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岸本晃の住民プロデューサーNEWS

地域活性化を実践するActive Media です。

大阪、月の法善寺横町の記憶、そして東峰村。(東峰村特集3)

2010年02月26日 | Weblog
ひょんなことから大阪に留まることになり久しぶりに少しですが歩いています。昨日は夕方になんば周辺をうろついていると法善寺横町に出ました。とても懐かしい記憶が蘇りました。自然とからだが吸い付けられるように向かいました。「こいさんがわてを初めて法善寺に連れて行ってくれはったのは・・・」の台詞で流行歌が流行りました。板場の修行にきた青年のこいさん(店の娘さん)への恋心を歌ったものでした。織田作之助の夫婦善哉もここが舞台でした。われわれは蝶々・雄二の夫婦善哉というトーク番組でこのタイトルを知ったのでしたが。

実際は歩くというほどのスペーズも無くとても狭いところです。記憶を辿るとほとんどテレビから来るものでした。藤島恒夫が歌っていた歌詞や台詞、蝶々・雄二の司会の番組や出演のドラマ、実際に自分自身の記憶は辿って行く先には何も無いのです。新世界の串カツを学生時代におもいっきり食べた記憶は近くの串カツや屋さんを見つけた時に蘇りましたが。どの店も「2度つけご免」と書いてあります。串カツの女性客が増えた証拠でしょうし、昔と違って客層が全く変わってしまったことを表しています。
大阪の串カツは独特の液体のたれがあって大きなアルミのような箱に醤油のようにたっぷんたっぷんと波打っていました。そこに串カツを浸けて食べるのですが、1度に制約されたのですね。昔は「労働者諸君」という寅さんの得意な分野の方々が大方の客でしたから2度も3度も食べるたびにちゃっぽんちゃっぽんと浸けて食べていました。関東煮き(かんとうだき=おでん)もそうでした。たれのベースは全く違いますが。と、いうわけで串カツに出会って自分自身の若い頃の記憶が戻ってきましたが、それまではすべてテレビの記憶だったことにあらためて驚きます。

テレビはわたしと同じように同時代の人達に同じような記憶を植え付けてきたのですね。その記憶の浅いところではついつい法善寺横町に行きたくなり、妙に懐かしくなり、思わずあの歌を口ずさみながら路地を歩いているのです。そうして「大阪」を売ってきたのでしょうし、わたしたちは見事に乗っかってきました。

人口2,000人の東峰村、今は自然の魅力に目覚めた人が数多く訪れます。一度訪れたら人の温かさや自然の素晴らしさ奇岩の見事さ炭坑や修験道の歴史、何よりも透明で柔らかい水がさらさらとさらさらと流れるのです。一度では終わりません。2度3度と行きたくなります。その記憶はテレビではなく自分自身の記憶にしっかりとあります。この記憶の上にテレビの作用を無理なく自然に活用して人、自然、歴史、食を映像で表現で表現できたらばどうでしょう。この記憶はからだの奥深いところに根付いたからだの喜びにつながる記憶です。

そういうテレビ、映像の使い方をずっと考えてきました。ですから歩くことが一番基本です。


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