遠隔授業

2020年04月23日 | 日記
非常勤として出講している3つの大学が、連休明けからオンライン授業を開始することになりました。
休校延期が繰り返された末の遠隔授業開始決定で、各大学ともシステムの構築に大わらわです。
私は今月やっとガラケーからスマホに替えたぐらいのアナログ人間なのに、突然降って湧いたこの災難。お蔭でこの数日はパニック状態でした。
3大学と連日メールのやり取りで相談と懇願の繰り返し(涙)。そして今日、哲学概論を受け持っている大学に行って、1回目の授業を収録してきました。
無観客試合よろしく、教室でカメラに向かって1時間の授業を行い、それを学内の学習サポートシステムにアップするのです。
受信容量の問題があるので動画の配信はあまり推奨されませんが、この大学では一応システムができていて、収録にあたってはスタッフさんがきめ細かくサポートしてくれて、心強い限りです。これから数日の間に、4回分の授業の収録を行う予定です。
さて、あと2つの大学ではドイツ語を教えるのですが、これが大問題。
2つのうち1つの大学では、全学的な方針として「動画の配信による授業は行わず、課題・レポート提出で対処する」ことになったとのこと。
もう1つの大学でも、動画配信を禁止はしないものの、受信容量を超えてしまって受信できなくなる学生さんが出ることが予想されるので、よろしく配慮せよ、とのお達し。
さーて、まったく初めての外国語を学ぶ、その最初の数回の授業を「課題・レポート」でどうやったらできるのでしょう????
いっそ「Eテレの「旅するドイツ語」を見て下さい」とでも通達しようか、と半ばヤケッパチな気分になってきました。
「対面授業が始まるまで休講とする」というのはどうかな。対面授業が始まったら、休講にした分は補講日に集中講義を行うことにする、とか。
でも、コロナ感染が漸増傾向の熊本では、予定通り6月から対面授業が行えるのかどうかの見通しも立ちません。休講作戦は少しリスクが高すぎるかも。
大学ごとに異なるオンラインシステムを覚えるのも、超メカ音痴の私には大変な苦行です。こんなことでもなければ、決して自分から近づくことはなかった領域ですから。
人生って本当に何が起こるかわかりませんね。
そういうわけで、ただいま修行中です。


オンラインレッスン始めました

2020年04月18日 | 日記
緊急事態宣言が全国に拡大して、不要不急のお出かけには皆さんが慎重になっておられる折柄、レスナーさんたちは皆オンラインレッスンを導入されているようです。
そこで私も、タイムラグがどの程度出るのか、画質はどうなのか、気分はどんな感じなのかを確認する意味もあって、先月ご縁のできたY氏のオンラインレッスンを受講してみました。結果、ネット環境さえ整っていれば、リアルとあまり変わらない感覚でレッスンができるものだとわかり、昨日、「今日のレッスンはやっぱり自粛しておきます」と連絡下さったIさんにネットレッスンを提案し、LINE動画を使って1時間弱のレッスンを行いました。
まだお互い不慣れなのでスマホの置き場所など工夫の余地はありますが、案外イケそうな感じです。音質はリアルにはかないませんが、口の形などはリアルよりもよくわかります。
今月初めにガラケーを解約してiPhonにしたので、LINE動画、Skype、Zoomでのオンラインレッスンが可能になりました。レッスンに行きたいけれど外出をためらっておられる方、どうぞご連絡下さい。ネットレッスン、試してみませんか。遠方の方もオンラインならレッスンできます。不足を数えるより可能性を拡げていく心意気で、この難局を乗り越えましょう。

鶏と卵

2020年04月17日 | 日記
コロナ禍に伴う緊急事態宣言が全国に拡大されました。遅きに失した感は否めませんし、補償を渋る政府の姿勢にも疑問を抱かざるを得ませんが、こんな為政者を選んだ私たち自身の責任をもう少し自覚しないといけないのではないか、と思う日々。倫理学を学んだ院生時代、「日本人は「公=お上」だと思っている。民主主義の前提は「公=私たちの代表」という認識。」、「お上には逆らえ(い)ません、という国民には民主主義はムリ」という議論があったのですが、これは根本的には「個人」とは何かという問題だと思います。日本人の自我はご飯粒のように常に他者とくっついていて、一言でいえば自分がない(むろん、これは歴史的、国際的な視野で全体として見た場合の話で、実際には自立的な一匹狼も一定割合存在することは承知しています)。民主主義においては社会とは個人の総和であって、「お上」なんて存在しない。為政者と国民は上下関係ではありません。ただ立場が違うだけです。私たちの代表者は、私たちに納得のいく説明をし、私たちを守る施策をするのが責務であり、私たちは納得してそれに従い、それによって守られるべき存在のはず。
先日SNSで、ドイツ在住の日本人女性の記事を読みました。なるほど、この国民にしてこの政治家あり、鶏と卵とはこのことです。

