中秋の名月

2015年09月27日 | 日記
今日は中秋の名月、明日はスーパームーンとか。うちから歩いて行ける水前寺公園の能楽殿でお月見ジャズコンサートがあるというので、甥と姪と父と一緒に散歩がてら出かけました。6時過ぎに出かける時はまだ明るかったのに、あっという間に煌々と月の照る美しい良夜となり、野外でゆるーいジャズを聴きながら夜風に吹かれていると何とも幽玄な心持ちになりました。
今日の午後は、私の卒業した音大の同窓会が企画したモーツァルトの「レクイエム」の演奏会に向けての練習があり、リサイタル以来初めて真面目に歌ったので少々くたびれて帰宅後はノビていたのですが、お月見だ!と賑やかに来襲した甥姪に煽られて外に出たお蔭で、このところ弛緩し切っていた気分も少しばかりシャキッとしてきました。明日から大学も始まります。リズムができるまでしばらくかかるかもしれませんが、10月は発声セミナーもあるし、気力体力を充実させて頑張りたいと思います。

質疑応答

2015年09月13日 | 日記
先日読者の方から頂いていた質問にお答えしようと思います。
しかし、声は実際に聴かないとわからないし、言葉で説明できるのは一般論の範囲内に限定されるので、どの程度役に立つかわかりませんが。
まず頭部共鳴腔について。耳の後ろの側頭骨や蝶形骨洞・篩骨などの副鼻腔、また口腔や鼻腔や咽頭腔など、含気孔(空気の入っている空間)は、音域や音型によって多少の差はあれ全部鳴るので、各母音に対応してこの部分が鳴る、というような一対一対応はありません。一番肝心なのは呼気のスピードです。喉頭蓋を挙げてしっかり後ろを開け、息を高速で垂直に飛ばすことで共鳴腔の空気が振動を起こす訳です。イの母音は口の中が狭くなりやすいので、上の一番後ろの奥歯を耳の後ろまで引っ張るような感覚で軟口蓋をしっかり挙げると側頭骨が振動するのがわかりますが、どの母音もすべて息が口から外へ漏れないよう、息を垂直に飛ばして蝶形骨まで届けます。ご質問の通り「息は上に飛ばしながら声は後ろ」で、呼気の方向とスピードが命なのです(特にテノールは、声がひっくり返るのはほとんどが呼気のスピードが足りないせいだそうです)。
今述べた頭部共鳴腔は主に高音域のアンザッツ(声の当たる場所)で、低音域は下咽頭や喉頭や胸にも響きますが、決してその「響く場所」に息を集めるのではなく、低音で胸声を使う時も息は常に上に上げます。息を上に上げるためには(軟口蓋を高く保つためにも)顔の一部は常に緊張しています。その時、声帯も連動して引っ張られます。アンザッツは母音より音域で決まりますので、低音域は硬口蓋に当てると響きやすいということはありますが、その時も必ず軟口蓋は挙げておきます(でないと息が上へ上がれません)。力まない、というのは「上半身に力を入れない」ということであって、息を上へ飛ばすためには下半身(特に内腿(内転筋)と足の指)にはかなりの力が加わりますし、先述のように軟口蓋を拳上するために上あごは常に緊張しています。
パッサージョ(裏声と地声の境目)をミックスヴォイスでうまく通過するには、上から下への下行音型で発声練習をしますが、次の音へ移動する度に必ず息を下から上へジラーレしながらポルタメントをつけます。下行の時は緊張が緩んで体がしぼんでいきやすいので、逆に体を外側へ拡げ、下半身の力が抜けないようにします。
こうして書いていると、やはり言葉の限界を感じますね。声は実際に聴いてみないとわからないものです。言葉はしばしば誤解を生むので、読者の皆様もその点どうぞご留意下さい。



実践的ケア論(?)

2015年09月11日 | 日記
昨日は父方の祖父の13回忌でした。祖父が亡くなった1999年9月10日は熊本国体の開会式当日でした。残暑が厳しかったこと、遠来の弔問客の方たちのホテルが取れなくて困ったことを覚えています。その翌年に交換留学生として渡独し、帰国したのは翌2001年の今日、9月11日。成田に着くと台風で空港が封鎖されており、アメリカでは同時多発テロが発生していました。
それから15年、紆余曲折を経て今に至る訳です。誰の人生にもいくつかのターニングポイントがあるものですが、私にとって祖父の死と留学はその伏線になった出来事でした。でも、よく考えたら、私は祖父の死後に演奏活動を始めたので、祖父には一度も歌を聴いてもらったことがありません。ひょっとしたら、祖父は私が歌が好きだったことさえ知らなかったかもしれません。あの世でどんな顔をして私が歌うのを聴いているでしょうね。
そういえば、昨年の今頃はドイツで久美さんの埋葬式に出席していました。教会で行われた音楽葬では胸が詰まって歌えなかったことを鮮明に思い出しますが、先日のリサイタルには久美さんの義理の妹さんと姪御さんたちも来てくれて、久美さんも一緒に来てくれているような気がしました。
博士課程でお世話になった倫理学の先生はよく「死者は死者として生きている」、「ケアは死者へのケアまで含まないと完結しない」と仰っていましたが、その先生が私の博論(ケア論)の公聴会で「ケアとしての儀式・典礼の意義を今後のテーマの一つにしてはどうか」と仰いました。その時は意味がわからず、「今後の課題とします」と答えたものの、レッスンやセミナー、演奏活動が増えるとともに久しく研究活動は棚上げ状態のままです。しかし、これも自分のケア論に立脚した実践的ケア活動の一環と想えば辻褄は合います(笑)。演奏会を作品と作曲者と演奏者自身を賦活し、聴衆を鼓舞し慰藉する営為ととらえれば、これは「ケア的要素も含んだ儀式」と言えないこともありませんね。レッスンやセミナーを「ケア」ととらえることはもっと容易です。
何となく自己弁護風ですが、こうして自分を納得させることもセルフケアの一部ということでご容赦を(笑)。

