竪琴のブログです♪

竪琴(ライアー)は、癒しの音色が魅力の弦楽器。指の腹で弦をなでるように演奏します。

よく泣く私。

2018-12-13 19:36:27 | 日記

今年も残すところ半年…信じられない早さです。ようやくそのことに自覚して、明日から年末を意識して過ごしていきたいと思います。。汗

この一年も、色々ありました。トーンウッド工房では、泣いたり笑ったり落胆したり励まされたり喜びや感動も…。
とにかく私はどうしようもなく泣き上戸で、何度お店で泣いたか数え切れません。喜怒哀楽、どれも気付けば涙で表現。。生徒さんにもしょっちゅう涙を見られ、お店の方達には「またか…(溜息)」と思われつつすっかり慣れて頂いたことでしょう(^^;)
お店は私に喜怒哀楽の目まぐるしい変化を与えてくれ、何だか思いがけない人生になっているように思います。
・・・・・・

同じ立場に立つということは、大変な覚悟がいることだったり、寄り添うということは、相当の強さが必要だったりしますね。

「自身の欲求を満たすために起こした行動は、大きさ等しく鏡に映り、そして自分に返ってくる。」
それは自業自得というもので、あまんじて受け入れるよりないのでしょう。
…自分を省みるか、人のことを考えるか、何も思わないか。
…自分を省みる人が、私は好きです。

判断基準の物差しは、歪んでいないか。
どんな価値観で捉えているのか。

それは偏っていないのか…、

どこを中心に捉えているのか。

(本当に中心は、あるのかどうか?)

 

全てを手放したら、きっと自由になれるのに。

自由になったら、広い心が持てるのに。

広い心が持てたら、許すことが出来るのに。

・・・
週末から引きずっている、悲しい出来事。
つい言いたくなり、書いてしまいました。

みんな違っていても、それぞれの良さがあって良いねと、そう言える人でいたいと私は思っています。
(ああ、スルーして次の記事へ行きますー)


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5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
自分を大切に (道子)
2018-12-15 23:41:26
今年があと半年となっていたことにもきづきませんでした(笑)
〈人を傷つけないように心掛けつつ、自分も傷つき過ぎないように。「世の中いろんな人がいる」と思ってあまり気にしないことも自分を守るために大事かな〉
本当にそうだと思います。
みんな同じでないから面白いし、複雑なことにもなるのですよね。同じでないことを学びつつ、味わいつつ、
へー、そんな風に考えるんだーって受け止めていけばいいかなと思います。吸収したいものだったら自分の中に入れればいいし、そうでなかったらスルーすればいいのですものね。
人の話しをただ聞いてあげる。それも自分の軸をしっかりもっていないと、その人の考えに流されてしまいますよね。自分自身の考えを揺らがせずにただただ聞いてあげる。受け止めてあげるということなのかな?
Let's go easy!

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私なりにあれこれⅡ (安達)
2018-12-15 22:40:07
道子さん、コメントありがとうございます。
本当にそうかも知れないですね。アドバイスをする人は一生懸命、自分の経験などをもとに、相手のことを考えてアドバイスするのですが、それを必要としない時もあるかも知れないです。一生懸命に考えてくれてありがとう、ただその気持ちが嬉しい、と思うこともありますね。

本当にアドバイスを必要としていたら相談という形になるし、悩みの打ち明けであれば、聞いてもらうという形に…その状況によるかも知れないですね。でも、寄り添うことは、まずは聞くことから始まるのかな。そして同じ立場に立つことなんて、十人十色ですし実際は出来ないようにも思います。

だから、人を傷つけないように心掛けつつ、自分も傷つき過ぎないように。「世の中色んな人がいる!」と思って、あまり気にしないことも自分を守るために大事かなと思います。笑

