二週間

2016年04月29日 | 日記
地震発生から2週間。比較的被害が軽微だったので「被災地」、「被災者」という言葉が身になじみませんが、昨日、持病持ちの友人が「部屋が片付かないので車中泊を続けている(涙)」というので片付けを手伝いに行き、まさに足の踏み場もない室内の様子に2週間前の記憶が蘇りました。2人で数時間かけてかろうじて寝る場所だけは確保しましたが、まだ自宅に入ることすらできず、なすすべもなく「悪夢であってほしい」と願う人たちがすぐ近くにたくさんいるのです。熊本市内は復旧のスピードが比較的早いような気がするのですが、テレビや新聞の報道はまだまだ胸の痛む内容が多く、これから先の道のりの長さが思われます。
そんな中、昨日M先生が東京から熊本入りされました。本来は今日から阿蘇で「メサイア」の合宿をすることになっていたのですが、皆さんとても遠出のできる状況ではないので、代わりに普段練習している老健施設のホールで集中練習をすることになりました。朝から5人の方が集まられたようですが、私は疲れが出て午前中は家で休み、午後の練習の途中にお邪魔しました。昨日の片付けで埃を吸い込んだのか喉がいがらっぽく、体にもあまり力が入らないので座って聴いているだけでしたが、皆さんよく声が出てのびのびと歌っていらっしゃったのには驚き、元気が湧いてきました。素晴らしい!私はこのところ1~2人のレッスンをするだけでぐったりしているのに、M先生はまだお体が完全ではないというのに何とパワフルなんでしょう。今更ながら脱帽です。
今日の練習の最後の方で、前回練習した『感謝します』という心に沁みる讃美歌を歌いました。「感謝します 試みに遭わせ 鍛え給う主の導きを 感謝します 苦しみの中に育て給う主のみ心を しかし願う道が閉ざされた時は つまづき 心が揺れました どんな時でも あなたの約束を忘れない者として下さい / 感謝します 悲しみの時にともに泣き給う主の愛を 感謝します こぼれる涙をぬぐい給う主の憐れみを / 感謝します 試みに堪える力を下さるみ恵みを 感謝します すべてのことを最善となし給うみ心を」という訳詞がついています。苦しみの中にあっても「すべてのことを最善となし給うみ心」を信じ、感謝する心に目覚めた時、人は厳しい現実にあっても希望を持って前に進むことができる。そのメッセージが心の隅々にまで響き渡るようでした。
この曲にはドイツ語の歌詞があるそうで、M先生がそれを歌って下さいました。歌詞を頂いて読んでみると、日本語の訳詞は人間から神への呼びかけになっていますが、ドイツ語の方は神から人間へのメッセージになっているんですね。「私はお前のそばにいる。心配で押し潰されそうな時、人生が無意味に思える時、私はそこにいる。私はお前のそばにいる。たとえお前がそれを信じられなくとも、感じられなくても、私はそこにいる。/ そしてすべては私の掌の内にある。私はお前の人生のすべてを知っている。私はお前に日々何が必要か、すべて知っている。心配は要らない、私はお前を愛している。お前は私の言葉を信じられるし、私がお前をどんなふうに一歩一歩導いているかを見るだろう。/ 心配は要らない、夜眠れない時、明日は何が起こるのかと思い煩う時、お前には私がついている。心配は要らない、たとえ人がお前の力になってくれなくても、自分が無価値に思える時も、私はお前を愛している。/ おお、いつの日か、私たちが互いに相まみえる時、お前の人生の道が私へと続く一本の道であったことに気づくだろう。その時にお前は理解し、驚くだろう、すべてに意味があったと。そして見るだろう、すべては私の掌の内にあったと。」
くみさんのお葬式にドイツに行った時、オルガニストのヴォルフガングさんが「幸せな人は教会には来ないからね」と仰った言葉を思い出しました。特定の信仰の有無とは別に、人知を超えた大いなる意思、大慈悲とか博愛というものを信じられるかどうかが、人生の苦難を乗り越えるバネの強さに大いに関わっているように思います。

