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Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてⅢ

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印が趣味です。
生きた証として好き勝手に書いております。(笑)

妙心寺(2022年1月22日参拝)

2022年05月24日 | 仏閣
大徳寺の次は遅めの昼食で妙心寺の花園会館へ。
花園会館にある花ごころさんの釜揚げ膳が好きでいつも食ってます。


【釜揚げ膳】


腹ごしらえを済ませ妙心寺を伽藍だけ参拝します。


所在地:京都府京都市右京区花園妙心寺町64
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:釈迦如来
創建:暦応5年/康永元年(1342)
開基:花園法皇
開山:関山慧玄


【南総門】



【三門】


慶長4年(1599)建立の重要文化財。


【参道】



【仏殿】






文政10年(1827)建立の重要文化財。


【三門】



【法堂】




明暦3年(1657年)建立の重要文化財。


【玉鳳院】






こちらは非公開の塔頭寺院ですが、
以前、特別拝観した時に驚きました。

開山堂の横に武田信玄、武田勝頼、武田信勝、武田信豊の
供養塔が並んであるではありませんか。

まさかここで我が御屋形様である信玄公の供養塔があるとは。

驚いたとともに感動しました。

武田家の供養塔の横にもう二つ供養塔がありました。
良く見ると織田信長と織田信忠の供養塔。

戦国の覇権を争い武田家を滅ぼした織田家の供養塔が並んでいるとは。
京都の寺院はさすがに凄いな。

大徳寺塔頭 聚光院(2022年1月22日参拝)

2022年05月22日 | 仏閣


続いて特別公開している聚光院を参拝します。

その前に日本一参道が美しいと思っている高桐院に寄り道。


【高桐院】






はぁ、まだコロナのせいで拝観中止が続いているのか。
いい加減にしろコロナ。






この先を進むと素晴らしい参道が待っているというのに。
無念じゃ。

さて、気を取り直して聚光院


<2021年3月14日参拝>
https://blog.goo.ne.jp/051006250510/e/37d98707e036a0d9d73de7cbdea30baf


所在地:京都府京都市北区紫野大徳寺町58
宗派:臨済宗大徳寺派
創建:永禄9年(1566)
開基:三好義継
開山:笑嶺宗訢


【縁起】



【参道】



【山門】



【前庭】













【庫裏】






ここから先は一切撮影不可です。


デジタルコピーであっても梅花禽鳥図と琴棋書画図は素晴らしかった。
せめて写真撮影はしたかったね。

コピーだったら良いと思うんだけど。

茶室とお庭は特にくるものは感じませんでした。

それぐらい襖絵が凄すぎた。
重要文化財の茶室が印象に残らないほどに。

これにて聚光院の参拝終了。

何だか襖絵を見に行ってるだけになって、
本来の目的である仏様を拝みに行ってる気がしない。

聚光院も仏間が遠く仏様は見せないし、
襖絵、茶室、庭園の三点セットを売りにしているので仕方ないが。

ちなみに書き置きの御朱印がありましたが、
今年も千円だったので華麗にスルーしました。

大徳寺(2022年1月22日参拝)

2022年05月20日 | 仏閣
続いて聚光院を拝観する前に大本山大徳寺を参拝です。
やはりあの大伽藍を見たら無視なんて出来ませんわな。


所在地:京都府京都市北区紫野大徳寺町53
宗派:臨済宗大徳寺派
御本尊:釈迦如来
創建:正中2年(1325)
開基:大燈国師宗峰妙超禅師


【金毛閣】




もはや説明不要。




あの千利休像はこちら側の楼上に安置されているそうです。

この利休像はいつの日か実際に見たいものである。


【仏殿】




重要文化財。


【金毛閣】





【法堂】







【本坊】


御朱印は本坊の門をくぐって右手にある庫裏の玄関でいただけます。


ちなみに現在、方丈の畳を修復して後生に残す為に、
クラウドファンディングを実施されています。

ただ、金額が大きいのが一般人には難です。
お金持ちやリターンを求めない方は張り切ってどうぞ。

https://the-kyoto.en-jine.com/projects/daitokuji

大徳寺塔頭 大光院(2022年1月22日参拝)

