ者かよぉ~。

支那や南朝鮮はアレだろ・・・アメリカ様の下請けやってるんだろう。
そう思うと、一日中PCに張り付いて嫌韓や嫌中の画面作って輩の存在って説明もつくんだよなぁ~。

確かに、南朝鮮も支那もウザイ・・・だが、黒幕はアメリカしかいないだろ?


コメント (2)
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ふぅ~ん・へぇ~

2014-04-28 10:26:56 | 日記的雑談
あっそぅ~・・・世の中って不思議だよなぁ~、と、つくづく思うと言いますか、しみじみ思うと言いますか・・・まっ、理不尽ですな。

いや,不可解、と言うべきか? まっ、ソンなもんでしょ。

と、言うのはね、一昨年の交通事故の障害認定とか言うのが来たんだけれども、まっ、不思議な結果になっているなと思う訳です。

足の骨折が原因の稼働域制限と左手の握力低下は障害として認定されているんだけれども、本人が一番ダメージが大きいと思っていて、そして実生活でも支障をきたす左手の指が動かないと言うか、曲がらない事は、認められないと言う結果な訳です。

で、簡単な説明が在るんですが、足首の可動域は、骨折が在ったんであり得る、との判断のようです。
で、握力低下の分は,MRIに電気信号が在るんで、まぁ,そう言う事も在るでしょうと、認められている訳ですが、しかし、左手は骨折も脱臼も無いんでそう言う事は認められないんですよ、と,言う説明な訳です。

まっ、不思議なもんだなぁ~、と、しか思わないんですけど・・・これを判定したのは医者の類いなんだそうですけれども、「俺の手を見ろ何にも言うな」と,厳然とした事実がこの左手な訳ですが、しかし、多分、見もしなくて判定した訳ですけど,見ても変わらないんでしょうね・・・決まり事とか在って、現実よりもその世界の規則とか、今までの例の方が優先で、外傷とか無いと認めない事になっているんでしょうね。

たまさか一月程前にテレビのニュースで日本の後遺症の認定基準が世界標準と掛け離れている事を見たばかりなんですが、その時ニュースに出た人は酷かったですぜぇ~。
アメリカなんてのは身体にショックを受けただけで神経がヤラレて動かなくなるとか、その辺の話しなのに,日本ではナンでもカンでもMRIやらCTに写る物が無いとダメなんだそうであります。
アメリカの保険会社はその辺はとっくに認めているようですけど・・・おお、外資系の自動車保険会社だと判定基準もアメリカなのか? まさかな。

私はMRIに所見が在ったんで多少認められたんですけれども、その人は,交通事故で殆ど全身麻痺になっているのに、私に出た様な電気信号て言うの? それが無いもんだから、現実に車椅子生活を余儀なくされているにも拘らず、何の賠償もされないと言う・・・現実よりもデーターなんですね・・・それで裁判やってましたけど、裁判所も似た様な感じで、過去の判例とかが先ですから中々難儀していたようでした。

まっ、不幸中の幸いは、左手だった事でして、実生活は馴れちまいまして、余程の時でないと不自由は感じなくなっているんですけれどもね。

出来無い事と言えば・・・ギターが弾けなくなった。靴ひもが結び難くなった。左手では丼は重くて持てなくなった。時に、えも言われぬ嫌な痛みが突然来る。左の指では鼻糞はほじれなくなった、等でして、大した事は無い訳ですが。

で、目出度く障害認定をされた足首なんですが、私は少しトレーニング理論とか、運動のアレコレを学んでいるもんで、こう言ってはナニなんだが、田舎の外科のセンセーよりは関節のトレーニング等の実践は詳しいと信じ込んでいる訳です・・・まっ、錯覚でも良いんです・・・鰯の頭も信心ですから。

で、一に筋トレ二に筋トレ、三四が無くて五に筋トレ・・・いや,筋肉って単独では動かない訳でして、神経がナニするもんですから、動かない筋肉を動かし続けてやるのは神経への刺激な訳であります・・・と,信じてやって来た訳です。

その結果、可動域の制限はだいぶ緩和され、まっ、前に少し倒せないな、程度になっている訳です。
しかも、前頸骨筋を損傷したついでに痛めた神経は、少しの痺れを残したけれども、回復して、後問題在るのは足の指三本が動かないだけ・・・これは靴を履くんであんまし問題無い訳です・・・いや,草蛙だと指で歩きますからね、少しアレですけど。

なので、足の障害認定なんてのは青天の霹靂的ラッキーと言う感じなんですが、この左手
ねぇ~・・・これが右手だったら仕事のほとんどがパーですぜ・・・まっ、無職ですけど。

と、言う事で、あの裁判をやっている人の事を考えても、文句を宣ってドーコーなるもんじゃ無さそうな雰囲気なんでドーすっかなぁ~と、悩みつつ、思案しても仕方無さそうだから忘れよう、と,思っている訳なんですが。

世の中って、ある一定の方向性が決まっちまうと、まさかと言う感じで緩く流れるんですね・・・下手をしたら低い所の水でさえも上に流れるとか。
で、その流れの筋書き待っていない事に関しては、どんだけ水位に落差が在っても流れを認めない、流さない、と言うのが世間と言いますか、社会と言いますか・・・まっ、そう言うもんなんだなと思う訳です。

アレ・・・3.11の震災直後、色んな人が災害の認定にケチ付けたと言いますか、認定する市役所などに文句言って認めさせた訳ですけれども・・・それって、役所の人の胸先三寸だったろうと思う訳です。
で、異議申し立ては、自分で撮った写真で役所に乗り込んで直談判な訳ですが、災害の認定が通るか通らないかで保険金の額が何百万とか違っちまう訳ですから、乗り込む方は決死の覚悟な訳です・・・いや,だから,私も別宅が崩壊したなどの用事で役所に行っていた訳ですが,老若男女、粘るは粘る・・・災害認定のランクを一つ上げてもらうかどうかで何百万ですからね,不退転の決意は固いもんでありました。