(メルケル首相の)スピーチは圧倒的な国民の支持を得た。と同時に、社会全体の緊張度が急速に増した。学校や幼稚園はすべて休校となる。生活維持に必要な店以外はすべて閉店する。ドイツを代表する自動車産業などもすべて操業停止となる。町では、接触を避けるために、人との距離を取る。これらは、ただ、上からの命令に従うというのではなく、社会に生きる一員としての自覚をもって、自分のできることから寄与しようという意志に基づいているようにみえる。
 しかし、当然のことながら、閉店やサービスの停止によって、膨大な数の人々の生活が脅かされることとなった。とりわけ旅行関連会社の損失は計り知れなかった。これらすべてに対して、連邦議会があっという間に過去最大規模の経済支援政策を、ほぼ満場一致で決定した。企業ばかりではない。失業した、バイトができなくなった、店が開けられないので、売り上げがゼロになった、タクシー運転手で客が来ない。そういう人たちが大挙して、この支援金を申請した。議会でこの点が何度も強調されたように「お役所仕事ではない」驚くべき速さで、申請してからわずか二日後には、5000ユーロ(60万円)が振り込まれるという、実に頼りになる支援だった。また、家賃が払えない賃貸人を退去させてはならないという法律も大急ぎで成立、矢継ぎ早に、生活者の目線に立った支援策を連邦議会が決めていった。
(中略)それにしても、人々の連帯への意志には目を見張るものがある。たとえば、私の住むノルトライン・ヴェストファーレン州で、学校が閉鎖になるという通知からその実施日までは、週末たった二日しかなかった。それでも、祖父母はもちろん、近所の人たちやボランティアがかけつけて、「お手本になるような」(WDRニュース報道)支援体制で、行き場のないこどもたちはほとんどいなかったという。いわゆる高齢者などハイリスク・グループに対するお手伝いの申し出が、暮らしの中で飛び交う。買い物代行、声掛け、その他雑事へのボランティアなど。こういうこともあった。筆者の本業は、日本人が多く住むデュッセルドルフの公文式教室の指導者なのだが、転出時期も重なった3月には、コロナ禍のため、大量の日本人生徒が帰国した。それを横目に見ていた、ある、3月末に転出を予定していたドイツ人生徒の父親が、私にメールで書き送ってきた。「あと1か月、4月分の会費を払って、転出を延ばします。それが、私があなたにできる連帯の一つの形だから」。
(中略)そして、何より私が驚くべき現象として見ているのは、あのメルケル演説以来、毎日のように、ドイツ人の友だちから面白ビデオやジョークの類が送られてくることだ。ドイツでは、ユーモアの定義を「にもかかわらず笑う」と言う。危機的な状況だからこそ、それを笑い飛ばす。そうすると、物事にのめりこんでいたのが、一歩距離を置いて考えられるようになる。こんなところにも、ドイツ人の強さがあるのだとあらためて感じている。(中略)
 こういう状況がドイツでしばらく続いているうちに、EU内でイタリア、スペイン、フランスなどで医療崩壊が起き、悲惨な事態となった。ドイツは重症患者の何人かを、ドイツ国内に搬送して治療に当たる援助も始めた。また、バカンスに出かけて、戻れなくなったドイツ人を、空前規模のチャーター機を送ってドイツに帰国させた。自国の人々を見捨てず、これだけの国費をかけるということに私は驚いた。
(中略)日独の根本的な違いは、メルケル首相が演説の中で、3度も言及した民主主義が、本当に政治システムとして機能しているか否かにある。社会が個人の総和であるという認識、即ち、ただの一人もこの社会から見捨てるべきではないという決意が、あるかないかなのだ。日本中を闊歩している「自己責任」という言葉が、どれほどこの認識から遠いところにあることだろうか。問題を社会全体で引き受け、分担することによって、一人一人の負担を減らすという考え方は、ひどい目に遭ったら、それはその人の不運にしかすぎない、いや、そのような目に遭うようなことをした方に問題があると見る見方の反対の極にある。会社だとか、学校だとか、家族だとか、小さなグループに生きている日本人は、社会全体が見えていない。たとえ熱があっても、会社に出勤することが至上命題で、通勤途中で人に感染させようが、それは二の次だ。戦後70年、結局、日本の学校教育の中で社会や民主主義の意識は育てられないまま、今に至っている。コロナという大波が押し寄せてきたとき、その違いがたちどころに、露わになる。これがドイツから見ていて、どれほどもどかしいことだろう。
人々が、不安なまま、季節は変わる。NRW州では、生活をともにするパートナーは一緒に散歩に出ることが許されているので、通行する人との距離を保ちながら、陽光の中に出る。この季節、ドイツになくてはならないもの、それは白アスパラガスだ。国境閉鎖で、通常はその収穫に当たる、主として東欧からの季節労働者が、今年は入国できないと危ぶまれたが、さっそく政府は緊急に農業支援をすべく、彼らにのみ、入国審査を簡素化した。お蔭で、ほぼいつも通り、白アスパラが店頭に並ぶようになったのである。
世界は、刻々と変わりゆく状況のただなかにあり、まったく予断を許さない。しかしせめて、マスク2枚を配布するとか、和牛振興券とか、ただ発令することに意味があるような緊急事態情報とか、日本のコロナ対応が、世界全体から見て、本当に異常なことだと認識されてほしい。




