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岸本晃の住民プロデューサーNEWS

住民の「視点」、地域の「支点」の定め方

 人吉球磨地域には番組制作の実績が山ほどあるがhttp://www.prism-web.jp/60201_3.pdf、私が関わった番組で特筆したいのが初めて民放の定期的番組としてプロデュースした国体情報番組と、それを受けて始まった熊本県内の地域づくりを応援する番組「新発見伝くまもと」だ。このタイトルはもともと人吉球磨地域で平成8年から熊本市内のケーブルテレビで放送していた「人吉球磨新発見伝」を熊本県版に直して私が命名したもので、住民の視点で「新」たに「発見」した「熊本」の魅力を「伝」えるという意味だった。住民の視点ということが要で、プロの視点が混入しないように徹底的に一人一人の住民視点にこだわっていた。
 通常熊本県という地域を考えると熊本市という県庁所在地があって、そこにテレビ局があって、スタジオがあって、アナウンサーやタレントがいて、この人たちが県内各地の話題を熊本市民の視点で「ああだ、こうだ」と感想や批評している番組がほとんどだ。しかし、当時の新発見伝は全く違った!!人吉がキーステーションで人吉の住民がメイン司会で他の地域の住民がリポーターやコメンテーター役(人吉球磨の人もこれもした)をする番組だった。勿論テレビ局は熊本市内にあるのだが、熊本県でもっとも開発が遅れていると言われていた県南地域の住民の視点が番組の「支点」になっていたのだ。地域全体でも11万人しかいない人吉球磨地域の住民が人口60万人の熊本市や世界の阿蘇の話題を見て、実際の自分たちの地域に役立つまちづくりの手法を探したり、リポートにある課題の解決方法を話し合ったりする。
 熊本市からやってきた住民ディレクターと八代市から来た住民ディレクターが同じテーマでリポートし、それについて人吉の人が「うちならこんなのがある」とコメントする。この文化のちゃんぽん具合、まぜご飯のように、各地の文化が交じり合っていく独特の味わいが次第に人気を得てくる。3年後にはテレビ局の都合で熊本市のテレビ局スタジオに入ったが、結果的には最高視聴率13.5%を記録し、住民番組がきちんと見られる時間帯にくれば、ダントツに支持を得られることを証明した。
 その後、私はこの熊本の成功モデルをもって全国のお仲間を増やそうと行脚を始めるが、新しい地の人々のダイナミックなチャレンジ精神や、型破りな番組作りを通して豪快に人と人がつながっていく現場にやはり魅力を感じて比重を置いていった。しかしこれはいつもそうだが、山江村や人吉球磨地域を代表とする熊本県の協働パートナーを探す旅でもあった。事実、行脚を始めてから熊本にお連れした人の数は相当数に上ると思う。しかも同じ地域づくりをする人、マスコミ、大学研究者、NPO、IT業界と熊本県の応援団になる人が多かった。くまもと未来国体で一気に県内120人の住民ディレクターを養成したことがこの「新発見伝くまもと」の成功につながった。次は全国のネットワーク作りだった。同時に海外のネットワークも作り、熊本がキーステーションになるという構想は持っていた。実際住民ディレクターに興味を持ってくれた人はまずは山江村に行きたがる。人吉に寄る。これが人吉の総鎮守である青井阿蘇神社などを舞台にした「交流大学」という新しいエコ・メディアツーリズムの誕生につながっていった。
 仕方がないかもしれないが人は作り方をおぼえるとなかなか型を壊せない。本来14年間もテレビ局にいてそれから脱却しようと退職して始めた事業だ。結局住民も慣れればテレビ局員と同じようにパターン化されるなら、本質は伝承できない。いつもその時々に起こる驚きや発見は生き方自体が日々新鮮でないと無理だ。私が宮本武蔵を愛するのはそこだ。「我、事において後悔なし。」(8月22日ブログ参照)瞬間瞬間の初めての体験を子どものように楽しみ、剣士のように緊張感を持って処する。即興の醍醐味が番組作りを通して結果的に地域づくりにつながって企画力になっていく。この循環が失なわれたら、いくら視聴率があろうが人気がでようが、「仏つくって魂入れず」だ。魅力はゼロだ。
 では、いつまでも素人っぽい番組を作ることか?そうではない。素人でも玄人でもいつも新鮮な即興性が息づく状態が大事だということを伝えたい。生きていることは当然即興だ。いつも同じ日常があるように見えて、実は一人一人の内面は変化し続けている。そこが自然に出せることが大事だ。そのために我々は人吉という自然体の人間が多い地域をホームグランドにした。山や川、時には田畑の中に座り込んでスタジオにする。87歳のばあちゃんがリポーターの時はばあちゃんの近所で収録する。カメラマンは役場の青年たちで、ばあちゃんも「なんね、あんたね!」と安心して普段の地元弁で話し出す。この環境作りが結果的に番組だけでなく終了後の語らい、コミュニケーションにつながっていく。
 熊本は始まりだったのである種、トップ選手の苦しさがあるかもしれない。熊本での活動が著しく減少すると共に全国、海外の活動が増えトータルで見ると全国ネットワークが確実にできた。今はこのネットワークを真の地域づくりや地域振興に活用してくれる地域があればそこで全力を発揮したい。
 と、考え始めた頃に山江村の松本さんや内山村長と会うことになったり、九州総合通信局の講演に呼ばれたりと熊本からの呼び出しが増えてきた。
(写真は人吉青井阿蘇神社で開催された1200年祭でのツーリズム)
 

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