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岸本晃の住民プロデューサーNEWS

「秋葉殺傷事件」は山江村・松本流カメラを学ぶべし。

 秋葉原の殺傷事件で加藤容疑者によって引き起こされた殺傷現場で多くの人が携帯やデジカメで撮影していたのが大きな問題になっている。警察が着いてからもやめるどころか、その救出の模様を競ったかのようにカメラに納める人が多かったらしい。さすがにマスコミや週刊誌の記者さんも呆れかえったという話が伝わってくるが中にはニュースを伝えるマスコミの苦しい心境がわかったというインタビューもあるようだ。これを一部の識者がいうようにメディアリテラシーとくくってしまっていいのか?

 写真は10年ほど前の台風で山江村に水害が起こったときの住民ディレクター松本さんが村の中を歩く姿だ。この頃、住民ディレクターをスタートしたばかりの頃で私がたまたまお邪魔した日の状況だ。松本さんは合羽を着て、村内をくまなく歩きまわり、被害にあった家や道路の復旧を手伝った。私も手伝いながら作業の合間にこの姿を撮影していた。翌日は松本さんは村議なので他の村議たちと正規の視察
に回った。今度は私はいないので松本さん自らカメラをもった。とはいえ、前日と同じく手伝いしながら、手がすくと撮影するということだった。

 中には、「そんなもん(ビデオカメラ)おいて手伝いなっせ」と叱る人もいたが、合間合間に村民を撮影している間に村民が自分の家も危ないのにお年寄りや隣の家の手伝いに必死になっている姿などを見るうちに「被害の記録」ではなくて、村民のこの助け合う姿、力をあわせている姿をこそ残したいと感じ始めたという。 数日後、このように話してくれたが、同時にマスコミが亡くなった人の葬式に行って「今のお気持ちは?」等と聞くのを見ていて「この記者、殴ってやろうかと思っていた」しかし、「自分が村の水害を撮影してみて記録の大切さを痛感した」と当時、話していた。この時分、私が松本さんにビデオカメラを渡し、住民ディレクターを伝えていたのでこの経験は忘れられない貴重なものだった。

 私は記者やニュースカメラマンのとき、毎回、毎日火災や事故の現場に行くと、この揺らぐ気持ちに出くわしていた。しかし数年もやっていると麻痺していくときもあった。いわゆる特ダネ意識が強くなっていったときだ。しかし、すぐに目が覚めてそういう自分の鈍さに自己嫌悪に陥った。だからこそ人間としてまずは助ける、ゆとりがあればその模様が役立つなら撮影しておく、という松本流、住民流記録の残し方がとてもしっくりきた。テレビ局にながらにしてこの住民流をやっていたのでデスクとはよくケンカした。

 秋葉の現場でとんでもない現場を体験してしまった人たちが、まさにバーチャルのような感覚に陥ってしまっているのが今回の問題の本質だろう。日々の生きる現場に自然や生命とじかに触れ合う機会が無さ過ぎるのと、テレビやパソコンでみるバーチャル世界に感覚が支配されてしまっている。ITを地域現場にいかすということで一貫してきた住民ディレクターは、市民のメディアという考え方よりも生きるうえで必要な道具と捉えている。昔でいう鍬や鋤、耕運機やコンバイン、フライパンや洗濯機である。

 しかしこの道具は表現を助けるという機能が特徴なので、都会にはない忘れられた人間の営みを表現する道具として新たな使い道を探ってきた。コミュニケーションをも活性化する道具だ。決して事件や事故のようにジャーナリスティックな記録を求めるものではないのだ。 

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