保養ノスゝメ

2016年04月25日 | 日記
港が復旧してフェリーが発着できるようになり、県外の教会にレッスンに行けることになったので、この機会に父と小学生の甥姪を連れて一泊することにしました。地震の後ずっと学校がお休みになっていて、弟の5人の子供たちのうち上の3人はボランティアにいそしんでいますが、下の2人が時間とエネルギーをもてあましている様子で、父も、毎日のように通っていた温泉が休業中でストレスをため込んでいたので。
港は海上保安庁の給水ポイントになっていてお風呂も提供していましたが、何となく閑散とした感じ、フェリーも普段より随分お客さんが少なめでした。定刻に到着、ホテルに直行して荷物を預けるとすぐに教会へ。父はそのままホテルの温泉へ、甥と姪は教会についてきました。牧師夫妻の飼い犬ユキちゃんと散歩するのを楽しみにしていたのです。
今回の地震は九州一円に多少なりとも影響を及ぼしていて、この教会も牧師館がかなり揺れたそうです。震度5強だったそうですからユキちゃんもさぞ怖かったことでしょう。聖歌隊のメンバー3人(4人ですが、一人はお身内のご不幸で欠席でした)も、何というか「体の軸が崩れている」とでもいうような声です。そこで、こういう時に効きそうな中国伝来の秘伝の発声(!)をやってみたところ、これがなかなかの著劫を示しました。やり方を書きたいところですが、文字で書くとうまく伝わらなさそうなのでやめておきます(笑)。しかし、教えている私自身もかなり軸が崩れているんだなと感じました。これをやるのにすごくエネルギーが要るのです。怪我もなければ物的被害も大したことがなかったのにも拘らず、やはり生命体として被ったダメージはそれなりに大きかったのでしょうね。
子どもたちはユキちゃんと遊べて大喜びでした。ホテルに戻ってみると、父も久し振りに寛いだ顔をしていました。ゆっくりと温泉につかって生気を取り戻したのでしょう。このホテルの広い庭にはヤギやウサギがいて、餌やりができるというので子どもたちはまたしても庭に飛び出して行きました。思い切り走りまわって遊び、豪華版の夕食を頂き、ロビーで射的や卓球などのアトラクションを楽しみ、眺望抜群の露天風呂に入り、ふかふかのお布団で眠り、思い切り発散できたようです。
翌朝、父は朝風呂へ、子どもたちは庭へ出てまたもウサギの餌やり、そして足湯。朝食後、牧師先生がホテルまで訪ねてきて下さいました。ガスが復旧していない我が家のために、わざわざホームセンターでカセットコンロを買って来て下さったのです(熊本では払底していて買えないので)。お心づくしに心から感謝しつつ熊本へ戻ってきました。
発災から10日、避難生活の方も自宅で生活している方も、体力、気力ともにかなり限界に近付いていると思いますが、こういうプチ保養のリフレッシュ効果は大きいです。九州の旅館やホテルが被災者の受け入れを始めているそうですが、ほんのひと時でも被災現場から離れて英気を養うことができれば、新たな活力も湧いてきます。被災したお身内に何かしてあげたいと思われる方、温泉宿への一泊旅行券などいかがでしょう。

