よしだルーム

吉田政勝の文学的な日々

鈴木銃太郎没後90年(2016年6月30日)

2016-07-01 09:15:32 | 日記




 自ら開拓する土地をもとめて明治十九年の早春に、渡辺と宮崎濁卑とともに帯広から十勝川をさかのぼった。宮崎は道庁の開墾事業の帯広地域の担当で、またアイヌたちへの営農指導を熱心に担っていた。

 十勝川から上陸し、空を覆うほどの密林をかきわけトクサ原を踏みしめて、傾斜の山を登った。標高百二十八メートルの然別オチルシに呼吸を整えながら立ちつくした。梢の向こうに十勝川左岸に広がるシブサラ(西士狩)の草原地帯を発見した。
「この地の開墾こそわれらの手で!」重太郎は叫んだ。

 重太郎らの西士狩開墾の始動は、その年の六月二十三日だった。
 重太郎に妻常盤、渡辺、アイヌの雇い人が同行した。この日持参したもの、樽三個、シナ縄三把、芋一俵、飯米一斗、干しサケ、鍋、鍬など。川を遡り生い茂る草原をかき分け、目的地に着くと、小宴会を開き酒を酌み交わして前途を祝った。
 約一週間、小屋造りに費やした後で、およそ五十歩開墾に着手した。重太郎は、シブサラに移住するつもりでいたが、妻常盤が身ごもっていたので、通い出作として当分は帯広にとどまることにした。


↑小説用のために銃太郎は重太郎に。荒唐無稽な虚構は避けているが、
 創作の自由さをとりいれた。歴史記録は逸脱していない自負がある。
 小説の自由さは隠された事実の「真実を描くことにある」。(よしだ)

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4 コメント

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Unknown (Unknown)
2016-07-02 14:21:42
鈴木銃太郎亡くなってから90年経ちます。その日生まれた方は90歳生きている方亡くなっている方がいます。あと10年経つと満1世紀。私は69歳生きているかなぁ?後10年は生き抜いて、銃太郎と共にお祝いをしたいと思う。嵯峨山俊幸
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銃太郎の性格 (Unknown)
2016-07-02 17:34:31
アイヌ人に好かれて人情味のある方、またアイヌ人から泣きべそ旦那と言われてた。人との交流を大事にしてひたしまれていた。優しい方。
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Unknown (Unknown)
2016-07-05 06:31:34
晩成社三幹部、勉三、銃太郎、勝のうち、手広く開拓に成功したのは、銃太郎。アイヌ人に親しまれ、協力的。勿論勝も同様!カネのおかげで成功した方。銃太郎と勝は親戚。仲も良かった。今でも私は曾孫にあたるが、渡辺家とは交流を大切にしたい。
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Unknown (Unknown)
2016-07-08 16:20:18
鈴木家ー親長・直ー次男定次郎・ウメーハル・菅野善吉ー蘭子・嵯峨山勝広ー嵯峨山俊幸銃太郎ーカネー定次郎ー安三郎ーミツーノブ
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