カモさんありがとう

我が家の近くに池がある。小さくて、また、水が濁って汚い池。そんな池にも生き物はいる。鯉と亀です。秋には鴨が飛来してくれる

老いをみつめてーー(NO29 ふるさと)

2018-07-15 12:57:25 | つぶやき
7月14日、今年初めてセミの声を耳にした。

やはり、毎年のことだから、と思ったが。

ところが、自分の感じ方は違った。

蝉の鳴き声を聞いて、今年は半世紀以上も前の子供のころのことを、思い出していたのである。

私には、「ふるさと」はあるのだろうか? あるとすれば何処?

普通の人は、生まれ故郷や特に記念になる場所や思い出の場所が「ふるさと」として胸の内にしまい込んでいますね。

喜寿を過ぎた自分ですが、私は、自分がどこで生まれたのか知らないのです。

しかも、両親がどんな人で、名前も顔も分からないのです。

この、親のことは、改めて書きたく思っています。

今日は、セミの鳴き声を聞いて、小さかった頃のことを思い出していたのです。



自覚しているのは、小学2年生になるときに守口市の滝井から尼崎市の立花というところ転居したことくらいからです。

今のJR線のすぐそばの市営住宅に抽選で当たったので引っ越ししたようです。

ここで、小学校から高校生の時代を過ごした。

近くのこんもりした小さの森のようなところがあった。毎年のことでしたが、その頃は、夏になると盆踊りがありました。

小学校の頃は、それが楽しみであり、一生懸命に大人の人たちに交じって踊った楽しい思い出があります。

また、近くには田圃がまだまだたくさんありました。そこでは、とんぼのヤンマを追いかけまわしていたのです。



そして、高校を卒業まで立花で親と共に10年間過ごしました。

そして、名古屋の金融機関に就職したのです。一番思い出になるはやはり一番最初に配属された店舗です。

名古屋では、16年間過ごしました。名古屋というところは道路が広くて、比較的静かな町であります。

金融機関という職場は、通常3年から5年くらいの間で転勤があります。

16年の間に5店舗も転勤しました。

その間に、結婚を許され子供も男の子が1人、女の子が1人授かったのでした。

家内の両親には随分とお世話になりました。



そうして、名古屋から大阪への転勤があり、住まいは奈良でした。奈良から大阪難波へと通ったのでした。

この奈良には、3年ほどいましてすぐに今度は京都の支店へと転勤です。

住まいは、2年ほど左京区にある社宅住まいでしたが、伏見区に建売住宅を購入し転居しました。

借り入れでの購入でしたので、毎月給与から返済していきましたが

定年退職の時点でも返済が終わらなく、退職金から残金を支払わなくてはなりませんでした。

ここでの生活が今までの生活期間の中で一番長くなったのです。

子供達も大きくなりそれぞれ結婚もし子供にも恵まれています。

海あり山ありの生活でしたが、16年前には家内が癌でこの世を去りました。一番悲しい出来事でした。


「うさぎ 追いし かの山 こぶな つりし かの川ーー」

といった、故郷がありません。

でも、子供たちが、それぞれ成長していった 過程の土地を わが故郷として こころのふるさととしています。

さて、今日の漢字は家が出てきましたので、調度品関係の漢字にいたします。

① 行燈 ② 剃刀 ③ 竈 ④ 甕 ⑤ 蚊帳

今はあまりお目にかからない調度品ですね。

では、昨日のブログ「土地法規制度や所有者不明土地の公益利用について」の漢字の読み方です。

① 遺棄ーーいき ② 隠滅ーーいんめつ ③ 開示ーーかいじ ④ 開陳ーーかいちん ⑤ 勾引ーーこういん

以上でした。

お読みいただきありがとうございました。

ではまた!!!