リサイタル終了

2020年11月30日 | 日記
コロナ禍の中でのリサイタルが無事終わりました。
熊本でも感染が拡大する中での開催となり、検温、消毒、ディスタンス、時間短縮、換気と思いつく限りの対策を取りました。ステージから見る客席の風景が普段とは違いましたが、それでもお客様のお顔をじかに見ながら歌える喜びは何にも代え難いものです。アンコールでは感極まってしまいました。
昨日は第1アドヴェント。クリスマスキャロルと讃美歌で前半をまとめ、伴奏のM先生にソロ演奏を1曲お願いし(これが絶品)、後半はドイツリートと宗教曲で、全体で1時間弱のコンサートでした。
今回はとにかく、ただでさえ猛烈に忙しい日々にリサイタルの準備と練習が加わるので、心身の負荷をどのように散らすかが最大の課題でした。練習時間の確保は必須ですが、心身の健康を保つことがパフォーマンスにも大きく影響しますから、その兼ね合いが本当に難しいところです。
私はついつい無理をするたちなのですが、年齢とともにそれに伴うリスクが増大していることを実感しているので、今回は、2週間前から当日まで睡眠時間6時間を死守!という目標を立てました(やはり完全には無理でしたが)。そして、身体のコンディション維持には細心の注意を払いました。私はこの数か月、水分の摂取、食養生、入浴と運動のルーティン化に取り組んでいるのですが、これが体にとても良いようで、自然に減量もでき、筋力もついてきました。歌の練習も身体を整えないと効率が上がらないことを再認識。万全を期して本番に臨みました。
アドヴェントの教会という「場の力」のお蔭で、とても気持ちよく歌うことができました。お客様も生の音楽に飢えておられたのでしょう、ひたすら耳を傾けて下さっている感じが伝わってきました。1時間はあっという間ですが、集中持続時間から見てもこれぐらいが適当なのでしょうね。2ステージをこなすには、これが限界だったかなと思います。
良いコンサートになった、と思います。お客様にも喜んで頂けました。歌い続けてこられたことの幸せが心に刻まれた一夜でした。


曲目解説(7)

2020年11月28日 | 日記
本番が明日に迫りました。まだ全曲の解説は終わっていませんが、今日はブラームスの「日曜日」を取り上げます。
ブラームスは歌曲のテキストとして、あまり有名な詩人の作品は取り上げていません。「詩自体で完結しているのなら、わざわざ曲をつける必要はない」というスタンスだったようです。詩としての完成度は問わず、様々な内容の詩を取り上げています。宗教的で荘厳な雰囲気の曲もあれば、とろけるようにロマンティックな恋愛歌もあり、素朴な民謡風の曲もあれば、情けない男としっかり者の女の掛け合いの歌もあり、とても多彩です。
この「日曜日」は民謡風の曲ですが、テキストはウーラントという結構有名な詩人の作品です。ウーラントは政治家としても活動した人ですが、詩作品はわりと抒情的で、故郷のシュヴァーベンの風土に根ざした素朴で牧歌的な詩が多いように思います。この「日曜日」は何とも純朴な少年のモノローグで、しっとりと大人のムードで歌われる方もありますが、たまに小気味よく軽快に歌われる演奏を聴くこともあり、どちらもいい感じです。私はその折衷で行くことにしましょう。

Sonntag

So hab' ich doch die ganze Woche
Mein feines Liebchen nicht geseh'n,
Ich sah es an einem Sonntag
Wohl vor der Türe steh'n:
Das tausendschöne Jungfräulein,
Das tausendschöne Herzelein,
Wollte Gott, ich wär' heute bei ihr!

So will mir doch die ganze Woche
Das Lachen nicht vergeh'n,
Ich sah es an einem Sonntag
Wohl in die Kirche geh'n:
Das tausendschöne Jungfraulein,
Das tausendschöne Herzelein,
Wollte Gott, ich wär' heute bei ihr!

日曜日

もうまる一週間
愛しいあの娘を見ていない
ある日曜日
僕は戸口のところで見かけたんだ
すごく素敵な女の子
すごく素敵な恋人
今日、彼女のそばに居られたらなあ!

もうまる一週間
あの笑顔が心から離れない
ある日曜日
僕は教会に入っていくのを見かけたんだ
すごく素敵な女の子
すごく素敵な恋人
今日、彼女のそばに居られたらなあ!