一週間

2016年04月22日 | 日記
最初の地震から1週間経ちました。非日常の時間は普段と流れが違うようで、時が経つのが速いのか遅いのかよくわかりません。信頼に足る情報を的確に送受信したいと思いますが、状況は刻々と変わるし、難しいですね。
昨日は、昨年のリサイタルの折にチェンバロを貸して頂いたF先生のお宅(お寺)が断水中にも拘らずご近所の方たちのお世話をしておられると伺い、友人のIさんと一緒に陣中見舞いを兼ねて炊き出しのお手伝いに行ってきました。すると、初修外国語事務室で毎週お会いしているフランス語の先生(フランス人男性)がそこにいるではありませんか。何とこのお寺のお向かいにお住まいとのこと。もう10年も毎週顔を合わせていながら、お互い個人的な話は何もしない間柄なので、ここで初めて名を名乗りました(笑)。しかもこの先生の奥様はIさんの歌の生徒さんなのです。何だか珍妙な取り合わせです(笑)。本部から水や野菜などがたくさん届いていたので、Iさんと一緒におにぎり、煮しめ、鶏肉のトマト煮込み、卵焼き、鮭の塩焼きを作って大いに喜ばれました。人さまのために何かさせて頂けると、心が随分救われます。
昨日はまた、月に一度参加している句会の主宰者のT先生から、メンバー全員に「こんな時だからこそ、安否確認を兼ねて投句をお願いします」というメールが届きました。とても俳句を詠むような気にはなれませんでしたが、安否確認とのことですので無理やり「おほなゐ(大地震)の跡白藤のひとり揺れ」という一句を絞り出し、「無事です」のメッセージとともに返信しました。すると数名のお仲間からのレスポンスがあり、ああ、皆さん無事だったとほっと胸をなでおろしました。そして今日、午前中から近所の温泉施設に行っていた父が「今、女湯がすいてるぞ」と言うので久し振りに温泉に行って湯船に浸かっていると、私の横にいた二人連れの女性の片方から「吉田さん!」と声をかけられました。何と昨日レスポンスされた句会仲間のお一人です。ご多忙で久しく句会にもおいでになれず、近所に住んでいながらなかなかお会いできなくなっていた方なので、驚くとともに嬉しい再会でした。
月末に出張レッスンに行く予定にしていた県南で昨日強い揺れがあり、レッスン会場の旅館の女将さんご一家が県外へ避難されたとの連絡がありました。ここでのレッスンに来られている生徒さん方に安否確認の電話をしてみると、車中泊の方が多く、やはり今月のレッスンは無理そうです。
余震が一向に収まらず、かつて(学生時代だったか卒業してからだったか)伊豆沖で1年ほど続いた群発地震を思い出しています。長引く避難生活にお疲れの溜まっているたち、私たちのために一生懸命に働いて下さっているたくさんの方々の健康が守られることを切に祈る毎日です。

陽はまた昇る

2016年04月19日 | 日記
度重なる余震に先の見通しのつかない毎日です。ガスと水道は相変わらず止まったまま。水道は今日数時間だけ出たものの再び断水しました。しかし、この非常時にともかく自宅で過ごせるというのは本当に有難いことです。煮炊きができないので栄養はかなり偏っている気がしますが、それでも食べるものがちゃんとあり、水もすぐ近くに湧いているのですから、私など多くの被災者の方たちと比べれば断然恵まれた状況にありますし、復旧や生活支援のためにどれほど多くの方が力を注いで下さっているかを思えば、ただただ感謝しかありません。最大のストレス源だった「お風呂に入れない」という悩みも、水の出る友人宅でもらい風呂をすることで解消。M先生も毎日電話で不自由はないかと訊いて下さいます。つくづくと人の温かさが身に沁みます。
季節は花盛りの春爛漫、道沿いにはつつじが満開、藤棚にも見事な藤の花房が下がっています。非常時だというのに、その眩いほどの美しさにハッと胸を衝かれます。季節がめぐって花が咲くのも、今回の地震も、ともに大自然の厳然とした営みの一部です。人間の非力、命の儚さ、その儚い一瞬の命をどのように生きるべきか、自然の摂理は人間にさまざまなことを無言のうちに教えてくれているようです。そして、たくさんの方が私たちのために祈り、尽力して下さっているのを日々目の当たりにすると、生きるということが実はどれほどひとさまの力の支えの上に成り立っているのかを痛感します。私は今、人として最も大切なことをこういう形で学ばせて頂いているのかもしれません。
確かに今現在は「先の見通しがつかない」ことが大きな不安やストレスですが、本当は「先の見通し」なんて常に幻想です(だからこそ一日一日が尊く大切なのですものね)。私たちにできるのは、ただ「先を明るく見る」、つまり希望を持つことだけです。朝、これほどの実感をもって「朝が来た」と思うことは普段はあまりありません。朝の来ない夜はない、出口のないトンネルはない、闇があるから光がある。そんな思いが一瞬にして頭の中を駆け巡る、毎朝の目覚めのひとときです。生きるということの重みをずしりと感じます。