感謝

2015年09月05日 | 日記
7年ぶりの大掛かりなリサイタルを、多くの皆様のお支えのもと無事に終えることができました。ご来聴下さった皆様、エールをお寄せ下さった皆様、本当に有難うございました。心より感謝申し上げます。
前日にヴァイオリニストのN氏を東京からお迎えし、伴奏のM先生、賛助出演のIさん、熊本に来られるM先生をいつもお世話をして下さっている(ついでに私やIさんもお世話になっている)Uさんご夫婦とご一緒に、総勢6人で阿蘇のペンションに泊まって練習をしました。このところ雨続きだったのに、この日からお天気が上向きになり、練習も気分よくできました。夜は6人で楽しくお喋りしてリラックスし、一夜明けて午前中また少し練習した後下山し、会場入りしました。午前中のうちにチェンバロが搬入され、調律師の方が既に会場入りして調律をして下さっており、調律が終わるのを待って軽くリハーサル。チェンバロやヴァイオリンと共演するのは初めてなので、立ち位置決めや楽器の配置決めに少し時間がかかりましたが、何とも典雅な響きにうっとりとしながらのリハーサルでした。
本番が始まると、満席とはいきませんがたくさんのお客様で席が埋まっています。最初のヘンデルのドイツアリア3曲は、歌う前に訳詞の朗読が入ります。若手アナウンサーのSさんが、よく響く声で(マイクを使わずに)詩を読み上げ、続けて演奏に入ります。3曲とも大好きな曲です。いろいろ細かいアラはありましたが、楽しく歌えました。続いてIさんとの二重唱。メンデルスゾーンの二重唱歌曲集の中の有名な2曲で、長いこと歌い慣れた曲ではありますが、何しろずっとアルトを歌っていたので時々頭の中がごちゃごちゃになります(笑)。でも、今日の本番がおそらく今までで一番良い出来だったと思います。気持ちがピタッとひとつになり、阿吽の呼吸でミスも誤魔化し(笑)、最後まで気持ちを切らさずに歌えました。
休憩を挟んで、後半はN氏のヴァイオリン独奏から。ご存知バッハの「シャコンヌ」です。袖で聴きましたが、本当に素晴らしい演奏でした。16分間の演奏中、会場のお客様が水を打ったようにしんと耳を傾けていらっしゃる空気が袖まで伝わってきました。ラストはモーツァルトのモテット「踊れ、喜べ、幸いなる魂よ」全曲。これは以前一度M先生のオルガン伴奏で歌ったことがあります。1楽章が終わったところで拍手が起こりました。そして、レチタティーヴォに続く長いカヴァティーナの途中で事故が起こりました(笑)。この楽章は長くて同じ歌詞の繰り返しなので、たまに迷路に入り込むのです。前回の本番でもそうでした。その時は何とかうまくつないで誤魔化せましたが、今回は全然つながらず、助けを求めてM先生の方を向きましたが、なぜかいつものように助けて下さいません(涙)。数フレーズ迷子のままうろうろし、途中でやっと接ぎ穂を見つけました。少し開き直って終楽章の「アレルヤ」に突入。ところが、歌いなれた「アレルヤ」でまたも事故が発生。ヴァイオリンの音色に幻惑されてしまったようです。で、もう破れかぶれになって最後のハイCを引っ張りました(笑)。成功(笑)。
お客様の温かい拍手を頂き、アンコールに宮崎民謡の「稗搗き節」を4人で演奏しました。今日のプログラムは全部外国語でしたから、最後は日本語で。自分で言うのもナンですが、これはとても良かったと思います。哀愁を帯びたヴァイオリンのメロディが先導し、続いて二重唱にヴァイオリンのオブリガートが絡み、何とも言えず日本人の血が騒ぎます。お客様も喜んで下さったと思います。
最後に、私の幼い日の思い出の曲を2曲メドレーで歌いました。母が好きだった「悩む世人のために」という聖歌と、父が歌っていた「灯台守」です。この2曲がまた不思議とよく合っていて、2曲で1曲のような不思議な感じでした。リハーサルの時には子供の頃の記憶が蘇り、涙が込み上げて歌えなかったのですが、本番ではしっかり歌えました。自分としては今までで一番の出来だったと思います。父も母も聴きに来ていましたから、きっと喜んでくれたことと思います。
打ち上げの席で、N氏が「今日のお客さんは素晴らしかったね。東京の聴衆に引けを取らないレベルだ」と仰いましたが、私も本当にそう思いました。私のコンサートはいつもお客様が実に素晴らしいのです。この方たちのお蔭で私は歌い続けていられるのだ、としみじみ思いました。
この余韻に浸りつつ、明日からしばらく残務整理です。少しずつ日常に戻るとしましょう。
もう一度、ご来場下さった皆様、お支え下さった皆様、本当に有難うございました!