2022年05月18日 | 仏閣


続いて本日の大本命とも言うべき塔頭の大光院へ。

大光院は京の冬の旅初公開だけでなく、
恐らく過去にも拝観されたことが無い超レアな拝観となります。

ましてや狩野探幽筆の雲龍画も見れるとあっては参拝はマスト。
拝観が楽しみです。


所在地:京都府京都市北区紫野大徳寺町92
宗派:臨済宗大徳寺派
御本尊:釈迦如来
創建:文禄元年(1592)
開山:古渓宗陳
開基:豊臣秀保


【南門】




南門を抜け北王子通りを少し歩き大光院に到着。


【古渓宗陳】
越前国の戦国大名である朝倉氏の出身。
天正元年(1573)笑嶺宗訢の法を継ぐ為、
堺市南宗寺から京都大徳寺の住持職となった。

織田信長が本能寺の変で横死すると、
羽柴秀吉が信長の葬儀を行った際にも導師を務めた。

天正19年(1591)豊臣秀長の葬儀の導師を務めるが、
この年に発生した利休の切腹事件に絡んで事件の責任をとらされた。
その際、いたく立腹した秀吉が大徳寺の破却を試みるが、
古渓が使者の前に立ちはだかり短刀で命を絶とうとした為、
秀吉は慌てて使者を引き上げさせたと言われている。


【豊臣秀保】
豊臣秀吉の姉・瑞龍院日秀の子で後に豊臣秀長の婿養子となる。
大和国の国主で大和大納言と呼ばれた秀長を継ぎ、
官位が中納言であったことから、大和中納言の通称で呼ばれた。


【縁起】
文禄元年(1592年)豊臣秀吉の実弟秀長の菩提を弔う為に、
秀長の継嗣である秀保が古渓宗陳を開山として招き、
所領である大和郡山に建立した。

大光院の名称は秀長の戒名からとられている。

しかし秀保が早世した為に家が断絶すると、
秀保の家臣・藤堂高虎により慶長4年(1599年)
本山である大徳寺の山内に塔頭として移された。
以降、江戸時代を通じて伊勢国津藩藤堂家により援助が行われた。

文化3年(1816)に焼失するが、
文政年間(1818-1830)に藤堂氏により再興された。


【山門】


他の塔頭と同じような大きさの山門です。
慶長4年(1599)建立されたもの。


【参道】



【鳥塚】



【参道・唐門】


これより先は撮影禁止でした。


【庭園】


画像はネットで拾ったものです。

雪はありましたが普通のお庭でしたね。


【雲龍図襖】




屏風を襖に直しただけあって、
襖に縦の線が何本もありました。

それがちょっと残念でしたが、
素晴らしい龍でした。
(画像はネットで拾ったもの)


【蒲庵】


黒田官兵衛好みの茶室とか。
(画像はネットで拾ったもの)

これにて初めての大光院の参拝終了。

もう二度と無いかも知れない。
逆に癖がついてこれからたまに特別拝観するかも知れない。

これから開かれた寺院になっていけば良いですね。

御朱印は書き置きがありました。

大徳寺塔頭 黄梅院(2022年1月22日参拝)

2022年05月16日 | 仏閣
続いて庭園が見事な黄梅院へ。

お庭がそんなに好きでは無い私ですが、
が醍醐寺三宝院と仁和寺御所庭園と共にお気に入りの庭園です。

その庭園に雪が残っているとあっては行かずにはいられない。
にも関わらず私が参拝した時はほとんど貸し切り状態。

ありがたいと思うと同時に勿体ないという気持ちを持った。
京都って冬は寒いイメージがありますが、
雪が積もる程降るなんて滅多にないですからね。

金閣寺ばっかりに行ってる場合じゃない。(苦笑)


<2020年9月20日参拝>
https://blog.goo.ne.jp/051006250510/e/f3d9c428630c9ea26539afd7b9460fc1
https://blog.goo.ne.jp/051006250510/e/04fdf565f6772f9970d2d9a052e8b593
https://blog.goo.ne.jp/051006250510/e/a024f1b03057912e25c40ee5b5b6706f


所在地:京都府京都市北区紫野大徳寺町83-1
宗派:臨済宗大徳寺派
御本尊:釈迦如来
創建:永禄5年(1562)
開山:春林宗俶
開基:織田信長


【縁起】
臨済宗大徳寺派大本山大徳寺の塔頭寺院。
永禄5年(1562)当時28歳の織田信長が初めて上洛した際に、
父・信秀の追善菩提の為に小庵「黄梅庵」を建立したことに始まります。

本能寺の変によって信長が急逝すると、羽柴秀吉がこれを徐々に増築し、
天正17年(1589)に黄梅院と改めました。

天正年間に建立した本堂・唐門・庫裏が国指定重要文化財されている。

毛利元就の三男で豊臣秀吉政権の五大老をも務めた小早川隆景の寄進による、
禅宗寺院において現存最古の庫裡や、加藤清正が朝鮮出兵の際に持ち帰ったとされる釣鐘、
また狩野永徳や長谷川等伯と並ぶ桃山時代の日本画家、雲谷等顔の障壁画を所有。

