呼吸考

2021年03月28日 | 日記
声楽発声に限らず、巷には「呼吸法」なるものが種々様々存在します。私もヨガや骨盤体操で呼吸法を教わり、それぞれ興味深く実践しています。また、声楽発声としての呼吸法もいろいろあります。
歌うための呼吸は、普段とくに意識せずに行っている自然呼吸とは明らかに違います。目的が違うから方法が違うのも当然です。自然呼吸とは、生命維持のために「酸素を取り入れ、二酸化炭素を排出する」現象のことで、まさに現象と呼ぶのが相応しいでしょう。これに対して発声のための呼吸には、「呼気を使って声を響かせる」ことを目指しているわけです。
さて、私がこの「声楽発声の呼吸法」に最初に出会ったのはW先生のレッスンでした。私が入門したのは、W先生が「呼気流と共鳴の関係」について学会発表されたばかりの頃で、トランペットのマウスピースを使って呼気を高く、強く、速く、頭上高く垂直方向(真上)に飛ばすやり方を教わりました。そして、その「ひたすら呼気を上へ飛ばす」メソッドによって、私はたった一回のレッスンでメゾソプラノからハイソプラノに生まれ変わってしまったのです。あの鮮烈な体験は忘れられません。
呼気を高く飛ばすためには呼気筋の筋力が必要です。これが弱い場合、大きく息を吸うと、吸った息をコントロールしながら少しずつ吐くことができずに一気に吐き切ってしまい、すぐに息がなくなってしまいます。それでW先生は「吸わない」ことを徹底させられました。吐き切って体を緩めれば自然と吸気が生じる「吸気の反射作用」を重視され、胸を軽く張ったまま「s」の子音の音を立てながら上方に吐く、脱力して吸気が自然に生じたら、それ以上吸わず、間髪を入れずにまたすぐ吐く、という練習を繰り返したものです。
これは確かに理に適った方法で、私はずっとこの方法で歌ったり教えたりしてきましたが、昨年からご縁を頂いているY氏のブレスコントロールは「ゆっくり、たくさん吸う」、「その後、一定の量で吐き続ける」、「呼気がなくなったら、なくなった分を「体をゆるめずに」吸う(補充する)」というもので、私はここへ来て初めて「吸う」方にフォーカスするようになりました。Y氏のレッスン風景を見ていると、よく声楽のレッスンで聞く「体を開く」という表現は、具体的には「深く吸う」ということであることが得心できます。そして、深く吸って一定の呼気圧、一定の声量で発声すると、体の軸が決まって姿勢も安定します。
声楽発声における「吸気」について経験と知見を拡げたいと思っていたところに、ごく最近、丹田呼吸発声法とでも言うべき呼吸法の普及に努めておられるU先生にご縁を頂きました。この方法ももう少し自分の体で検証してみないといけません。
呼吸の生理学的なメカニズムは同一でも、それを基盤にした声楽発声の呼吸法にはいくつものメソッドがあり、どれをどう使うかは段階によります。私自身、呼気を支える筋力が足りなかった頃は、吸ってから歌い出すと後が大変でした。声楽発声の呼吸は、全身的なバランスの中で支えを保ちつつ、意識的に行わなくてはいけません。声楽のテクニックの7割は呼吸、と言われるゆえんです。

