ゆみちゃんの365日

日々の出来事を綴っています。

鳥取県中部地方震度6弱発生!

2016-10-22 03:48:59 | ニュース

10月21日(金曜日)
プールで泳いだ後、車に乗りカーラジオをつけると、 「ただいま地震がありました。震源地は鳥取県中部で倉吉市、湯梨浜町は震度6弱。なお津波の心配は有りません」。
走行中ずっと地震のニュースばかりです。 「21日午後2時7分ごろ、鳥取県中部を震源とするマグニチュード6.6の地震があり、鳥取県倉吉市と湯梨浜町、それに北栄町で震度6弱の激しい揺れを観測しました」。
親類の皆さんが住んでいるのは湯梨浜町。ここは新興住宅地で、どの家も新しく、隣とのスペースが有ります。
とは言っても気になります。急いで帰宅し玄関を開けると、わおっ! 
下駄箱の上に置いている、子どもの写真立て、私の似顔絵が転がり寝ています。 起きて!と起こしましょう。
飲んだビールの空き缶は、下駄箱の上に置き夕方まとめてゴミ箱に捨てます。朝飲んだビールの空き缶が落下しています。
今まで震度3の地震が来ても、そんなことは有りませんでした。こりゃ城陽市も間違いなく震度3は有ったはず。
車に乗っていれば、地震があっても気づかないものです。
テレビをつけると、どこも鳥取県中部のニュース一色。心配はしていませんが、確認の電話を致しましょう。
兄弟妹の3家族が、湯梨浜町浜山団地に住んでいます。電話をするもつながりません。きっと電話が殺到して、つながりにくいだろうと諦めました。しばらくして携帯電話が鳴りました。どこやどこやと探していると切れました。発信元は弟からです。掛けなおすもつながりません。バタバタしても徒労は見えています。放置プレーに決定!
しばらくしてから女房の携帯に、 「大丈夫ですよ。親類の葬式に倉吉市に行っていました」の電話がかかってきました。
皆さん心配しながら家に入ったようですが、壊れた物は無かったようです。
よくよく話を聞けば、弟は我が家を代表して仕上げ膳に呼ばれていたそうです。 「地震のため中止致します」の喪主の声。
ナンタルチア・・・。例え開いても、余震の度にビクビクしていては、食った気がせんけ~な。
姪っ子の会社では、一人軽い怪我をされた方がいたとのこと。
親類の家は、どこも被害が無くて一安心。村の中の昔の家では、屋根瓦がズリ落ちていたようです。
ニュースでは、倉吉市の白壁土蔵群の被害の様子を映しています。お気の毒に、お店の壁が落ちています。古い家は大変だ。深夜の報道では、 「鳥取県中部ではその後、地震が相次ぎ、午後11時までに震度1以上の地震は80回以上となっていて、このうち、最大震度4の地震は5回、最大震度3の地震は13回に上っています」。
これじゃおちおち寝れません。気象庁は今後、1週間程度は、最大で震度6弱程度の揺れを伴う地震に十分注意するよう呼びかけています。 「早く地震が収束しますように」と祈るしか有りません。
熊本地震の、あの被害を見れば、やっぱり今も昔も「地震 雷 火事 親父」。
幸いにも死者がいないのが救いです。私が生まれる1年前には、死者1,000名を超える「鳥取地震」が起きています。 故郷の皆さん1週間は気をつけてごしなれ。

【鳥取県の過去の大地震】
1.鳥取地震(とっとりじしん)は、第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)9月10日17時36分54秒に発生した地震。震源地は鳥取県気高郡豊実村(現・鳥取市)野坂川中流域(北緯35度28.3分、東経134度11分)。M 7.2(Mw 7.0[1])。震源が極めて浅く、鳥取市で震度6、遠く瀬戸内海沿岸の岡山市でも震度5を記録した。1945年の敗戦前後にかけて4年連続で1,000名を超える死者を出した4大地震(東南海地震、三河地震、南海地震)の一つである。

2.鳥取県西部地震(とっとりけんせいぶじしん)は、2000年(平成12年)10月6日13時30分18秒(金曜日)、鳥取県西部を震源として発生したM 7.3の地震である。地震空白域とされる地域で発生した。
気象庁はこの地震を平成12年(2000年)鳥取県西部地震と命名した。

コメント (2)
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