毛利家、織田家の墓所の墓所であり、小早川隆景、蒲生氏郷等の墓塔がある。

庫裡、鐘楼、客殿などは小早川隆景が寄進したもので、
鐘楼に使用されている釣鐘は加藤清正が献上したもの。

秀吉の軍旗瓢箪を象った空池を持つ直中庭を千利休が作庭するなど、
桃山時代の戦国大名、文化人と非常に縁の深い寺院です。


【表門】



【石柱】



【前庭】




この庭ですら素晴らしい。


【鐘楼堂】



【庫裏】



【門】


拝観料支払い境内へ。

通常の春秋の特別公開の時は撮影は前庭のみなのですが、
黄梅院独自の公開の時は嬉しいことに撮影OKです。


【境内】




いい感じに雪が残ってます。
寒さなんか気になりませんよ。


【向春庵】



【黒門】



【渡り廊下】



【直中庭】





【一枝庵】


茶室。

内部の模様は施工業者がアップされています。
https://kyoto-yamamotokogyo.com/works/isshian/


【自休軒】





【直中庭】



【西庭】



【自休軒】



【直中庭】






ここから見る庭園が好きなんですよね。
雪の庭園はまた格別です。


【手水鉢】



【破頭庭】







【本堂】




お参り。


【室中の間】


奥の仏壇には信長公、織田信長公の父信秀公、豊臣秀吉の母・天瑞寺殿、秀吉公、高台寺殿、
毛利元就夫妻、輝元公、小早川隆景公、毛利家一門、信長公娘冬姫婿蒲生氏御公、等々祠壷されている。


【閑坐庭】












閑坐庭の白川砂は本堂北裏の作仏庭から、
本堂前の破頭庭に向かう水の流れを表現し、
途中の石は小舟に見立てているそうです。

大きな石を見てると小舟というより大きな船に見えますね。(笑)

余談ですが渋谷のセルリアンタワー東急ホテルに、
同じ名前の閑坐庭の日本庭園があります。

https://www.homify.jp/projects/56865


【作仏庭】







【書院の間】





【庫裏】


【東禅軒】


茶室。
たまにお薄がいただける茶会があります。


【本堂前庭園】





【鎮守社】



【直中庭】




これにて黄梅院の参拝修了。

もう二度と雪の庭園を見ることが出来ないかも知れないので、
今日参拝出来て良かったです。

大徳寺塔頭 興臨院(2022年1月22日参拝)

