田無の万華鏡 (旧名田無の日記帳)

西武新宿線の急行が鈍行になってしまう街、井口資仁を生んだ街、田無に住んでるカオスな人が野球について語るブログ。

ジョニー黒木、力尽く

2007-12-12 10:03:35 | 野球
ジョニー現役引退決意…解説者に(スポーツニッポン) - goo ニュース

イチロー、中村ノリ、小笠原・・・
そうそうたる面々が並ぶ昭和48年組。
その中から、力尽きて現役を退くものが出た。
同学年として寂しい限りだ。

マリーンズに黒木という名の投手がいることを初めて知ったのは、プロ入り初勝利の時。
調べてみると1995年6月30日の事。
宮崎弁で「54番はジョニーですのでよろしくお願いします」と挨拶する声が今でも思い出される。

正直、あの時は「色物系の投手か」ぐらいにしか思っていなかった。
千葉に移転してまだ数年。
ライトスタンドは埋められるようにはなってきていたが、それ以外は広大な空席が広がっていた時代。
千葉県民でもロッテイコール弱い、マイナーのイメージがこびりついていた時代。
ただそんな中でも黒木は人知れず努力を重ね、気がつけばマリーンズのエースと呼ばれる存在にまでなっていた。

マリーンズファンがマリサポと呼ばれるようになり、ライトスタンドでは収まりきれなくてレフトスタンドへ、内野席へ、そして球場全体に広がり始めた頃。
残念ながら黒木の成績はそれと反比例するかのように急降下し始めていた。
ひじの怪我、懸命のリハビリ、良化とともに「復活」の名を賭けて一軍のマウンドに立つがかつての球の勢いを取り戻せないまま二軍落ちの繰り返し。

正直、マリーンズファンの中で全盛期の黒木を知る人はそんなに多くないのではないかと思う。
他チームファンである自分も、一番印象に残っている黒木の姿は昨年の秋、ロッテ浦和球場に二軍戦を見に行った際、ブルペンで黙々と練習を続ける姿なのである。

プロ野球選手は野球場でプレーをするのが仕事。
ただそれだけでなく、存在そのものがプロ野球選手としての印象を強く残した黒木。
マリーンズの功労者の一人である事には間違いない。
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2 コメント

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Unknown (スポーツ瓦版)
2007-12-12 18:55:55
TB有り難う御座いました。
48年組みは凄いメンツですけど黒木はロッテ暗黒時代エースでしたよ。
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黒木は (右打ち職人)
2007-12-13 15:13:07
黒木のプロ生活はマリーンズが弱小不人気チームから常勝(まではいきませんが)人気チームになるまでの過程ともいえます。

今のチームの礎を作った選手と言えるでしょうね。
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