昨年の2月22日に礒山雅先生が不慮の事故でご逝去されてから昨日で1年。この1年、礒山先生を思い出さない日はありませんでした。いまだに先生がいらっしゃらないことが信じられません。
礒山先生の講義を受けたのは20歳の頃なので、もう30年を優に超える時間が経っているのに、その印象は少しも色褪せません。その後のお付き合いは本当に淡いものでしたが、それでも私にとって礒山先生は不動の存在でした。先生のブログで紹介された本はすぐに入手して読み、先生のご活躍ぶりを読んではそのお姿を想像し、コメント欄に感想を寄せられる全国海外の読者の方々との軽妙なやり取りにクスリと笑ったり、感銘を受けたり。先生のブログを読むのは私の日課の一つで、それが無い毎日の何と味気ないことか。あのご多忙な中で更新を続けてこられたブログは、きっと先生ご自身にとっても大切なものだったと思います。
先日、「熊本文化」という月刊の冊子にエッセイの寄稿依頼を受け、礒山先生を偲びつつ「バッハの思い出」と題する小文をしたためました。4月に発行されたら小欄にも転載したいと思います。
礒山先生の講義を受けたのは20歳の頃なので、もう30年を優に超える時間が経っているのに、その印象は少しも色褪せません。その後のお付き合いは本当に淡いものでしたが、それでも私にとって礒山先生は不動の存在でした。先生のブログで紹介された本はすぐに入手して読み、先生のご活躍ぶりを読んではそのお姿を想像し、コメント欄に感想を寄せられる全国海外の読者の方々との軽妙なやり取りにクスリと笑ったり、感銘を受けたり。先生のブログを読むのは私の日課の一つで、それが無い毎日の何と味気ないことか。あのご多忙な中で更新を続けてこられたブログは、きっと先生ご自身にとっても大切なものだったと思います。
先日、「熊本文化」という月刊の冊子にエッセイの寄稿依頼を受け、礒山先生を偲びつつ「バッハの思い出」と題する小文をしたためました。4月に発行されたら小欄にも転載したいと思います。