2022年05月14日 | 仏閣
先ほど参拝した瑞峯院の次はお隣の興臨院。

能登の戦国武将畠山義総が開基として創建された塔頭寺院で、
畠山家が衰退した後はあの前田利家が再興したそうで、
前田家の菩提寺でもあります。

こういうビッグネームが出てくるのが京都の凄さですね。


所在地:京都府京都市北区紫野大徳寺町80
宗派:臨済宗大徳寺派
御本尊:釈迦如来
創建:大永年間(1521-1528)
開山:仏智大通禅師
開基:畠山義総


【縁起】
大永年間(1521-1528)に能登国の守護大名・畠山義総が、
大徳寺86世の仏智大通禅師を開山として建立。
義総の法名をとって寺名を興臨院とした。

以来能登畠山氏の菩提寺となる。
創建年次については天文2年(1533)ともいう。
天文年間(1532-1555年に本堂が焼失、再建。

その後、能登畠山氏は没落、畠山氏の代わりに前田利家により、
天正9年(1581)に改修が行われ、以後は前田氏の菩提寺となった。


【畠山義総】
戦国時代能登守護大名。
戒名興臨院殿伝翁徳胤大禅定門。


【山門】




重要文化財。


【参道】



【唐門】


重要文化財。

こちらが拝観入口です。


【前庭】





【花頭窓】



【方丈】




重要文化財。


【方丈庭園】














やはり雪の時はひと味もふた味も違う。
普段はそんなに庭園が好きでは無い私でもめっちゃイイと思う。


【方丈北庭】






こちらは紅葉の時がお勧めです。


【琴心塔】



【鎮守社】



【蹲踞】




茶室の涵虚亭の前のお庭はTHE京都といった風情が素晴らしい。




このさりげなさがオシャレ。






マジか?アライグマラスカルが出るとは驚き。


【涵虚亭】






ここまでは撮影はOKで最奥の茶室は撮影不可でした。

この茶室は山口玄洞という実業家の寄進によるもの。


【山口玄洞】
文久3年(1863)に尾道に生まれ、大阪で洋反物の商売で財をなし、
高額納税者の互選で決まる貴族院議員まで上り詰めた人物。

その財を多くの慈善事業、寺社に多額の寄付をし、
寄付金王とまで呼ばれた。

主な寄付先は早稲田大学基本金、慶應義塾医科学科設立資金、延暦寺横川多宝塔、
延暦寺阿弥陀堂、神護寺金堂・多宝塔新築、醍醐寺大伝法院本堂等。

その総額は700~800万円にものぼり、
当時の1円は現在の約4000円とされていることから、
現在の貨幣に換算するととんでもない金額になりますね。

玄洞のこうした常軌を逸した寄付をする精神的背景には、
碧巌録にある「無功徳の精神」があったとも言われる。

世間では富豪の道楽と見る向きも少なくなかったが、
玄洞はこれを聞くと「人は脂汗をしぼって資産を作ったが、
自分は血の汗をしぼったのであるから、よもや道楽や名利のために寄附することはできない。
ただ、信仰の道に入って、寺院の前途を考えるとき、やむにやまれぬ気持ちから寄進するのだ」
と語ったという。

この人物は初めて知りました。
彼のおかげで多くの寺社の存続が続き、
素晴らしい建築物が見れる。

また医学の発展にも貢献された。
これはお墓参りしてお礼をしなければなりませんね。

お墓は大徳寺塔頭龍翔寺と広島尾道の西国寺に分骨埋葬されているそうです。
残念ながら龍翔寺は非公開寺院なのでお墓参り出来ないのが残念。

尾道の西国寺は以前参拝したけど墓地には寄って無かったからなぁ。
また尾道に行きたい。

https://blog.goo.ne.jp/051006250510/e/b0b3447d23595bc474bf0fecc711204b


これにて興臨院の参拝終了。

御朱印は書き置きがありました。

大徳寺塔頭 瑞峯院(2022年1月22日参拝)

2022年05月12日 | 仏閣
続いて大徳寺へ移動。
大徳寺の塔頭寺院でも京の冬の旅で特別公開しています。

その塔頭寺院に行く前に瑞峯院を参拝します。
こちらでも雪が残っていると思うので楽しみです。


所在地:京都府京都市北区紫野大徳寺町81
宗派:臨済宗大徳寺派
創建:天文4年(1535)
開基:大友宗麟
開山:大満国師徹岫宗九


【縁起】



【大友宗麟】
戦国時代九州六カ国を支配した大名でありキリシタン大名。
大友義鎮が本名で宗麟が法名で後にキリシタンに改宗。

瑞峯院の名前は大友宗麟の瑞峯院殿瑞峯宗麟居士から名付けられた。

津久見市にある宗麟の墓地にはキリスト式と仏式のお墓があります。
仏式の墓標には戒名瑞峯院殿前羽林次将兼左金吾休庵宗麟大居士が刻まれ、
何百年もの長き間、仏式の墓に葬られていた宗麟。

キリシタンだった宗麟の気持ちやいかに。


【徹岫宗九】
文明12年生まれ。
京都大徳寺の小渓紹怤に師事してその法を継ぎ同寺の住持となる。
後奈良天皇の帰依をうけ、朝廷より大満国師を賜る高僧。


【総門】


大徳寺の入口です。


【唐門】



【大慈院】






瑞峯院の隣にある塔頭寺院です。
拝観していないのは分かっていたが雪の風景が見たくて寄り道。


【瑞峯院方丈】


ここから方丈が見えました。


【参道】


普段は非公開ですが座禅体験で入ることが出来ます。

座禅が体験が出来ますので御予約やこちらで。
https://select-type.com/rsv/index.php#cal_area




さて、瑞峯院へ。


【表門】




重要文化財。


【井戸】



【参道】






雪はいいですね~。

京都でたまに雪が降るとみんな金閣寺に行って大混雑している。

写真を撮りたい人達で溢れかえって阿鼻叫喚になっている金閣寺に行くぐらいなら、
心静かに参拝出来る禅寺に行った方が断然良いよ。


【前庭】



【井戸】



【雪と南天】



【独坐庭】






百丈禅師の言葉である独坐大雄峰という禅語から命名されて庭園。

普通の砂紋より大きくまるで岩礁と大波のようなインパクトのある庭園です。


【仏間】







【餘慶庵】


茶室。


【庭園】



【キリシタン灯籠】



これにて瑞峯院の参拝終了。
御朱印は書き置きがありました。

興聖寺 特別拝観(2022年1月22日参拝)

