田無の万華鏡 (旧名田無の日記帳)

西武新宿線の急行が鈍行になってしまう街、井口資仁を生んだ街、田無に住んでるカオスな人が野球について語るブログ。

合併の結果

2009-05-26 23:16:25 | その他
所謂「平成の大合併」が一区切りつくことになった。

合併をする市町村に財政優遇措置を与えてきた合併特例法が来年3月に期限切れとなるが、地方制度調査会の専門小委員会では「一区切りとすることが適当」との答申を出すことになったとの事。

平成11年から始まった「平成の大合併」。
これまで数々の聞きなれた名前の市町村が姿を消し、岡山や新潟が政令指定都市になり、さくら市やら四国中央市やら聞きなれない名前の市が生まれ、実現はしなかったたが南セントレア市なんてものまで誕生しかけた。
10年間で3000以上あった市町村が1776まで減って、国としてはとりあえずの目的は達成したということか。

西東京市は、東京では唯一、平成の大合併で生まれた年。
そもそも田無と保谷は昭和42年に揃って町から市になったときから、合併してはどうかという話はあった。
田無タワーの袂にある多摩六都科学館も、小平や東久留米などとの広域合併が頭の隅っこにあったからあんな名前になったのだろう。
外から見ていると似たもの同士に見えて中身は意外と違う2つの町が合併したのは、新しく移り住み、都心の会社に通い、地元意識のない人が増えたからにも思える。

西東京市が誕生して8年。
100円で乗れるはなバスが市内の随所を走り、便利になったが、市役所は保谷と田無に分かれたまま、そして東大農場のある場所に作る予定だった合併記念公園もお流れ。

市の名前に東京とつくから、埼玉と間違えられることがなくなったのが最大の利点かもしれない。
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