あと記事が、今年もあと半年、となってました(^^;)すみませんが直さずここで訂正です汗。
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Unknown (道子)
2018-12-15 20:52:42
「同じ立場に立つということは、大変な覚悟がいることだったり、寄り添うということは、相当の強さが必要だったりしますね。」
確かにそうですね。
私は出来る限り同じ立場にたって寄り添いたいと思っています。治療院を開業していますと色々な方、色々な悩みをうったえられますから・・・
でも、自分は寄り添ったつもりでいても、それを受け入れて下さり、喜んでいただける場合と、感性が違って
いる場合とがあります。例えば、統合失調症の方などは、なかなか難しいです。最初はそのことが分からずにただただ励ましたりしていましたけれど、そういう方は私の励ましを必要とはしていないのです。
それが分かってからは、ただただその人の話しを聞いてあげることに徹しました。そうしたら、だんだん元気になってきて・・・
そんな経験から、人は自分の悩みなどを聞いてほしいんだなって悟りました。多香子が「聞くを磨く」という講座に行って色々学んでいますけれど、やはり聞いてあげること。それが一番なのだと最近はそう思っています。先生の思いに添える話しではないかも知れませんが、人って自分の思いを聞いて欲しいものなのかも知れません。ただただ無条件に受け入れて欲しいのですね。その思いを受け入れてあげてから、徐々に色々なアドバイスをしていく。それが今の私のスタンスです。

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あれこれ考えたり。 (安達)
2018-12-13 23:49:34
花が咲くさん、早速にコメントをありがとう。
…消そうかと思って開いたコメントを残すことになりました笑。でも励ましがたくさん伝わってきましたよ。ありがとう(とまた涙?いえ今は泣いてません)こんな漠然とした内容なのに、色々な角度からのコメントに、何だか感心しつつ。感謝です。

コメントの返しではなくなることもあるかも知れないのですが…(多分言い足りなかったところの補足です。。)
自分が間違っていないと信じ込んでいると、人に迷惑をかけていることには気づかないですね。むしろ、良いことをしているのだ!と思ってしまっていることがあるような。原因は、「揺るぎない物差しで捉えているから」なのではないかと。測るものは長さや重さや体積…と、物によって色々計器を使い分けるように、基準となるものは柔軟にしなければいけないんじゃないかなと思うのです。
…また見えづらい話ですが(^^;)、さらに自分の考え方を変えれば世界が変わって見えたりもするわけで(前にそんな話ブログ内でしましたね。。)
ものごとの捉え方って不思議ですね。結局どうなんだろう、と甘いケーキセットでも食べながら考えて、答えらしきものが出るのか分かりませんが。笑

反省して軌道修正して、さらに人生より良くしていきたいものですね。
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それはねぇ… (花が咲く🌸)
2018-12-13 23:16:37
ブログにまで書いておいてスルーは出来ないわけでして。私なりに!

感情って何なのでしょう?
大抵は何かきっかけがあるけれど、感情の大小はその『なにか』の大きさに必ずしも比例しないな…とも感じます。
自分の中の何かにどう響いているか…そしてその響きは大抵自分が作っているようにも思うし、以前みちこさんが書かれていたような共鳴のように感じたりもします。
先生の感情の箱は水晶でできた洞窟のように…発する一声、ひと光の反射が大きいのかもしれませんね。芸術には欠かせないモノ。


先生の書かれた『判断基準のモノサシ』。
歪みや偏り…はまさに基準によりますよね。

でも自分が不快に感じたら…それは素直に『私にとって不愉快!』で良いし。逆に、快!であれば他人へ大きな迷惑とならない限りどんな事でも『楽しい!』ですね。
結局それは自分の基準を変えてみても、感情までコントロールすることは出来ない様に思います。
コントロールする必要も無いですし…。
周りの皆さんも必要なら励まし、放っておき…笑。気を使って下さってますしね。

かと言って、それが至極迷惑な訳でもなくて受け入れてますし、受け入れて下さる方々ばかりですから安心して涙していただいて。笑。

ショックな事、困ったことは正直思うように解決されずスッキリしない事も多いですね。
でも、やれることをやったら。あとは好きなこと楽しいこと、お散歩でもしましょう!

そうでないと、余計なことまで繋がって苦しくなってしまいそうです。

自業自得…悪いことだけでなく、等しく楽しいこと素敵な事も沢山返ってくると思いますよ!
少し自省したら。誰かと、家族と甘いケーキセットでも食べに行って今目の前の幸せを味わって下さいね〜!
(もー励まそうと思って一生懸命だわ!笑。でも落ち込むことは誰にでもありますしね。それが悪いと思わず。感情は成り行き任せで!)
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