峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

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新しい人

2008年02月01日 | 学校教育
私のHPの掲示板に愛知県に住む真子さんという高校2年生から「自律」「自由」についての意見が述べられました。
そのことについては、私もかねてから思うところがあり、真子さんに応える形で私の考えを述べました。私の分だけここに2回に分けて転載いたしますが、HPの方をご訪問いただき高校2年生の真子さんの意見にも目を通していただければ幸いです。HPから来ていただいた方には重複することをお許しください。

真子ちゃん。いい問題提起だね。

「自律」という言葉を広辞苑で引くと[自分で自分の行為を規制すること。外部からの制御から脱して、自身の立てた規範に従って行動すること][カントの倫理思想において根本をなす観念。すなわち実践理性が理性以外の外的権威や自然的欲望には拘束されず、自ら普遍的道徳法を立ててこれに従うこと]とあるね。

ポーランドの小児科医であり、児童文学者で、子供の教育に命を捧げたヤヌシュ・コルチャックさんという人は次のような言葉を遺してるんだ。
「いかなる名著も、いかなる名医も母の熟慮と精察には遠く及ばぬことを知ってほしい。自ら悩み、自ら生み出した思想、それこそがこの世で最も尊いことを知ってほしい」

実はこの前「あひる学級」という乳幼児を持つ若い母親たちのための講座でね、私はこのコルチャックさんの言葉を彼女らに贈ったんだ。
そう、自律的に生きるためには先ず自身で規範をたてることが必要であり、自ら普遍的道徳法を立てることが必要であり、自らの思想を生み出すことが必要なんだ。それなくして、いかに自らを律しようとしても自分の行為を規制したり、欲望を制御するのは困難なんだ。それができない母親の元で育たなければならない赤ちゃんのことを思うと辛い。

赤福や吉兆やミートホープやその他多くの私たちの国の経営者は残念ながらそれを生み出すことが未だできずにいるんだ。いや、彼らだけでなく教師が、公務員が、政治家が、そして多くの親が、大人がそれらを確立させ得ないまま、陳腐【ちんぷ】な権威やまやかしの常識や商業主義者の恫喝【どうかつ】、あるいは甘いささやきに翻弄【ほんろう】され続けているんだ。

真子ちゃん、自分の意見を他者に伝えるためには自らの思想を持っている必要があるんだ。
真子ちゃん、この2年間でいい学びができているね。「自主・自律」を校訓に掲げている学校は山ほどあるんだろうけど「自律」について、あなたのように深く考えている教師や生徒はどれくらいいるんだろう。
大人の言いなりにならないで、自らの頭で深く考え、主体的に判断し行動してほしいと願います。
真子ちゃん、もはや、あなたを育てているのはあなた自身なんだね。
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