学びの時間

2021年03月15日 | 日記
昨日、Y先生の公開レッスンを主催しました。
Y先生は昨年からご縁を頂いている声楽指導者で、昨年12月にうちの生徒さんのためのレッスン会をして頂き、とても勉強になって皆さん喜ばれました。その後2月に発表会があり、今はちょうど一息ついている時期なので、「九州に行きますが、よろしかったらレッスンしましょうか」とメッセージを頂いた時、今回は公開レッスンにして頂こうと思いました。
そうなるとまずは会場探しです。熊本市内の公共の施設は、マスク着用やディスタンスは良いとしても「15分歌ったら10分換気して下さい」という方針です。民間の会場もなかなか空きがなく、つてを頼ってようやく良いスタジオを探し当てました。
次に人集めです。これも途中でいろいろ事情が変わって、前日の夜まで変動しましたが、何とか受講者、聴講者をかき集め(という表現がピッタリです)、無事開催の運びとなりました。
前日から熊本入りして個人レッスンをたくさん予定されていたY先生、しかしこれもまた会場が見つからずに苦労されていました。それで、公開レッスンの聴講を希望していらした先輩レスナーさんのスタジオを貸して頂くことになり、公開レッスンの翌日には、うちの生徒さん方がぜひ個人レッスンを受けたいということで県南へ行って頂くことになり、そちらでも10名ほどのレッスン希望者が集まり、Y先生にとってはまさにフル稼働の3日間となりました。
さて、その公開レッスンですが、とても良い時間になりました。かき集めた(失礼!)友人知人先輩後輩恩師教え子の皆さんも大変喜んで下さり、次につながる感じになりました。この充実感を味わってしまうと、準備の苦労も吹き飛んでしまいます。
Y氏は間口の広い方で、ミュージカル、オペラ、ドイツ歌曲、カラオケ、その他何でもござれ、該博な知識と豊富な経験にもとづいて懇切丁寧かつ合理的、効果的なレッスンを展開されました。受講者の声がどんどん変わっていき、表情や姿勢まで良くなっていくのをつぶさに見ることができたのは役得でした。そのうえ、最後の1枠がどうしても埋まらず、結局私がモデルになって歌うことになり、その曲が直前(当日の昼過ぎ)に決まったため最後は何ともスリリングなひと時となりました。シューマンの「月の夜」を歌ったのですが、微に入り細を穿ったレクチャーの時間となり、この曲にまつわる思い出が蘇って心揺さぶられる時間でした。
そろそろ今日の県南でのレッスンも終わった頃でしょうか。お昼過ぎに、今日のレッスン会場を提供して下さった「歌う女将さん」のレッスン風景の動画が送られてきましたが、シュトラウスの歌曲が素晴らしく仕上がっていて、思わず涙が出ました。今日もきっとたくさんの感動が生まれたことでしょう。次回県南にお邪魔するのが楽しみです。

春に

2021年03月03日 | 日記
友人のIさんが「春に」と銘打ったリサイタルを開催されました。日本歌曲とドイツ歌曲が8曲ずつの、歌曲のリサイタルです。
これまでのIさんの歩みをずーっと側で見てきた私は、彼女がホールで単独のリサイタルを開催する日を心待ちにしていました。コロナの渦中ではありますが、その日が来たことが本当に嬉しかったです。
Iさんはメゾソプラノの濃厚な美声の持ち主で、美的センスも豊か、事務能力にも長け、いつも四方八方に気を遣って人との繋がりを大事にしている人です。その完全主義が時として自分を追い詰めることもあり、私のような雑な人間には、その姿がちょっと痛々しく見える時もあります。おそらくIさんの方では、あまりにもうーばんぎゃ(←熊本弁で「がさつ」という意味)な私のことをハラハラして見ていることでしょう(笑)。私たちはそういう意味では対照的なのですが、ある種のストイックさという点で似ているところがあり、お互いに補い合いながら歌の道を一緒に歩んできた同志です。
今回のリサイタルは、本来は昨年8月に予定されていたのですが、コロナ禍でやむなく延期となり、しかし今回も収束していない中での開催となりました。昨年12月の私のコンサートの時と同様、お客様が来て下さるかどうかが最大の悩みどころだったと思います。でも、蓋を開けてみたら予想以上に多くの方が聴きに来て下さっていました。
私は今回ステマネを頼まれていたのですが、私は何しろうーばんぎゃな性格ですから、万事にきっちりしたIさんにしてみればかなり頼りなかっただろうと思います。それかあらぬか、Iさん自身がしっかりと目配り気配りをして裏のことも準備万端にしていたので、私はほとんど何もすることはありませんでした。一番の大仕事は伴奏者の譜めくりでしたが、これも「楽譜がヒラッと飛んでいかないように見ててくれればいいから」というピアニストのお言葉に素直に従って(笑)、横に座っていただけでした(もちろん譜めくりはしましたよ)。
今回の選曲は私の好きな曲が多くて、裏方を務めながら存分に曲を堪能させてもらいました。Iさんも私もリート畑の人間ですが、私は移動ド唱法しかできないので無調の近現代ものは音が取れず、手が出る曲が少ないのです。ですから、いつかは歌ってみたいと思っているシュトラウスの「子守歌」が今回のプログラムに入っていたのは嬉しかった!この曲はピアノ伴奏が非常に繊細で美しく、名伴奏者M先生のコントロールの効いたピアノとIさんのつややかな美声のコラボに聴き入りながら譜めくりに勤しみました(この曲はページ数が多いのです)。
アンコールは讃美歌のGod bless Youでした。感極まったIさんに代わって、伴奏のM先生が和やかな笑いを取りながらお客様に語りかけ、リーダーアーベントらしい親密な雰囲気の中、リサイタルはつつがなく終了しました。温かい余韻が今朝もまだ続いています。