
官兵衛は20歳にして小寺家の家老となるのですが司馬遼太郎の播磨灘物語の人物評としては年齢にしては「落ち着いている」というものと「童心を捨てきれない(あまちゃん)」というものが並立していたようです。
本人の内面の声としてトンボを追っかけていた子どもの頃の夢想が忘れられないと語っています。トンボは天の象徴で天という未知なるものへの神の使いと考え、時間を忘れて追いかけたと話しています。家老であっても世の動きを捉えるために再三京へ上りますが、ごく普通の平凡な主君や家来衆には「小寺家の行く末を考えて京で、情報収集をしている」こと等全く理解されません。皆のことを考えて動いても理解できない人々には逆に悪意にとられる。世の常とはいえ、官兵衛を家老に持つ小寺家はあまりにも官兵衛を理解していませんでした。それがやはり家を滅ぼしていくのです。後悔は先に立たず、です。
官兵衛は現代の地域活性化に十分応用できます。それは戦略家としての「軍師」という発想につながります。補足ですが小寺家は信長によって滅ぼされ流浪の末絶えるのですが、官兵衛が秀吉に息子を引き取って養育することを願い出て昔の恩に報いました。器量というだけでは計れない官兵衛の人物が浮き出てきます。