2022年05月10日 | 仏閣
https://www.youtube.com/watch?v=tqUQNKoc7fc&t=55s

京の冬の旅特別拝観はまだまだ続きます。
次は興聖寺です。

興聖寺といえば宇治の方が有名ですが、
上京区にも立派な興聖寺があります。

以前参拝したことがありますが、
まともに拝観出来なかったので今回はとても楽しみです。

40年振りの公開だそうです。

通常、車は境内に無料で停めれるのですが、
特別拝観時は停めることが出来なくて近くの有料駐車場に停めました。


所在地:京都府京都市上京区堀川通寺之内上ル二丁目上天神町647
宗派:臨済宗興聖寺派
御本尊:釈迦如来
創建:慶長8年(1603)
開山:虚応円耳
開基:伝・古田織部


【縁起】
慶長8年(1603年)に妙満寺・日重上人の弟子である虚応円耳が、
法華宗の教えを広めるために東隣の大応寺から移って創建した。
創建時は興正寺といった。

茶人・古田織部との関係がいわれているが、
織部の妻センが隠棲した北野天満宮隣りの青霄院がセンの死後移転して同寺の塔頭となり、
その後、豊後国岡藩の家老・古田家が織部と子らの墓を建てた関係で、
昭和になってから織部寺と呼ばれるようになった。

これは当時の住職・日種譲山の働きかけによるものである。
織部は大徳寺住持・春屋宗園に参禅しており、日蓮宗の虚応に開基を頼むわけもなく、
当寺と織部との関係を示す記録は一切ない。

江戸時代の初期に後陽成上皇及び後水尾天皇の勅願所となった。

元禄14年(1701)に日蓮宗より禅宗寺院となり、
塔頭も数十か寺を数えるほどであったという。

天明8年(1788)の天明の大火で仏殿を残して全焼したが、その後再興された。

明治20(1887)に臨済宗相国寺派に所属を変えるが、
昭和28年(1953)に臨済宗興聖寺派の本山として独立している。

絵師・曾我蕭白とその一族の菩提寺でもある。


【山門】



【鐘楼堂】



【本堂】




立派な本堂です。

余り降らない雪も残っていて雰囲気がいい。


【境内】



【庫裏】





【本堂】





【石塔】



【境内】



【拝観入口】



【花頭窓】



【前庭】


右に見える建物が方丈ですが、
先に本堂へお参りです。


【本堂】


堂内は撮影不可でしたので、
画像はネットで拾ったものです。

禅宗寺院らしい本堂で天井には見事な龍が描かれていました。
まったく見飽きない龍図でしたよ。

祖的という人物が描いたそうですが、
調べてもよく分かりませんでした。

あれほどの画力があるならば名が通ってるはずなんですけど。


【御本尊】


釈迦三尊像の後ろにも仏様が祀られていました。

今度いつこの本堂に入れるか分からないので、
満足するまで結構な時間居ました。

去りがたい気持ちを抑えつつ方丈へ。


【方丈】


杏橋幹彦氏が撮影した写真を引き延ばし襖に貼った青波の襖です。

最初は方丈にこの襖は違和感あるなぁと思っていたが、
段々馴染んできてこれはありだと思いました。

思えば古田織部も斬新なデザインの作品を沢山造っておられた。
古田織部の菩提寺にこの青波の襖はピッタリだと思います。

写真撮影OKでした。


【天井絵】






こちらは檀家さんが描いたそうな。


【生け花】


花よりも立派な備前焼の花瓶がとても気になりました。
あれは高いだろうなぁ。(笑)


【方丈庭園】






寒いけど雪の庭園は素晴らしい。

今日来て本当に良かったよ。


【降り蹲踞】






螺旋階段があって底に蹲踞がありました。
これは珍しいですね。


【織部灯籠】



【中庭】







【雲了軒】


奥に見える建物が茶室である雲了軒です。
内部は残念ながら撮影不可でした。


【古田織部像】


仏間には古田織部像がアンチされていました。

撮影禁止でしたので画像はネットで拾ったものです。


これにて興聖寺の参拝終了。
本堂や雪の庭園が見れて大満足です。

また参拝したいですね。

御朱印は書き置きがありましたが、
いただきませんでした。

何だか御朱印を欲する気持ちが薄れてきている今日この頃。

東本願寺 御影堂門特別拝観(2022年1月22日参拝)