曲目解説(6)

2020年11月24日 | 日記
今日はヴォルフの『夏の子守歌』です。
この曲は「女声のための6つの歌」という初期の作品集に収められています。ヴォルフが20歳の時の作品だそうです。昔、往年の名ソプラノ、エリーザベト・シュヴァルツコップのCDで初めてこの曲を聴いて「ぞっこん首ったけ」になってしまいました。とってもハートフルで、思わずため息が出るほど美しい曲です。ヴォルフは相当に繊細な人だったそうですが、さもありなん。シュヴァルツコップの名歌唱も相俟って、深く心に沁みました。雰囲気の温かさ、素朴さが、(ヴォルフの嫌いだった)ブラームスを彷彿とさせます。
テキストは童謡詩人のライニックが書いています(彼は「冬の子守歌」という詩も書いていて(どうも春と秋も書いているらしい)、これにもヴォルフが曲を付けています)。ライニックの詩に付曲されたドイツリートはヴォルフに限らずたくさんありますが、どれも純粋無垢で、童心に帰れて、私は大好きです。
10年以上前ですが、ドイツ語の授業でこの曲を取り上げてCDを流した時、一人の男子学生がとても良い表情で静かに体を揺らしながら聴いていたので、「この曲知ってるの?」と尋ねたら「いいえ、初めて聴きました」。思わず「あなた、きっといいお父さんになるわね」と言ったものですから、彼は他の学生さんたちに冷やかされていました(笑)。
この優しさ、温かさが伝わるよう、心をこめて精一杯歌わせて頂きます。

Wiegenlied im Sommer  

Vom Berg hinabgestiegen
Ist nun des Tages Rest;
Mein Kind liegt in der Wiegen,
Die Vögel all' im Nest;
Nur ein ganz klein Singvögelein
Ruft weit daher im Dämmerschein:
“Gut' Nacht! gut' Nacht! Lieb' Kindlein,gute Nacht!”

Die Wiege geht im Gleise,
Die Uhr tickt hin und her,
Die Fliegen nur ganz leise
Sie summen noch daher.
Ihr Fliegen,laßt mein Kind in Ruh'!
Was summt ihr ihm so heimlich zu?
“Gut' Nacht! gut' Nacht! Lieb' Kindlein,gute Nacht!!”

Der Vogel und die Sterne,
Und alle rings umher,
Sie haben mein Kind so gerne,
Die Engel noch viel mehr.
Sie decken's mit den Flügeln zu
Und singen leise: “Schlaf in Ruh!
“Gut' Nacht! gut' Nacht! Lieb' Kindlein,gute Nacht!”

夏の子守歌

山から降りてきたお日様も
もう沈みかけ。
私の坊やも揺りかごの中、
小鳥たちもみんな巣の中。
歌う鳥がただ一羽、
夕映えの中で歌っている。
「おやすみ、おやすみ、可愛い坊や、おやすみ!」

揺りかごが揺れ
時計が時を刻んでいる
虫が低く静かに
ぶんぶん歌い続けている 
虫さんたち、私の坊やを眠らせておくれ
そんなにひそやかに、何をささやいているの?
「おやすみ、おやすみ、可愛い坊や、おやすみ!」

鳥も 星たちも
まわりのものたちはみんな
私の坊やが大のお気に入り。
天使たちはことのほか。
翼で坊やを包んで、
静かに歌ってくださっている、「静かにお眠り、
おやすみ、おやすみ、可愛い坊や、おやすみ!」

曲目解説(5)

2020年11月21日 | 日記
今日は「庭の千草」を取り上げます。
日本では明治時代から小学唱歌として親しまれているこの曲は、アイルランドの国民的詩人トマス・ムーアによる美しい詩に、スティーブンソンという18世紀後半の作曲家が付曲したものです。
原詩のタイトルは「夏の名残のバラ」ですが、日本語歌詞ではバラは白菊になっています。訳詩をしたのは里見義という明治時代の文学者です。

庭の千草も 虫のねも
かれてさびしく なりにけり
ああ白菊 ああ白菊
ひとりおくれて 咲きにけり

全体としては、ある程度原詩の内容を踏まえた訳になっています。
2行目と4行目に「けり」という脚韻が見られたり、2行目の「さびしく」と3行目の「白菊」が行内韻を踏んでいたり、韻律にもある程度気を配ってあります。
愛する人に先立たれ、一人残された人物の心情が伝わってくる内容です。「かれてさびしく」という表現には、花が「枯れる」という意味と、「離(か)る」という古語の意味(時間的、空間的に遠くなる)が重層していると思われます。「ひとりおくれて」というところも、愛する人に先立たれて後に残された人を、咲き遅れた花にたとえているのでしょう。
白菊という意訳は、唱歌「野菊」の歌詞にある「遠い山から吹いてくる 小寒い風に揺れながら 気高く清く匂う花」という菊のイメージを彷彿とさせますね。寂しさの中にどこか凛とした佇まいを感じさせる野菊の姿には、日本人の美意識に響くものがあるように思います。私も子供の頃、この「野菊」の歌の歌詞が好きでした。ついでに言えば、伊藤左千夫の『野菊の墓』の切なさも好きでしたね。
それはともかく、この寂寥感は原詩の歌詞にも通じていますが、原詩の方は、一人残された悲しみの要素がより強いように感じます。原詩を見てみましょう。