で、そうやって認定さえ貰っちまうと、あとは、その紙一枚でアレコレと手厚い保護と言いますか、お手当と言いますか、そう言う事になる訳であります。

あの時の役所の担当者の心境等垣間みると、ドーせ俺の銭が出て行く訳でもないし、保険屋が支払い増えるったって、保険屋の保険に入っているんだろうし・・・ああ、ジジイもババアも慾と得で狂っちまいやがって・・・煩いからサッサと認定決めて帰ってもらおう・・・ナンテ事は無かったとは思いますが。

しかし、アレです・・・世の中と言うのは、現実や実際よりも「紙」「書類」体裁なんですね。

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ゴミを捨てた!!!

2014-04-28 08:44:03 | 日記的雑談
まっ、偏屈オヤジとしては「ゴミの定義」も気になる所ナンだが,まっ、この場合は我が家の不要物と言う事で。

いや,ココなんですってば・・・我が家ではゴミでも、何処かの誰かの所では有用な物であったりする訳で、ゴミって、ナンなんだろうな? と、ややもするとゴミ処理の手は止まり、思索の方へと走っちまう訳であります。
まっ、なのでいつも中途半端に片付かないまま時間だけが過ぎちまうんですけれどもね。

さて、ゴミって何ぞや?は、気になる所でありますね・・・俺ってゴミ? とか。

まっ、人間にはゴミはいないと思うんですけど、世間では「クズ」と呼ばれる類いの人は居るようであります・・・「お前は人間の屑だ」とか。

で、私のように妙に深入りする性格ですと,「ゴミ」と「クズ」はどこら辺に差異があるのだろうか? いや,差異なんてもんじゃ無くて全く別カテゴリーなのか? などと思っちまう訳であります。

自分を揶揄してゴミの様な人間なんです、と宣った時と言うのは、存在の価値を表する所として、価値が無い事をゴミに例えるのでありましょうか?

まっ、ココで、「私のゴミは誰かの宝物理論」を蒸し返してしまうとゴミって言ってもなぁ~と,堂々巡りになっちまう帰来は有るんですが、そこはさて置きまして・・・。

さて、クズでありますが、これにはどの方面から考察を加えても救済と言いますか、人間的内面に救いを求められる物が見出せない訳であります。

アレっ? 俺、この事前にも書いている・・・クズとゴミの違いと言うか、済われない「人間のクズ」・・・どこかで似た様な角度で書いたな。

そんな訳で、ゴミは欲しい人も居ると言う事です・・・使い方が違えば、若しくは物に対する要求の角度が違えば、利用価値が産まれちまうと言う事は簡単に分かる訳でありまして、ゴミと言うのは、「見る側の都合で価値が変化し得るもの」と言うのは如何でありましょうか?

と、言う事は、まっ、巷で言われている俗な言葉を持ち出すのも恥ずかしいんでありますが、ゴミは立派な資源であり、再利用可能な物である事が多い、と。

さて、クズであります。

いや,ココに至って難しい方向に行きかねない言葉が浮かんじまった訳であります・・・「ゴミクズ」であります。

おいおい、ナンだよぉ~、ゴミとクズを分けて考えるから成り立つ話しだったのに、一緒にされちまったら話しが続かないよ、と言う感じなんですけれども、ここは意外と簡単に切り抜けられる訳であります。
「ゴミクズ」は,一つの事物を現しいる訳ではなく、ここはやはり「ゴミ」と「クズ」が同じ場所に有る場合の表現と捉えて良いと思う訳であります。

ここでまた少し違った思いが過っちまったので脱線しますが・・・人間的に「ゴミ」のような人と、「クズ」のような奴も、塵芥のように似た様な環境に生息すると思うのは間違いでありましょうか?

言い換えれば「ゴミのような人」と「人間のクズ」は,常に隣り合わせに存在していやしないか? と、思う訳であります。

いや,ココまで踏み込むのは余計であったと後悔する所では有りますが、ゴミとクズを人間の存在として捉えた場合には、やはりその存在の「閾値」を無視するのは如何がなものかと思う訳で、話しは更に混沌して来る訳であります。

 つづく・・・。

いや,もうこの話しの落とし所なんてとっくにすっ飛ばして来ちまっている訳でして,自分でも収拾がつかなくなっちまいまして困っています。

いや,ホントは、ゴミはたまに拾われるけれども、クズは大概捨てられるよな、と言う事で、ゴミの様な人と言われても甘んじて生きようと思うけれども、人間のクズって言われたらお終いと言うか、生きる力も湧かなくなるな、と,宣いたかった訳であります。

で、まあ,グダグダになっちまって今更アレなんですけれども・・・ゴミなんですがね・・・人間のゴミ、なんですがね・・・私のように殆ど利用価値の無い人間の存在は限りなくゴミ的であると自覚している訳です。

で、まぁ、家電製品のゴミでも、人間的ゴミでもどっちでも良いんですけれども、ゴミって,下手に人目について拾われたりすると再利用されちまったりする訳です。

で、ココが偏屈オヤジの肝なんですが、ゴミにはゴミの事情が有る、と,申しましょうか、ゴミになる前の姿で精一杯生きて来て、やっとゴミとして静かに消えて行けるとホッとしているゴミの気持ちって在りはしないかと思う訳です。

ゴミなのに、自分では終わったと思って自らゴミと称しているのに、再利用しようなんて言われたら、いつまで頑張らなくちゃならないんだよ・・・と、思うゴミはいないのかな? と。






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