2020年春の発声セミナー

2020年01月30日 | 日記
年が明けて一か月があっという間に過ぎてしまいました。
2月には春の発声セミナーを開催します。合唱はメンデルスゾーンの「おお、ひばり」を二重カノンで。無伴奏で歌えるのと、二重カノンができたら楽しいだろうなと思って。加えて、来年2月の発表会の全員合唱曲として、季節に相応しいということもあります。皆様のご参加をお待ちしています。


最近心に残ったトピックスは、NHKEテレで先週放映された「奇跡のレッスン」です。ベルリン・フィルの元コンマスのダニエル・ゲーデさんが千葉県の小学校の弦楽部の指導をする番組ですが、公立小学校に弦楽部がある!弦楽部に入って初めてヴァイオリンに触れた子供たちが、この難しい楽器を立派に弾きこなしている!ダニエルさんの指導の何と愛情に満ちてユニークなこと!トリプルの驚きでテレビにくぎ付けになりました。今日の夜10時から番組の後半が放映されますので、皆様ぜひご覧下さい。

出版

2020年01月18日 | 日記

 3年越しの取り組みになりましたが、この度九州大学出版会から『生と死をめぐるディスクール』という学術エッセイ集が刊行されました。9人の著者による合作で、全体は大きく3部構成になっています。その第2部、「生命倫理の諸相-「現場」からの視点―」の中の1章を担当させて頂き、初めて自分の文章が1冊の本の一部として掲載されました。私の章のタイトルは「日本人のスピリチュアリティ―生と死をめぐる日本的ケアの源流―」です。
 この本の帯には「いま、生と死に向き合う」というキャッチコピーに続き、「生きる意味とは何か。人はなぜ死ぬのか。古今東西の死生観と生命倫理の現場から、生と死という普遍的問題を考える。」と書いてありますが、実は私、このキャッチコピーそのままに、小学生の頃から「生きる意味とは」とか「死とは何か」といった根源的な問いをしっかりと心に抱え込んで生きていました。そういう点ではかなり早熟な子供でしたね。中学生になって歌に熱中するようになると、「うまく歌えるようになりたい」という具体的な目標に救われて、生死という深刻な問いは後景に退きましたが、それでもやはりこの問題は心から去らず、30代以降の人生を迷走する遠因となりました。50代も半ばを過ぎてこの問いに再び真っ向から向かい合うことになったのも不思議な巡り合わせです。
 このエッセイ集、行政医師や紛争解決学の先生の報告もあり、哲学や文学畑からの寄稿もあり、なかなか読みごたえがあります。全体から見ると、どうも私の文章だけ腰が浮いているのが気になりますが(なぜなら、拙文は「現場」からの視点という看板から外れた、フィールドも典拠も持たない文字通りの「エッセイ」なので)、私にとってはおそらく最初で最後の著書となると思います。音楽とは全然関係ない話ばかりではありますが、ご関心がおありでしたらご一読下さい。

初稽古

2020年01月06日 | 日記
お正月をのんびり過ごし、今日からレッスンが始まりました。
今年最初のレッスンはトライアル3回目のFさん、小学校の先生です。昨年秋の発声セミナーに参加された後、暮れからレッスンをスタートしました。しゃべり声は低めですが、歌声はソプラノのようです。声帯を引っ張る力が少々弱いようで、裏声(歌声)がうまく出ません。出そうとすると声帯が引っ張り切れずに声がひっくり返ります。背筋の緊張をゆるめ、胸郭を開くストレッチ、軽く腹圧をかける練習、下顎の力を抜く練習など、身体からのアプローチを色々やりながら発声につなげていくと、よく響く軽い歌声が出てきました。ご本人としてはかなりお腹や足腰を使っている感じだそうで、家に帰ったら筋肉痛になっていると思います、と笑いながら仰っていました。後で、紹介者のMさんから「Fさんが、毎回のレッスンの充実感と素晴らしさを報告して下さいます。Fさんの歌声を聴ける日を楽しみにしています」というメールが来ました。試行錯誤の拙いレッスンですが、喜んで下さっているのは本当に嬉しいことです。
午後からは合気道の初稽古に行きました。昨年秋に入門したものの、忙しくてなかなか稽古に行けません。先生も先輩方も「無理をしないように」と言って下さるし、自分でもマイペースでいこうとは思っていますが、たまにしか行かないので、前回やったことはきれいに忘れています(笑)。教える方はさぞ歯痒かろうと申し訳ないのですが、お陰で稽古が終わると背中の張りが解消しているのが嬉しい。これからもぼちぼち続けます。

あけましておめでとうございます

2020年01月01日 | 日記
皆様、あけましておめでとうございます。皆様にとって幸い多い年でありますよう祈ります。本年もどうぞよろしくお願い致します。
年に1回しかしない大掃除のせいで腰痛になり(笑)、狭いマンションなのに全部は掃除しきれず、お節料理も頂き物でお重を整え、あとは大鍋におでんとボルシチなど(!)正月料理とは思えないようなものを大量かつ適当に作り、年に1度、暮の2日間だけはにわか家庭人です(笑)。
大晦日はN響の第九を聴きました。女性指揮者シモーネ・ヤングの明快な指揮が印象的でした。最後はちょっとスリリングなほどのスピード感で、合唱もよくぞあのテンポに一糸乱れずついていったものです。あっぱれ!
第九を聴くたび、合唱でN響第九に出演した音大時代のことを思い出します。その後何度か第九の合唱に参加する機会はありましたが、思い出すのは第九初体験の大学時代のことばかり。大風邪をひいて咳が止まらず、5日間の公演のうち初日だけしか舞台に立てず(後の4日間は舞台袖で待機でした)、その代わり(というわけでもないでしょうが)、最終日の終演後、合唱メンバーを代表して指揮者のブロムシュテット氏にご挨拶をさせて頂いたりした経験が深く記憶に刻まれているからでしょう。長く続いたN響&国立音大合唱も東京オペラシンガーズに変わり、今は昔の物語です。
元日の今日は弟一家が総勢7名で来訪してくれて、皆で賑やかに食事をした後で初詣に行きました。5人の子供たちのうち3番目が大学受験、4番目が高校受験を控えていて、3番目の子がセンター試験に向けて倫理を教えてほしいと言うので、正月早々から合理論だの経験論だの観念論だの実存主義だの構造主義だの、いつも大学生相手に話しているような内容をくるっと丸めて解説しましたが、まあイマドキの高校生はこんなに難しいことを勉強しているのかと驚きました。私の高校時代の倫社とは別格の内容です。倫理は面白いけど、考え方が多様過ぎて自分がどう考えていいのかわからなくなってちょっとつらい、という姪に「倫理は、答えじゃなくて問い方を学んでいるんだよ、多分。」と言うと、ほんの少しだけ納得顔。
さてさて、今年もいろいろありそうですが、元気に頑張りたいと思います。