その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

夢屋国王(欅繁れる5)

2011-10-07 12:09:28 | 夢屋王国

青臭い学生も歳を重ねればオヤジになる。19・20で親元を離れ、自分自身の人間形成…生き方や死に方を学ぶには、寮生活は格好の場所であり、また同時に悲劇の場所でもありました。
1979年3月、山形の田舎小僧が東京で暮らすには、まず生活の本拠地となる住まいを見つけなければならない。当時の府中市や国分寺市内には、2万円~3万円台のアパートがあったような記憶もありますが、低料金で、屋根付き、飯付き、教え付き…寮は、危険かつ安全な隠れ家であったのであります。東小金井駅は、元々、橋上駅舎でありましたが、中央線武蔵小金井駅の『開かずの踏み切り』事故から周辺駅と踏み切りが立体交差化され、ホームもリニューアルされておりました。

 

駅南口から細い路地を貫け、懐かしき実家に帰る。外壁は綺麗に塗り直されておりますが、基本的な構造体は30年前と変わらない『欅寮』1号棟が、当時のまま建っておりました。

     

学生による自治の確立・・・青臭い主義主張の殿堂も、古き良き時代の看板を残すだけで、入退室24時間自由の玄関は、自動ドアとオートロック認証システムが導入されておりました。
玄関右手には、寮の受付兼電話交換手の「泉さん」が睨みを利かせ、玄関ロビー奥には、若作りの「景山さん」が寮費他一切合切の経理をしていた会計があったのでありますが、小奇麗なロビーに変化しておりました。

 

「駒場良いとこな、ホイ! 雲と亦 自由の棲む処 そうともなぁ あ そうともなぁ♪」
山形から上京し、寮委員会に入寮許可された部屋は402号室だったような気がします。「息子が入学する大学と言うものを一度は見ておきたい…。」そう言う母親を連れて…当時は、少なくとも母親に連れられて上京したのではなく、既に母親を連れて入学式と入寮を果たしたのは、4月8日だったような気がします。余りの汚さに母親が心配するのを恐れ、玄関先の敷石にお袋を座らせ、部屋を始めて見たのでありますが、見せなくて正解でありました^^;
「帰り方、分がっか?オレンジの電車に乗り、神田で緑の電車に乗り換えて、上野さ行ぐんだぞ・・・!」そうして、疲れきった母親を帰し、入寮後すぐ始めた仕事は、今日の寝る場所を確保するための部屋掃除だったのであります…^^;(続く)


コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 夢屋国王(欅繁れる4) | トップ | 夢屋国王(欅繁れる6) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

夢屋王国」カテゴリの最新記事