肝っ玉母さん

2020年04月12日 | 日記
今日はイースター。クリスチャンの皆様にとっては大切な日です。この日を前に、ドイツのメルケル首相が国民に向けて第2弾のメッセージを発信しました。こんな肝っ玉母さんをトップに戴くドイツの人々が心底羨ましいです。以下に翻訳を貼り付けます。前回同様SNSから翻訳を拝借しましたが、日本語の言い回しに少し修正を加えました。

私がお約束します。連邦政府を頼ってください。

国民のみなさん、こんにちは。こうしてまた首相府からお話できるのを嬉しく思います。自宅隔離を終え、体調も万全です。14日間一人で家にいて、電話やインターネットでしか世界と繋がることができないことが簡単な事態ではないことがよくわかりました。高齢者や持病のある人、私のように隔離を求められている方々に心からお見舞いを申し上げます。
このウイルスとの戦いにおける私と連邦政府の意思決定の指針を、いま一度みなさんにお伝えします。まもなくイースターが始まります。何百万人ものキリスト教徒にとって、復活祭は家族みんなで散歩をしたり、焚き火をしたり、あたたかい南部の湖で過ごしたりするものでしょう。でも今年は違います。私たちはこれまでとはまったく異なるイースターを過ごすことになります。もちろん、キリスト教徒は受難日(金曜日)と復活祭を祝うでしょうが、ほかの信者と共に教会に集まることはできません。この数週間、各教会がテレビやラジオ、インターネットを通して素晴らしい礼拝を多くの人々に届けてくれていることを嬉しく思います。イースター期間中はさらに増えることでしょう。
私はまた、宗教施設に集まることができないユダヤ人やイスラム教徒、そのほかの宗教を信じるみなさんのことも想っています。社会に大きな影響を与える緊急事態宣言は、緊急時に最低限の期間のみ受け入れられるべきものです。
この2週間、自粛ルールを守りながら散歩をすることはできます。でもそれは、同居の家族1人か、家族以外の誰か1人とのみです。そして短くても1.5m、できれば2m間隔をつねに空けてください。頻繁な手洗いも忘れないように。マスクを着用していても、ソーシャルディスタンスを保つことをつねに心がけてください。ウイルスに対するワクチンや治療薬がない限り、ソーシャルディスタンスを保つことは最も効果的な予防法だからです。
もう一つ、肝に銘じてください。小旅行であっても、イースター休暇中にドイツ国内の湖や山、親戚を訪ねてはいけません。とても辛いですね。わかります。私たちは好きなときに好きなだけ移動し、旅をし、したいことをするのに慣れています。それは自由な人生の基本です。ところが突然、このようにいくつものルールや規制ができたのですから。でもこれらは、命に関わる重大なことなのです。ですから私は、イースター直前の今、もう一度みなさんに思い出してほしいのです。
みなさんの中には、「もう2週間も規制に従っている。あとどれだけ続くんだ?」と思う人もいるでしょう。わかります。ですが、私がいま解除日を申し上げておいて約束を果たすことができなかったら、とても無責任なことになります。医療も経済も社会もますます悪い状況になるでしょう。私がみなさんにお約束できるのは、連邦政府を頼ってくださいということです。私も昼夜問わず、どうすればみなさんの健康を守りながら、元の生活を取り戻すことができるかを考えています。一人一人が自分の責任を認識しなければ、それに応えることもできません。同じように、現実にそぐわない規制解除日を決めたり、間違った希望を膨らませたりしては、責任を果たすことができないのです。
あらゆる視点から全体像を捉えるのは、とても骨の折れる仕事ですが、親愛なる国民のみなさん、連邦政府と私個人がこの仕事を担うことに期待していてください。私たちはまさにそれに取り掛かっています。お約束します。それに成功し続けるために、今後もみなさんの協力が必要です。
率直に申し上げます。この数週間、国民のみなさんは大きな力を貸してくださっています。我が国の最も良いところが表に出ています。このことに私は感謝しきれません。
コロナウイルスの感染は、ドイツでもいまだに急拡大しています。命を落とした方々とそのご家族、ご友人に心からお悔やみを申し上げます。毎日数千人が新たに感染しています。新たな患者が毎日増え続けているということです。病院での集中治療を必要としている方々もいます。重症の方々を含め、まだみなさんに必要な治療をできる状態にあります。私たちは人間社会に生きています。数字ではなく、一人ひとりの尊厳が守られるべきです。
コッホ研究所による最新情報では、新たな感染者の増加ペースは数日前よりもわずかながら落ちてきていますが、これを「傾向」として結論づけるにはまだ早すぎます。いまの時点で規制を緩めるのは早すぎるのです。専門家は、みなさんが要請に従うことで感染カーブを緩やかにすることができる、と言っています。私たちは、医療システムがコロナ禍という大きな負荷にきちんと対応できる状態にしておかなければなりません。4月1日の州首相との会議では、自粛要請ガイドラインはこれまで通りイースター休暇最終日の4月19日までとすることで一致しました。それ以降の指示は、ウイルスの拡大状況と病院への影響に大きく左右されます。
いまは不安が募るときであることを、私もよく理解しています。みなさんの家庭、職場、そして国全体が要請によってどう変わるか、という問題ですから。政治家が簡単にみなさんの心配を取り除くことができるわけではありません。ですが、政府としてできることはすべてやる心づもりです。この数日間、ドイツでは過去最大級の財政支援策と社会保障をしています。助成金やローン、短期の休業補償に対する数え切れないほどの手続きが、なるべく官僚的ではない形で迅速にされています。
みなさん、覚えていてください。連邦政府はみなさんとともにあります。私たちの社会的市場経済が価値あるものだということを示すために、できることすべてに取り組んでいます。私たち国民全員が、このパンデミックから日々学んでいます。科学者も、政治家も同じです。みなさんの忍耐に感謝します。ルールを守り、人との接触を控えてできるだけ家にいるみなさんは、それだけで能動的にいいことをしているのです。この状況下で、どうしたらほかの人の力になれるかと考えを巡らせている人もです。
ソーシャルディスタンスは守らなければなりませんが、それは親しみや愛情、連帯感を示す妨げにはなりません。手紙を書き、電話をかけ、スカイプで話し、ほかの人の買い物を手伝い、自宅でのコンサートをネット配信することもできます。これらのすべてが、いまの時期を一緒に乗り越えていく力になります。
“その後”は必ず訪れます。心から祝うことのできるイースター休暇はまたやってきます。「結果論」としての素晴らしい生活がいつ戻るかは、いまの私たちの手にかかっているのです。共に力を合わせてこの危機を乗り越えましょう。それが、私たちにいまできることなのです。