本震

2016年04月17日 | 日記
「無事です」とご報告しましたが、その後もっとすごい揺れが来ました。マグニチュード7.3、これが「本震」で、前回のマグニチュード6.5は「前震」だったとの報道。東京やドイツやウィーンからの安否問い合わせに「無事です」と返事をしたばかりでしたが、今度は本棚も倒れ、グランドピアノも動き、家中のすべてのモノが落下飛散した上に停電、断水。真夜中でもあり、まったく身動きできませんでした。有難いことに父も私も怪我はありませんでしたが、これを「無事です」と表現してよいのかどうか少々頭が混乱。余震も続き、震度3ぐらいでは驚きもしなくなっています。
被害のひどい益城町はうちから車で20分ぐらいのところです。そんなに近くで死傷者が多数出ていると思うと、何ともいたたまれません。それに阿蘇。数年前の豪雨被害からやっと立ち直りつつあったところでしょうに、再びこの大災害です。阿蘇大橋が崩落したというニュースには呆然としました。大分の方も大きな被害が出ているとのこと、どうぞ少しでも早く終息しますようにと祈るばかりです。自然の脅威の前には人間の何と非力なことでしょう。うちのあたりはまだましな方ですが、それでも近くの水前寺公園は鳥居が倒壊し、県重要文化財のジェーンズ邸が全壊、池の水も底が見えるほど水位が下がっていると報道されています。
夜が明けると、何はともあれ断水に困りました。顔も洗えなければトイレにも行けません。幸い、近所の金物屋さんが井戸水を無償提供して下さっていて、トイレもどうぞお使い下さいと言って下さったので大変助かりました。食事は、金曜日の日中に作り置きしておいたものがある程度ありましたが、父も私も一向に食欲が湧きません。友人知人や生徒さん達の安否が気になってメールをすると「避難所にいます」という返事が多数。弟一家も近くのパチンコ店の駐車場に車で移動したとのこと。停電でテレビがつかないので情報難民状態で、毎日のように温泉に行く父は、どこか開いている温泉を探すと言って出かけて行きました。夜になって、校区の小学校で充電サービスをやっているらしいとわかり、父と行ってみると何十人もの順番待ちで「今日中には無理です。明日は11時頃から始めますので、また来て下さい」とのこと。一応リストに名前を書いて帰ってきました。夜になると雨が降り出しました。無聊をもてあまし、ろうそくの明かりで本を読んで過ごしました。
一夜明け、弟宅で電気が通じたというので、父が携帯電話を充電しに出かけて行きました。父の帰宅と入れ替わりに、溶けてしまった冷凍の肉や作り置きの料理などを持って弟宅に出かけ、子ども達の元気な顔を見て安心。タブレットを充電させてもらっていると、父から「電気と水が復旧した」と少し興奮した声で電話がありました。弟宅は水道が復旧していないので、高校生の甥を連れて帰宅、ポリタンクに水を入れて再び送り届け、今度は洗濯ものを預かって帰宅。幸い今日は好天なので、すぐに洗濯機を回しました。弟たちは無料開放している温泉に行くと言って出かけて行きましたが、父は疲れが出たのか、一緒に行くとは言いません。うちはまだガスが復旧していないのでお風呂が沸かせないのですが、金曜日からお風呂に入っていない私は我慢できず、風呂場で水浴びしました(寒!)。
電気と水が復旧すると随分違いますね。パソコンも使えるし。反面、文明生活がどれほど電気に依存しているかを痛感させられます。鹿児島の川内原発がこの活断層の延長線上にあることを思うと、電力消費者の一員としての責任を感じないわけにはいきません。「今のところ影響は出ていない」からと言って、この状況下で原発の稼働を続けていいものでしょうか??