2022年05月08日 | 仏閣
いよいよ東本願寺の御影堂門へ登ります。
楽しみです。


【御影堂門】




明治44年(1911)再建されたもので重要文化財。

まさに威風堂々たる山門です。

寺社の建築物とすればまだまだ若い山門ですが、
高い格式と国内最大級の木造建築物が評価され重文に指定されました。








拝観料を支払いいよいよ楼上へ。




どこの山門も階段は狭く急で登り難いもんです。




振り返るとこんな感じ。




ついに楼上に登りました~。
感動。

https://youtu.be/D-LhQ_qa8Go






鳩よけで網で囲われていました。

早速楼上の堂内へ。


【堂内】


御本尊釈迦如来と弥勒菩薩、阿難尊者が祀られていました。
この組み合わせは珍しいですね。

画像はネットで拾ったものですが、
堂内は意外にもあっさりとした感じです。

東福寺や南禅寺の山門の楼上は豪華絢爛ですけどね。

天井は白に塗られていました。
本来は飛天舞楽図が描かれる予定であったが事情により、
無くなったそうです。


【扁額】



【楼上】








楼上はぐるっと一回りすることが出来ました。






この角度から大伽藍を見れて良かった。


【京都タワー】



【阿弥陀堂門】




明治44年(1911)再建されたもの。
重要文化財。


【北側築地塀・長屋門】



【菊の門】




勅使門だけあって豪華な門です。
国登録有形文化財。


【玄関門】


明治44年(1911)再建されたもの。
国登録有形文化財。


【北側築地塀・鬼門除け】


鬼門除けとは建物の北東の隅に角を作らないように缺け(かけ)を設けるもの。
北東に当たる隅を削り落としたり凹ませたりすれば角が無くなるので、
鬼門自体が消滅するという考え。

つまり鬼が出てくる門、所謂鬼門の存在自体を消すことが出来るという思想。


【築地塀】


これにて久しぶりの東本願寺参拝と御影堂門の楼上拝観終了。

大満足です。
また登りたいね。

東本願寺(2022年1月22日参拝)

2022年05月06日 | 仏閣


本日の京の冬の旅の特別拝観第二弾は東本願寺です。

冬の旅で本願寺系は例年参加されていませんが、
今年は東西の本願寺が参加されていて、
東本願寺の特別拝観は巨大な阿弥陀堂門です。

各宗派本山の山門に登ってきましたが、
この阿弥陀堂門は滅多に登れない山門。

それが特別拝観として登れるとあって楽しみです。


所在地:京都府京都市下京区烏丸通七条上ル常葉町754
宗派 :浄土真宗大谷派
御本尊:阿弥陀如来
創建:慶長7年(1602)
開基:教如上人(本願寺第12世)


【縁起】
東本願寺は1272年に鳥辺野北辺の大谷に収められていた宗祖・親鸞聖人の遺骨を、
娘の覚信尼と門弟らが吉水の北の辺に改葬して廟堂を建てたのが始まりといわれています。
廟堂は覚信尼が留守職として護持し、本願寺の基礎を築きました。
1321年には第3代の覚如によって寺院化され大谷本願寺と呼称するようになります。

本願寺の中興の祖とも言われる第8代・蓮如によってその教えが広まりましたが、
そのことが原因となり1465年、比叡山延暦寺西塔の衆徒によって破却されてしまいます(寛正の法難)。
その後、1483年に本願寺は山科で新たに山科本願寺が造営され、
さらに1532年大坂・石山のかつて蓮如の隠居所だった大坂御坊へと移転。

1570年から11年間におよぶ織田信長との戦い(石山の戦い)に敗れた後は、
紀伊・鷺森へ退去しますが、豊臣秀吉の時代になり、
1591年には本願寺が京都に帰ることを許されます。
そこで第11代・顕如が京都・六条堀川へ阿弥陀堂・御影堂を作り本願寺した。

第11代・顕如の入滅に伴い、長男の教如が本願寺を継承しましたが、
教如は大坂本願寺の退去時に顕如上人と意見が対立していたこともあり教団内では内部分裂。
そして関ヶ原の戦い後、教如を第12代宗主とする本願寺教団(現在の真宗大谷派)と、
准如(顕如の三男)を第12世宗主とする本願寺教団(浄土真宗本願寺派)とに分裂。

教如は1602年に徳川家康から京都・烏丸通七条の寺地を寄進され、
そこに阿弥陀堂・御影堂を建立し、もう一つの本願寺を完成。
これが現在の東本願寺となっています。
なお准如が継いだ京都・六条堀川の本願寺は現在の西本願寺となっています。