'Tis the last rose of Summer,  夏の名残のバラ
Left blooming alone;  一人寂しく咲いている
All her lovely companions  愛しい友人たちは皆
Are faded and gone;  色褪せ、散ってしまった
No flower of her kindred,  同じ血筋の花もなく
No rosebud is nigh,  近くにはバラの蕾もない
To reflect back her blushes,  その紅色を映し合い
Or give sigh for sigh!  嘆きを分かち合うことも叶わない

実はこの歌、フロトウという作曲家による「マルタ」というドイツ・オペラの中で、挿入歌として使われています。

Letzte Rose, wie magst du  最後のバラよ、おまえはなぜ
So einsam hier blüh'n?   そんなに寂しそうに、ここに咲いていたいの?
Deine freundlichen Schwetern  仲の良かったお前の姉妹たちは
Sind längst schon, längst dahin, もうとっくに行ってしまった。
Keine Blüthe haucht Balsam  さわやかな香りで
Mit labendem Duft, 慰めてくれる花もなく
Keine Blättchen mehr flattern 吹きすさぶ風の中に
In stürmischer Luft. はためく葉も もうないのに。

Warum blühst du so traurig おまえはなぜ、そんなに悲しげに
Im Garten allein? 一人ぼっちで庭に咲いているの?
Sollst im Tod mit den Schwestern  死んで、姉妹たちと
vereinigt sein. 一緒になるが良いわ
D'rum pflück' ich, O Rose, だからバラよ、お前を
Vom Stamme dich ab, 茎から折り取ってあげよう
Sollst ruh'n mir am Herzen 私の胸で憩うが良いわ
und mit mir ja, mit mir im Grab. そして、そう、私と一緒にお墓で憩うが良いわ。

ドイツ語も良いんですよね~
それで、今回は1番を日本語で、2番をドイツ語の2番の歌詞で歌うことにしました。
さて、このハイブリッドはどんな印象になりますやら。


曲目解説(4)

2020年11月19日 | 日記
今日は「いつくしみ深き」という讃美歌を見ていきます。
今回のリサイタルでは、日本歌曲の代わりに讃美歌を歌うことにしました。私は子供の頃に教会学校に通っていたので、その時に習い覚えた讃美歌がたくさんあります。讃美歌はメロディもハーモニーも美しいのですが、私にとっては何より歌詞のメッセージ性が深く印象に残っていて、その後の人生の折々に心を励まされてきました。
さて、「いつくしみ深き」という題名は冒頭の歌詞から取られています(讃美歌の題名はたいていそうです)。そして、この曲は小学校でも「星の世界」という題名で習いましたが、今でもふと口をついて出てくるのはやはり「いつくしみ深き」の方の歌詞です。
150年ほど前に作られたこの曲、チャペルでの結婚式の定番曲だそうですが、この詩を書いたアイルランド人のジョセフ・スクライヴェンは、婚約者が結婚式前日に溺死してしまい、失意のどん底に突き落とされたのだそうです。しかも2度目の婚約者も結婚に至らず病死してしまったそう。普通だったら世を儚み、打ちひしがれてしまうでしょうが、彼は祈りの中で自らの苦しみをイエスに委ね、その時にこの詩が生まれた、といわれています。苦しみ、悲しみ、絶望の時にこそ、主イエス・キリストは苦しい心に寄り添い、見守り、励まし、ともに歩んでくれる、彼が祈りの中で感得したその確信が込められている歌なのですね。

さて、歌詞を見ていきましょう。今回は日本語で歌いますが、オリジナルは英語で、原題は「What a Friend We Have in Jesus」と言います。
What a friend we have in Jesus,
all our sins and griefs to bear!
What a privilege to carry
everything to God in prayer!
O what peace we often forfeit,
O what needless pain we bear,
all because we do not carry
everything to God in prayer!

直訳すると以下のようになります。

私たちの友イエスは、何という素晴らしい友だろうか、
私たちの罪と嘆きを負ってくださるとは!
何という恩恵だろう、
祈りのうちに神にすべてをゆだねることは!
おお、私たちはしばしば平安を失い、
おお、私たちは不要な苦しみを被る、
それらはすべて、私たちが
祈りのうちに神にすべてをゆだねていないからなのだ!

日本語の歌詞は以下のようになっています。

いつくしみ深き 友なるイエスは
罪とが憂いを取り去り給う
心の嘆きを包まず述べて
などかは下ろさぬ 負える重荷を

一度のみならず、二度も愛する人と死別しなければならなかったスクライヴェンは、その悲しみを祈りによって乗り越え、教師として、またボランティア活動家として人々のために尽くす人生を送ったそうです。コロナ禍で重苦しい閉塞感の中にいる私たちにとっても、励ましになる曲ではないでしょうか。