古稀を過ぎた主夫の独り言日記

主夫の独り言
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アフリカの想い出

歩き始めました

2013-02-01 20:22:00 | 日本語教師のつぶやき
会社に通っている頃は
毎日1万歩以上歩いていた
しかし、退職後歩くことが少なくなっていた

先週から、再び歩き始めました
昨日は110分、11km連続で歩いた
まだまだ歩ける

今年は、富士登山をする
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会社は変わってしまった、世の中も

2013-02-01 19:06:15 | エッセイ
私は退職してからちょうど1年半
世の中から少し距離が開いてしまった気がする
世の中は、自民党がまた返り咲いた
しかも、二度目の阿部政権になった
アベノミクスとして、日本経済の再建をするという
しかし、

私が思うに、10年以上前から日本の経済は変わってしまった
何か、
それは、会社の考え方が資本家寄りに代わってしまったことだ

それまでの会社は、2番目に社員の大切さを訴えた
ところが、
10年ほど前から私の勤めていた会社も含め
出資者を大切にするべきとの、アメリカ的な経営を模索しだした
これが、日本の慢性的な間違いだ
会社は出資者のためにあるのではない
嘗ての栄光が、このままで、戻ることは決してない
アベノミクスは
虚構

出資者は、その会社が伸びる可能性があるからこそ出資している
それが基本だ
そして、その伸び代から還元されるのだ
それで十分なのだし、出資できるような余裕のある人はそうした確実な見返りで充分なのだ
働く社員に最大限の還元をし
ほんの少しの比率、ではあるけれども、多くの金額を出資者が受け取る

ところが、今のアメリカ的出資者は経営の中心に入り込み
出資者にこそ、最大限の還元をすべきだと主張する
そして、ゆとりのある資本家が甘い液をたっぷり吸うことになる
富める者は更に富み、貧するものはさらに貧する世の中になってしまっているのだ
この流れは今のままでは決して変わらない
変わらないことは、政治家にとっては嬉しいことだ
言っておこう、政治家は貧する者の側に立つことは決してない
もし、あるとしたら日本共産党くらいだ
経営者も貧するものに味方することはない
何故なら、
政治家も、実は資本家であり、出資者であるから

出資者が、会社も・政治も・世の中も牛耳ってしまっている
我々、庶民が出る幕はないのだ
このことを、若者はなぜ知ろうとしないのだ
窮する若者
窮する老人
この責任の半分は若者にある
そして、半分は老人にあるのだ

老人は、考えることが:面倒になって来てしまっている
だから、今まで通りの政党を支持する
その、隠れた仮面を知らずに、老人は支持しているのだ

私は知っている
老人の言葉を
「自由民主党が今の世の中を良くしてくれた」
「だから、自民党を支持する」
この形の支持が多いのは驚きだ

私も、自民党の支持者であった
池田勇人首相の「貧乏人は麦を食え」
この言葉は、私の胸を打った
この言葉の裏には「世の中を変えるのは君たちだ」
という、強いメッセージがあった
そして、日本という国が伸びる要素が無限大にあった

昭和30年代、40年代と日本は伸び続ける
その時の夢を老人は懐かしく思い、まだそれが続くと勘違いしている
しかし、
残念ながらこの時代は日本には二度と戻らない

若者の間違いはどこにあるだろうか
それは、政治に参加しないことだ
よく聞く言葉、「俺たちに、何ができるというのだ」
「俺たちは年金なんかもらえないんだから、支払いたくない」
「どうせ、同じだから投票する意味はない」

言おう
若者がやらない限り、何も変わらない
昭和という時代も
明治維新という時代も
世の中を変えてきたのは、若者だ

若者の奮起を願う

資本家になる前に、若者として振舞おう
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