ようやく前期の授業が終わりました。長かった~~!これから試験、採点、評定があるので、夏休みまであと2週間ですが、ともかく授業が無事終わってホッとしました(まだ倫理学の授業が1コマだけ残っていますが)。これでようやくリサイタルの準備にかかれます。
今回のリサイタルは「詩歌と歌曲の夕べ」です。詩人で歌人の西川盛雄先生とコラボレーションすることになりました。10月5日(土)午後5時半から健軍文化ホールで。コンサートシーズン真っただ中ではありますが、たくさんの方にお聴き頂ければ嬉しいです。
今回のテーマは「愛の諸相」、コンセプトは「歌曲成立のプロセスの追体験」です。まず言葉(詩)があって、それにメロディが付いて、そこに伴奏楽器のサポートが入って...という風に、歌ができる過程をなぞってみよう、というわけです。なぜこんなことを考えついたかというと、昨年の「緑のそよ風コンサート」の後、西川先生がコンサートの感想を長い詩にして送って下さったことに遡ります。その詩には、プログラム全曲の作曲家と作品の特徴が織り込まれていました。私はいたく感激して、その時から、いつか西川先生とご一緒に何かをやってみたいと思っていました。そして、今回「愛の諸相」をテーマに決めた時、愛をテーマにした詩を西川先生に書いて頂き、その詩の朗読と私の歌を交互に上演していくスタイルにしようと思い立ちました。歌うたいにとって、詩(言葉)と音楽は切っても切れない関係です。そして、詩はそれ自体が聴覚的に体験されるものですから、音楽的な文芸形式でもあります。詩歌と歌曲を独立的に交互に並べ、「繋がっていない繋がり」を演出してみたらどうなるか、というのが私の関心になったのです。西川先生にこの計画を持ち込むと、「どうなるか見当がつきませんが」と仰りながらもご快諾下さったので、せっかくだから朗読のバックにハープを演奏して頂こう、ハーピストに歌の伴奏も何曲かお願いしよう、という具合に構想が膨らんでいきました。
西川先生はラフカディオ・ハーンと夏目漱石の研究者でもあります。ハーンと漱石はかつて熊本大学で教鞭を取っていました。漱石の『草枕』の冒頭に、印象深い一節があります。
山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣にちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容げて、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊い。
この世のままならなさは、愛の思いが簡単には成就しないという形でもしばしば体験されます。今回の選曲は、そんな「ままならない愛」を歌った曲を集めてみました。
ままならない世と、そこに生きる人の心をつかの間でも宥め、潤すがゆえに芸術は尊い、と漱石は言います。人の世と人の心を和やかにすることに、ほんの少しでもお役に立てれば望外の幸せです。
今回のリサイタルは「詩歌と歌曲の夕べ」です。詩人で歌人の西川盛雄先生とコラボレーションすることになりました。10月5日(土)午後5時半から健軍文化ホールで。コンサートシーズン真っただ中ではありますが、たくさんの方にお聴き頂ければ嬉しいです。
今回のテーマは「愛の諸相」、コンセプトは「歌曲成立のプロセスの追体験」です。まず言葉(詩)があって、それにメロディが付いて、そこに伴奏楽器のサポートが入って...という風に、歌ができる過程をなぞってみよう、というわけです。なぜこんなことを考えついたかというと、昨年の「緑のそよ風コンサート」の後、西川先生がコンサートの感想を長い詩にして送って下さったことに遡ります。その詩には、プログラム全曲の作曲家と作品の特徴が織り込まれていました。私はいたく感激して、その時から、いつか西川先生とご一緒に何かをやってみたいと思っていました。そして、今回「愛の諸相」をテーマに決めた時、愛をテーマにした詩を西川先生に書いて頂き、その詩の朗読と私の歌を交互に上演していくスタイルにしようと思い立ちました。歌うたいにとって、詩(言葉)と音楽は切っても切れない関係です。そして、詩はそれ自体が聴覚的に体験されるものですから、音楽的な文芸形式でもあります。詩歌と歌曲を独立的に交互に並べ、「繋がっていない繋がり」を演出してみたらどうなるか、というのが私の関心になったのです。西川先生にこの計画を持ち込むと、「どうなるか見当がつきませんが」と仰りながらもご快諾下さったので、せっかくだから朗読のバックにハープを演奏して頂こう、ハーピストに歌の伴奏も何曲かお願いしよう、という具合に構想が膨らんでいきました。
西川先生はラフカディオ・ハーンと夏目漱石の研究者でもあります。ハーンと漱石はかつて熊本大学で教鞭を取っていました。漱石の『草枕』の冒頭に、印象深い一節があります。
山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣にちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容げて、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊い。
この世のままならなさは、愛の思いが簡単には成就しないという形でもしばしば体験されます。今回の選曲は、そんな「ままならない愛」を歌った曲を集めてみました。
ままならない世と、そこに生きる人の心をつかの間でも宥め、潤すがゆえに芸術は尊い、と漱石は言います。人の世と人の心を和やかにすることに、ほんの少しでもお役に立てれば望外の幸せです。