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置き去りにされた鉢の植物の話

2014-10-31 17:49:13 | 日記
私の清掃している祐天寺のマンションの裏に
だれかが置き忘れたのか、
故意に置いていったのかわからない
2つの小さな鉢が
あるのである。
その鉢には
土のかわりに
小さなコルク狀の玉がぎっしり入っていて、
そこに根が入っている観葉植物が
生きていたのであった。
私はその鉢を見つけたときから、
水やりをするとかして、
面倒をみてきた。
先日大雨が降った後
おそうじに行ってみると
水が一杯鉢の中に入っていたので、
これは大変根が腐ってしまうと、
水を外に出して
腐らないようにしたのだった。
それ以来
毎回行くたびに
気をつけてその二種類の植物を見ているが、
だんだん私自身も愛着をおぼえ欲しくなってきたので、
どこかの花やで買い求め
家で面倒を見たいと思っている。

ハイドロカルチャーの植物に興味をもった

2014-10-31 17:21:51 | 日記
土の代わりに
鉢の中に入っている赤い粒は
ハイドロボールという
石なんだそうです。
私の町の花屋さんで
2つくらいこの観用植物を買おうと思い、
4軒聞いてみたが
置いてなかったです。
明日は別の店で買えたら買おうと思っています。
こんな石の中に根が入っているだけで
どうして水を吸って育つのか
とても興味があります。
とっても愛らしいのです。

教師として育っていない教師たち

2014-10-30 21:20:37 | 日記
塾の子ども達の態度についていえば
私が真剣に、
かつ、
自信をもって
授業にあたれば、
それなりに
素直に生徒として応じてくる。
だから
教室にいじめ等あれば、
教師が真剣に誠意をもって生徒に当たれば
解決出来るのだと思う。
でも教師は
みんなが人格的に
できているとは限らないから、
実力不足で
問題に対応できる実力があるとは限らない。
根がいい人であっても、
人生経験などで
問題解決の能力をもたない教師も
いっぱいいる。
私は今こんなことを言えるが
それは年齢の故だ。
若いころは
未熟で利己的な教師だった。
こういうことが
教室を荒らさせているのだ。
特に戦後教育は
人間性を育てるということをやってこなかったから、
親も未熟だし
教師も未熟だ。
教師が教師として育っていないことが、
現代の教育の
大きな問題である。

精神内領域において、最初の大きな仕事は自己のアイデンティティを探すことです

2014-10-30 15:56:34 | 日記
マスローは
人は自分自身の中に
「本当の自己」があるのだから、
まずはそれを発見することが
精神のなすべき第一の仕事であると
書いている。
「本当の自己」とは
アイデンティティのことなのであるが、
「存在」に対する「当為」であるとか、
「現象の自己」に対する「実相の自己」とか
「もう一つの自分」あるいは「理念としての自分」
そういうものが、現象の自己の背後にあるのであって、
人は常にそれを探し、
依拠しながら自分を形成して行く必要が
あるのである。

精神の病気とか神経症、
あるいはアルコール依存症
犯罪者などは皆、
アイデンティティ(自己同一性)を失ってしまって
そのようになるのである。
自己実現はアイデンティティの発現であるともいえる。


(参考 マスローの人間論 エドワードホフマン 上田吉一・町田哲司訳)
≪三十二 指導者、手先、そして権力~ヘンリー・ガイガーへの手紙≫
〔自己実現の後で、何が?〕
精神内領域において、最初の大きな仕事は自己のアイデンティティを探すことです。めいめいが、自分の真の、活動的な自己を見いださなければなりません。そして、その仕事が達成された後で、人生の真の問題が生じてくるのです。明らかに、この仕事は、自己の使命、天職、生物学的運命を発見することに関連しています。すなわち、人が愛し、そのために犠牲になることを選ぶ使命とは何かということです。


真の創造を続ける芸術家

2014-10-29 15:51:45 | 日記
今日
現在アートの
小さな展示会を行っている小会場に
10点ほどの作品を観に
行ってきた。
作者は不在だったが80歳くらいのその母親はいて
少し会話を楽しんで
帰ってきた。
45歳くらいの作者は男性であり、
母は父の高校教師時代の教え子である。
作者の作品は
小物ばかりであるが、
白黒だけの
版画的な彫り物みたいな作品で、
これ以上は説明困難である。
だが奥に深いものがあり、
私はすごく気に入っている。
お母さんの話によると、
子どもの頃から、おもちゃみたいな製作を
常にしていた「変わり者」だったらしい。
作った物は売らずに
保管するだけらしいが
ラーメン屋をするかたわら、
暇さえあれば、
部屋にこもり、
何か作っている人のようだ。
現在のところ独り者であり、
創造、創造の毎日であって
年に一度くらい
今回のような
発表会をもっている。

よく画家などで
一度売れた類の画ばかりを描いて
売っていて、
それが売れるので
作風が固定してしまう人が多いのであるが、
生活する上で
どうしても
新たな創造が
できないのだと
思われる。

でも宮沢賢冶のように
人の評価などより
自分自身の真の創造に明け暮れるようにならないと
自分のいのちを表現する画家には
なれないのではなかろうか。