大川宇八郎は音更の開拓者であるが、
彼はアイヌ女性(オイカ)と結婚した。
オイカさんの口には刺青があった、と記述あり。
鈴木銃太郎もアイヌ女性(コカトアン)と結婚した。
彼女は口に刺青をしていたのか?。
この疑問に答える記述はどこにも記録されていない。
明治4年に開拓使は、アイヌ民族を平民として戸籍法を制定し、アイヌの女性の口などの刺青を禁止布達した。
明治4年はコカトアンは3歳。おそらく口の刺青は施されなかったと解釈するのが自然。
開拓使の布達はその後のアイヌ文化、風習を変えてしまう拘束があったと思う。
しかし、行政職員であるアイヌ研究家の某氏は「コカトアンの口には刺青があったはずだ」と断定した。
彼は、何を根拠に断定したのか?。私は不思議でならない。
例・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日ハムの中田翔選手は「あごヒゲ」を生やしているか?
レアード選手は「あごヒゲ」を生やしているか?。
中田は「あごヒゲ」あるよ。
レアードは「もみあげ、口ヒゲ」もあるよ。
じゃ、大谷翔平は「ヒゲ」を生やしているか?。
大谷は、まったくヒゲの話題は出ない。(休みの無精ひげあるかも)
だから「大谷にはヒゲがあったか」なんて誰も質問しない。
つまり、鈴木銃太郎の妻常盤さん(コカトアン)の口に刺青はなかったのではないか?。
西士狩時代、上美生時代、伏古時代、上伏古時代、更別時代、銃太郎一家は
移転してきた。多くの人々が銃太郎家族と接し、回想しているが、「常盤夫人は口に刺青あった」などの記述はどこにも触れられていない。
鈴木銃太郎
アイヌの家(チセ)
私がなぜ複製でない明治時代の写真を所有しているのか。信頼され保存を託された。
大川宇八郎の妻オイカさんは、口に刺青があるため、
娘とお祭りなどゆくとき、並んで歩くのを躊躇した。
「私と離れて歩きなさい・・・」と娘に言ったとか。
娘たちが「アイヌの子」と差別されるのを悩んでの発言。
そのうちの一人の娘は、「私はお母さん好きだから、そんな気にしない」と応えた子がいた。
ある意味で感動した。