その後、明治時代になると新政府による仏教弾圧の動きや幕末戦火において、
両堂を失い苦境にも立たされましたが、全国の門徒によって財政再建を果たしました。


【駐車場】


西本願寺は大型の無料駐車場がありますが、
東本願寺も小さいながらも無料駐車場があります。

花屋町通り沿いの門から入ると駐車場ですので参考にしてください。


【境内】


右が大玄関、左が玄関門、真ん中に京都タワーです。


【京都タワー】



【玄関門】


明治44年(1911)再建されたもの。


【大玄関】


東本願寺境内最古の現存建造物で慶応3年(1867)再建されたもの。


【菊の門】




元は慶長9年(1604)に徳川家康が寄進した勅使門は火災で焼失。
現在の門は明治44年(1911)再建されたもの。


【大寝殿】


東本願寺正殿として重要な法要儀式の場が大寝殿。

明治元年(1868年)再建されたもの。


【御影堂】






重要文化財。

まずはお参り。
さすがに大本山だけあって堂内は広く厳かでした。


【御影堂門】



【阿弥陀堂】






御影堂の方が大きいのでそちらが本堂と思われがちですが、
こちらの阿弥陀堂が本堂になります。

勿論阿弥陀如来が祀られています。

重要文化財。


【御影堂門】





【京都タワー】



【鐘楼堂】


重要文化財。。

明治27年(1894)再建、梵鐘は平成22年(2010)造。


【慶長撞鐘】


慶長7年(1603)徳川家康から京都烏丸六条の寺地の寄進を得た教如上人が、
同9年(1604)9月の御影堂の造営に合わせて鋳造したもの。







【乳】


どう見てもオッパイだなぁと煩悩丸出しで思っていました。(^^;

これは「にゅう」と呼ばれるもので108の煩悩の数あるそうです。
でも乳という名前が付いてるからやっぱりオッパイなんでしょうね。(笑

さて、長くなりましたので続きは次回へ。

妙安寺(2021年11月27日参拝)

2022年04月09日 | 仏閣
蒲田八幡神社の横に神宮寺と思われるお寺があります。
それが日蓮宗の妙安寺です。

早速参拝してみましょう。


所在地:東京都大田区蒲田4-18-15
宗派:日蓮宗
御本尊:一尊四士・日蓮聖人
創建:永禄年間(1558-1569)
開基:円光院妙安尼
開山:玄首院日建上人


【縁起】
当所地頭、行方修理亮義安が戦死の後、その室円光院妙安尼が、
兄斉藤政賢の屋敷内に庵室を結んだのがこの地である。

尼は法華宗を信奉して池上本門寺第12世仏寿院日現に帰依していたが、
天正17年(1589)尼が没した後、庵室を寺とし、開山を日建として開創した。

開基は円光院妙安尼、行方の家号を以って山号とし、
尼の法号を寺号としている。

新編武蔵風土記稿に所載せる八幡社(蒲田八幡神社)の御神体は、
明治初年の神仏分離に際して当寺の七面堂に移され、
安置していたが戦災により焼失。

この御神体は右手に軍配、左手に巻物を持った地蔵像で、
寺の言い伝えによれば開山日現が古川薬師安養寺と寺宝を懸けて法論し、
勝った日現が仁王像と地蔵像を持ち帰り、
論破の証左として軍配を持たしめたという。


【案内板】



【門前】


武蔵江戸氏の支流一族で蒲田の豪族であった斎藤氏の館跡だそうです。


【参道】



【石塔】



【七面堂】



【本堂】




コンクリ造りですが特徴的な本堂です。


【内陣・御本尊】








ガラス越しとはいえ見て拝めて良かった。


【紅葉】


これにて妙安寺の参拝終了。

御朱印は恐らく無いと思われます。

真正極楽寺 真如堂(2021年11月20日参拝)

2022年03月24日 | 仏閣
京都の紅葉巡りはまだ続きます。
栄摂院の次は真如堂です。

こちらの三重塔前の紅葉が美しくて有名な寺院です。


<2015年11月21日参拝>
https://blog.goo.ne.jp/05100625777/e/7f275db556201667bcfc0af95a599b4c


所在地:京都府京都市左京区浄土寺真如町82
宗派:天台宗
御本尊:阿弥陀如来(重要文化財)
創建:永観2年(984年)
開基:戒算上人
札所:洛陽三十三所観音霊場


【参道】



【紅葉】




もっと光を~。
アカン暗いわ。







【三重塔・紅葉】












全体的にちょっと遅かったかな。


【紅葉】







【新長谷寺】


洛陽の札所です。


【本堂】




堂内に入ってお参り。

相変わらずさすがの内陣です。

御朱印はコロナ対応で書き置きのみでした。


【三重塔】







【紅葉】


















真如堂の紅葉はちょっと遅かったし、
太陽光の光が弱く余り綺麗に見れなかったけど、
まぁ、満足しています。

栄摂院(2021年11月20日参拝)

