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新約聖書「ルカによる福音書」

2018-10-31 10:53:50 | 日記
ルカによる福音書(日本聖書協会)
<第五章>断食についての問答
36 そして、イエスはたとえを話された。「だれも、新しい服から布切れを破り取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。そんなことをすれば、新しい服も破れるし、新しい服から取った継ぎ切れも古いものには合わないだろう。

全ての人が本当は仏さま

2018-10-31 10:32:54 | 日記
全ての人が仏さまだということを
「正法眼蔵を読む」に書いてあったので
分り易い説明なので、
投稿します。
(正法眼蔵を読む 行仏威儀の巻 谷口清超著)
【<仏之護念する所>
それ故、「汝もまた是の如し」であるから、汝も諸仏だ。吾もまた「如是」であるから、勿論諸仏である。実に、吾は単なる吾にあらず、汝は単なる汝にあらずして、全て「仏」である。かくの如く、吾も汝もことごとく諸仏であり、一切仏は一仏であり、従って吾も汝もない。即ち吾も汝も諸仏の護念の中にあるのであって、これが「行仏威儀」ということだ。吾も諸仏、汝も諸仏であるから、仏の威儀がここに厳然としてある。慧能はこれを指摘され、「吾も亦かくの如し」と言われたから、師はすぐれた仏なのだ。「汝も亦かくの如し」と言われたから、弟子であるところの懐譲(えじょう)も亦すばらしい仏である。師も弟子もともに勝れている。それが行仏という、円満完全な徳をそなえた実体なのである。】




本当の幸福

2018-10-31 10:08:01 | 日記
谷口雅春先生は
幸福とはどんなことであるかを
お示しくださっています。
本当にそうだと思います。
(参考 真理第一巻入門編 谷口雅春著)
【<幸福になるための心構え>
あなたは、幸福とはどんな事か知っていますか。幸福とは大きな事が来ることだとばかり思っていますと、毎日来ている本当の幸福を看逃してしまうことになります。本当の幸福と云うものは小さな出来事の一つ一つを感謝の心をもって受けることによって得られます。大きな地震とか、台風とか、戦争と云うようなものに本当の幸福はないのであります。朝、太陽の昇るのを見る喜び、空気を吸う喜び、透きとおった水で顔を洗う喜び、御飯をいただくときの喜び、勉強する喜び、お父さんやお母さんや姉さんや兄さんや、妹や弟の顔を見る喜び、こうした喜びが始終つづいているのが本当の幸福なのであります。】



随時随処の神想観

2018-10-31 09:26:46 | 日記
現象世界は実相世界の映し世であるから、
現象世界の根底に
つまり自分の心の奥にということと同じですが
目に見えない実相世界(神の心)が実在しているという
唯神実相哲学の根本が分ってくると、
随時随処の神想観がし易くなります。
静坐の神想観のみでなく
電車内で座している時でも
夜と床の中で目が覚めた時でも、
神の子“生命の実相”に自分を任せる全托の神想観が
楽に出来ることになります。
これをやるといつも安心の境地でいることができます。
この“神の子”と申しますのは
本当の自分のことでありまして、
自分の本体ということもできます。
これはキリスト教では「真理・キリスト・ロゴス」と
言っているものと同じで
仏教では「阿弥陀仏・実相・真如」と言っているものと
同じです。
この“神の子”の本願は
実相の現象顕現でありますから、
「神の子円満完全」「実相円満完全」と念じなから、
その“神の子”の救済力に全身をお預けしてしまうわけです。
この時、
「神様、私を一切、あなたにお任せいたします。
吾が願いをお聞き入れ頂きましてありがとうございます。」と言い、
実相に自分を預けることができたことに
神に感謝を申し上げるのです。
神が願いを聞いてくださったと思えれば
全托は成功であり、
その気持ちが起きなければ
まだ自分の我が幼児の如き無我の気持ちになることを
邪魔しているわけです。
とにかく全托が成功したかどうかは
観終了後の安心感があるかどうかで
分ります。

話は変わりますが
私が毎月月一でやっている勉強会の資料は
別のブログ
http://blog.livedoor.jp/marutakaeiji/
にて公開していますので、
よろしかったらごらんください。