丹田呼吸発声

2021年05月18日 | 日記
先日、U先生直伝の丹田呼吸発声法を合唱団向けに録画配信しましたが、その後の自己検証の意味もあって今日、もう一度U先生のリモートレッスンを受けました。先生のメソッドが拡がることをとても喜んで下さって、光栄至極です。
今日は基本的ポイントの再確認から。まず姿勢(立ち方)です。下腹が引けていて、重心が前にある立ち方。かつて来日したロジェ・ワーグナー合唱団の演奏会に行って、彼らの「立ち方」が素晴らしかった、と仰っていました。そして呼吸。丹田呼吸は下腹を常時引き付けたままにするので、吸気は背中側に入る(背中が膨らむ)ことになります。呼気は下腹から持ち上げる、空気を絞り出す感じになる、と。声を出す段になると、まず下あごを手前に水平に引き、「あくびのど」で息を吐きながら、唇だけを柔軟にしてho---と発声しますが、その時息が止まらないように、一定のスピードでまっすぐに吐きながら(これが大事)、最初は子音だけ、途中で下腹のアタックを加えて母音に接続します。このアタックをU先生は「気合い」と表現されます。息のスピードが一定であることがベルカントである、という方もおられるとか。そして、ho---という時に子音の息の音がしなくなるように、ほとんどオに聞こえるようになるようにもっていくのだそうです。
音域的には1点ホあたりから上行・下行で半音ずつ上がっていく練習をしますが、1点イあたりでチェンジヴォイスとなり、声帯の合わせ目(へり)だけを使う音域に近づいてきます。体というものは存外不器用で、思ったようには発声できないものですが、やはり練習あるのみで、「中音域を中心に」、「小さな声で」、「毎日」練習することが大事だと仰っていました。
息が喉で止まらないように、腹圧や呼気のスピードをゆるないように曲の練習をするのに、例えばCaro mio benの曲だと、最初の「カ」は[k]→[x]→[a]というふうに、3つの手続きを踏んで音にするのだそうです。子音→息→母音という流れですね。
発音に関しては、口の中は「オ」の形で、下あごを引き付け、オとウは円唇で、イ、エ、アは笑顔で話しかけるように発するのだそうです。日本歌曲の場合、曲によっては歌舞伎や浄瑠璃のようにポルタメントを多用して雰囲気を出すことも。
丹田呼吸は今、コロナに負けない体づくりということで、医療関係の方たちも盛んに発信しておられますが、実際この発声法を続けておられるU先生の生徒さんが、職場でクラスターが起きたのに一人だけ陰性だったとのこと。免疫力アップには確実に役立ちそうです。私も、今日も本当に小さな声しか出していないのに、すごい全身運動になったみたいで、一息ついたら急に眠気が襲ってきて爆睡してしまいました。

2021年05月14日 | 日記
クリスティナ・ロセッティという18世紀イギリスの詩人に「風を見た人」という作品があります。これを西条八十が訳し、草川信が曲を付けた童謡があることを知りました。

Who has seen the wind?
Neither I nor you;
But when the leaves hang trembling
The wind is passing thro'.

Who has seen the wind?
Neither you nor I;
But when the trees bow down their heads
The wind is passing by.

誰が風を見たでしょう
僕もあなたも見やしない
けれど木(こ)の葉をふるわせて
風は通りぬけてゆく

誰が風を見たでしょう
あなたも僕も見やしない
けれど樹立(こだち)が頭をさげて
風は通りすぎてゆく

私は近くの高校のコーラス部に月2回ボイストレーニングに行っているのですが、そこで今「風を見たひと」という女声3部合唱曲をやっていて、いい曲だなと思ってテキストについて調べてみたら、なんと西条八十・草川信のペアによる童謡があったのですね。さすが西条八十、この訳詞の何と魅力的なこと!子供の頃歌いたかったな、と思いました。
高校生が歌っている合唱曲は、木島始の訳詞に木下牧子が付曲したものです。

風をみたひとが いるかしら?
あなたも わたしも 見ちゃいません
でも 葉っぱが 垂れて ふるえていたら
風が 吹きすぎているのです

風をみたひとが いるかしら?
あなたも わたしも 見ちゃいません
でも 木々が 頭で お辞儀をしていたら
風が 吹きすぎているのです

この訳詞もいいですね。「見ちゃいません」という表現がちょっと気になりますが、女流詩人の原詩だからか、女性の口調で訳されていて、平易で親しみやすく、八・五調がベースになった韻律も適度にリズミカルで素敵です。
冒頭の「風をみたひと」という言葉にまず心をとらえられます。風はヘブライ語で「ルアッハ」、ギリシア語で「プネウマ」で、魂とか気息という意味もあるのです。以前「千の風になって」という曲が大ヒットしましたが、あれも元々はネイティブアメリカンに伝承されている詩なんですよね。風を霊魂ととらえる発想は、どうも集合的無意識のようです。
以前、特別支援学校の先生が、生徒さんに「先生、風を見たことある?」と聞かれて「風は見えないのよ」と答えてしまい、その後ずっとそのことが心に残っていた、と話して下さったことがありました。この話、とても印象深く覚えています。そのお子さんにはきっと風が見えていたのでしょうね。残念ながら私にも風は見えませんが、風に息吹を感じることはあります。呼吸と大いに関連があるテーマだと思っています。

コンサート案内

2021年05月01日 | 日記
新年度の慌ただしさに紛れてブログを更新する余裕がありませんでしたが、気が付けばもう5月。忙し過ぎたせいか、それともコロナの影響か、季節や日付の感覚が少しおかしくなっています。
さて、明日5月2日(日)午後7時半から熊本市男女共同参画センターはあもにいのメインホールで、M先生が1時間ほどのピアノのソロコンサートを開催されます。音楽家は心のケアの従事者だと認識しておられるM先生、「警戒レベルが上がったし、今回はあまりお客様が入らないと思いますよ」と心配する私に、こういう時こそ人の心を励まし、元気にすることが大事なのだと仰って、予定通り開催されるそうです。
今回はチケットもチラシもプログラムも無し。接触を避けるため、チケット代相当を封筒に入れて集金ボックスに入れて頂くという方式です。演奏時間も1時間で切り上げるとのこと。
熊本にお住まいの皆様、よろしかったらどうぞご来聴下さい。