2022年03月22日 | 仏閣
金戒光明寺参拝後、塔頭寺院の栄摂院へ。

こちらは知る人ぞ知る紅葉が美しいお寺ですが、
SNSによって多くの人に知られるようになりました。

最近、温暖化や都会の空気の汚れのせいか、
チリチリだったりどす黒い赤色だったりと、
昔より紅葉の色も年々落ちてきています。

しかし、こちらの紅葉は毎年真っ赤で、
なかなかこれだけの色を見れないので楽しみです。


<2015年11月21日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625777/e/21dbf1d88608f9f9508aeeb706fdbc03


所在地:京都府京都市左京区黒谷町
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:天正17年(1589)
開山:松誉琴察上人
開基:木俣守勝


【山門】





【紅葉】











おー、今年も期待通りの紅葉です。















素晴らしい。
結構知られるようになってしまったので観光客が多かったです。

「そうだ、京都に行こう」のツアー客も来ていて、
ツアー客は客殿に入れて羨ましかったです。






こんな綺麗な紅葉をずっと見ていられる仏様も羨ましい。


【黒谷明星井】







【庭園】





【龍光院】






栄摂院の前にある非公開寺院。

ここもいつか特別公開してほしいですね。

南禅寺(2021年11月20日参拝)

2022年03月19日 | 仏閣
永観堂からすぐ近くの南禅寺へ。

南禅寺はご存じ超有名寺院ですが、
永観堂や東福寺ほど紅葉は有名ではありません。

南禅寺の紅葉はどんなもんでしょうか。


<2015年11月21日参拝>
https://blog.goo.ne.jp/05100625777/e/f4d9cea1b3c0949d933babe5c2061e4d


所在地:京都府京都市左京区南禅寺福地町86
宗派:臨済宗南禅寺派
御本尊:釈迦如来
創建:正応4 年(1291)
開基:亀山法皇
開山:無関普門


【三門】




重要文化財。

石川五右衛門が絶景かな絶景かなと言ったとか言わないとかの三門です。
まぁ、実際三門に登ってみましたが、絶景ではなかったです。(笑)


【紅葉】


















うーむ、遅いのか早いのかよく分からんが、
良いものとあんまりよく無い紅葉もあり全体的にはイマイチかな。
綺麗な紅葉もあったけど。


【法堂】








現在の法堂は明治42年(1909)に再建されたもの。

そういや法堂の中は入ってない気がする。
いつか入りたいね。

南禅寺は法堂を参拝して終了。
昼飯を食いに行こう。

しかし南禅寺参道にブルーボトルコーヒーが出店してた。
ただ、ここはコーヒーが高いしサラダぐらいしか食いもんが無いのでスルー。


【京都市動物園】



【一番星】




友人に連れて行ってもらったラーメン屋さん。

入店すると豚骨ラーメン店ならではの匂いが漂う。
正直あんまり好きな匂いでは無かったが、
食べてみると美味しかったです。




お店は平安神宮の近くにあります。

哲学の道~永観堂(2021年11月20日散策)

2022年03月17日 | 仏閣




安楽寺から哲学の道へ移動中、
南天やコスモスを愛でる。

昔はそんなに興味無かったんだけどなぁ。

花鳥風月という四文字熟語があるけど、
いとうあさこがイモトアヤコに言った名言がある。

若い時は花に興味が無かったイモトは、
30歳を過ぎた頃から花が好きになった。

それが何故か分からない彼女はいとうあさこに、
その事を言った時に言われた言葉がこれ。

「日本には花鳥風月という言葉ある。
 最初は花にいく、ちょっと経つと鳥をかわいがる、
 次に風を感じる、最後は月をみて死んでいく」

いとうあさこは既に月を見ているそうだが、
私はまだ花の段階ですわ。(笑)


【霊鑑寺】


こちらは春秋に特別拝観があります。
御朱印は工夫を凝らした綺麗なものがいただけます。


【哲学の道】




この道は何度か歩いていますが、
いつまで経っても哲学のことは考えられません。(笑)


【紅葉】









【光雲寺】


徳川秀忠公とお江の娘東福門院和子所縁のお寺で、
特別拝観の時に参拝しました。

仏殿や庭園とか素晴らしかったです。
またいつの間にか参拝したいものです。


【琵琶湖疎水分線】


自然ではなく作られた疎水です。








癒やされますわ~。


【紅葉】






奥の建物は叶 匠壽庵 京都茶室棟という食事処・甘味処です。
入りたかったが2021年は営業中止していて残念。


【山門】


永観堂に到着。


【紅葉】






さすが永観堂という紅葉です。






山門に入ると観光客で長蛇の列。
一時間以上待ちとか。(^^;

私は夜間ライトアップで参拝するので、
今は見れる範囲で紅葉を楽しむ。










まだ最盛期では無いけど、
夜だったらある程度盛れるでしょ。(笑)