コロナ対策

2020年04月10日 | 日記
連日コロナウィルスの報道ばかりなので、そもそもウィルスって何なのだろう?と考えることしばし。高校時代、生物の夏休みの課題で『細菌とウィルスの間』という本を読んだことがありましたが、内容はきれいさっぱり忘れてしまいました。先ほど見つけたネット情報ですが、ウィルスとは「脂質の保護膜で覆われたタンパク質分子」なのだそうで、粘膜に付着すると遺伝コードが変異して倍々で増殖するのだとか。それなら「分子」とは何なのかが問題ですが、ともかく保護膜の脂質と本体のタンパク質を破壊すれば消滅するわけですね。
アメリカのジョンズ・ポプキンス病院から発信された情報によると、コロナウィルスを崩壊させるためには以下の7つが有効だそうです。
1. 石鹸、洗浄剤
2. 熱
3. アルコールを65%含むもの
4. 塩素系漂白剤
5. 過酸化水素水
6. 乾燥した暖かく明るい環境(湿気と暗さがウィルスを残存させるのだそう)
7. 紫外線ライト

脂質やタンパク質の分解に役に立たないものが以下の3つ。
1. 殺菌剤、抗生物質
2. 酢
3. スピリッツ、ウォッカ(アルコール度数が足りない)

やってはいけないこととして「服やシーツ、布などを振ること」が挙げられていました。ウィルスはものの表面に貼り付いたままなら不活性なので、放置しておけば自然に分解するらしいです。それを振って空中に浮遊させると、吸い込んだり粘膜に付着させたりしてしまいますからね。こんな実用的な情報は有難いです。
一方で、ウィルスがこれほどの規模と速度で蔓延し、人類を脅かしているということ自体を俯瞰し、現代社会のあり方を根本から見つめなおすこともまた、大切な課題ではないかと思います。コロナ禍が時代を画する一種のエポックであることは、おそらく間違いないでしょうから。