Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてⅢ

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印が趣味です。
生きた証として好き勝手に書いております。(笑)

八幡神社<元石清水八幡宮>(2022年12月18日参拝)

2023年03月18日 | 神社
大安寺と推古天皇社の近くに元石清水八幡宮と呼ばれる神社があります。
それが大安寺の鎮守社でもある八幡神社です。

平安時代に創建された石清水八幡宮は貞観元年(859)に、
京都男山に遷座したことから、この八幡神社は元石清水八幡宮と呼ばれています。

しかしながら、創建の歴史がはっきりしているわけではなく、
当の石清水八幡宮もそのことを認めていません。

その真相はたぶんこれからも確定することは無いでしょうね。


所在地:奈良県奈良市東九条町字宮ノ森1316
御祭神:応神天皇、神功皇后、仲哀天皇
創建:大同2年(807)
社格:村社


【由緒】


奈良南都七大寺の一つである大安寺の鎮守として建立されました。

最澄・空海も修行したと記録される大安寺の僧行教和尚が遣唐使としての帰途、
大分県宇佐神宮の第一祭神八幡大神(応神天皇)からのお告げで、
宇佐神宮より南部大安寺本房第七院石清水房に勧請いたしました。

その後のある日、行教和尚は夢の中で京都の男山に八幡大神を祀れというご神託を受け、
貞観元年(859)京都府八幡市に山城石清水八幡宮(男山八幡宮)が建立されます。

男山衆は 男山の八幡大神は宇佐神宮から直接 お招きしたもので、
大安寺とは関係ないと本社を名乗って譲らなかったそうです。

石清水の名前は以前から男山にあったというのが男山衆の主張なので、
その主張と分ける為に元石清水八幡宮の名前が生まれたと言われております。

本殿は至徳2年(1385)に室町幕府第3代将軍足利義満により再建された。
しかし永正元年(1504)に焼失しその後に再興されたとの話もあり詳しくは不明である。

元亀2年(1571)の松永久秀の辰市攻略等の戦乱で大安寺とともに衰微の道を辿り、
文禄5年(1596)7月13日には慶長伏見地震によって同寺とともに罹災、
その影響で大安寺が一時廃寺の状態となったために独立し、
在地の氏神として村民の手によって復興された。

社伝によれば文久3年(1863)に大修理が行われている。

明治時代になると村社に列せられている。


【参道】


奥に見えるのが二ノ鳥居です。

参道に路上駐車している青い車は私の車ではありません。
神社には専用の駐車場はありませんでした。


【表門】


車は境内に停めて良いのかも知れませんが、
大安寺の駐車場に停めた方が無難ですね。


【境内】


奈良の地元に根ざした神社のように質素な雰囲気を感じる境内です。

石清水八幡宮のようにド派手ではありません。
あの神社の資金力は日本全国屈指のものですから。

そりゃ比べたら石清水八幡宮は認めたがらないだろうなと思う。


【手水舎】





【中門】



【拝殿】





【狛犬】





【本殿】





【境内社】













【境内】


拝殿から表門を撮影したもの。

これにて参拝終了。

御朱印はありますが、境内の掃除が忙しそうだったので今回は辞退した。

またの機会に。


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