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岸本晃の住民プロデューサーNEWS

29歳で関心ゼロの民放入局、42歳起業!!

今住んでいる福岡県東峰村には2010年夏に移り住みました。当時は地域活性化支援の企画・プロデュースを業務とする株式会社プリズム(代表取締役・岸本 晃)の事務所は兵庫、東京、熊本の3カ所に事務所を置いていましたが、移住を機会に兵庫本社と東峰村支店に絞り込みました。同年11月の東峰テレビ開局から今日(2021年7月22日)まで東峰テレビ総合プロデューサーをやっています。現在も(株)プリズムが東峰テレビをプロデュースしていますが、プリズムの仕事は東峰テレビだけではなく1995年の起業以来ずっと全国ネットワーク型の企画・プロデュース会社です。

一気にタイムスリップすると、大学浪人1年の後に「生まれ故郷の兵庫県加古川市」から「山口大学」に滑り込み、1年自主留年、翌年一応卒業してしばらくプータロー生活をしていた後に「別府の温泉旅館」に行き着くまでの7年間(不思議な時代でした!! )、ずっとテレビの無い生活をしていたことや、テレビ局への関心はゼロという状態でした。そう!!多くのTVマン、TVウーマンが子どもの頃から目指して入っていったのとは真逆で、どう考えてもテレビの職業に就く可能性は全くゼロだったのです。テレビ局と私の関係は一言で言えば、酒の縁でした。酒の縁で別府の温泉旅館に留まり、その数年後、誤って29歳で熊本県民テレビに入ってしまった、という奇妙奇天烈な人生の延長線上で13年半務めましたが、1995年の七夕さんの夜に突如退職を宣言し、実質は翌日から起業に向けて動き出しました。42歳でした。

熊本県民テレビ時代の後半は営業担当が「この企画ではスポンサーの理解が得られないので予算は取れない」と断ってきた番組企画の予算を全部自分で取ってきて「地域おこし番組」や「住民手作りドラマ」のプロデュースなど次々と日本初の番組を興していました、まさに誰も辞めるとは想像しないであろうほど脂が乗り切ったチーフプロデューサー時代です。「日本初」と言うのは決して奇を衒ったわけではなく、手間暇かかるばかりでどこのテレビ局もやりたがらない、地域や住民と協働しながらのドキュメンタリーやドラマ、バラエティ番組などを徹底的にやっていたんです。次々と地域密着の先駆け番組にチャレンジしていました。それらの経験が起業してから25年間やり続けてきた住民ディレクター養成と地域活性化活動に直結しています。さらに「ズームイン!!朝!」「24時間テレビ」「11PM」など日テレ系列の著名な全国放送番組のディレクターやプロデューサーも多数経験し、テレビ番組というコンテンツの制作に関しては相当数の多種多様な番組の企画から放送までの全プロセスに関わっていました。私はその番組の多様性と濃い制作プロセスこそ「ゆりかごから墓場まで」の暮らしが対象の地域活性化に役立つと見通していました。

とはいえ、大学浪人から別府の温泉旅館での暮らし、熊本県民テレビでの13年半、起業後の25年間は順風満帆などと程遠い破天荒な時代でした。どの時代も実際は呻吟し続けた一コマ一コマであったのですが過去の思い出を綴るのではなく、「これまで」を「これから」に生かすために綴る気持ちで書いています。

住民ディレクター追走25年史「凡人力の群像」  

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