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創造の神を知り父なる神と‟神の子”として親子関係を結ぶことが、現象生活が実際に素晴らしくなる根本である。

2020-09-30 11:32:43 | 日記
「先ず御自分が周囲を照す光となることが必要である。自分の魂に燈をとぼしなさい。自分の魂に燈(ひ)が点(とも)れば周囲が明るくなるのは当然である。」
と書かれているように、
自分が真理探究をし、
間断なく祈ることによって魂に燈を点すことができたならば、
‟神の子”が自覚が少しずつ出来てきて、
周囲が明るくなるのである。
これは自分の体験からしても言えるのである。
自分の周囲を幸せにしたいというのは、
誰もが願っている心の底からの願いであるが、
これは自分自身が真理探究と間断なき祈りによって、
本当にそういう状態が現われてくるのであって、
現象的なことをあれこれ心配してみても、
実相(神)に触れないから
全く解決に至らないのだ。
こういう実際的な幸福を人々につかんで欲しくて
生長の家の御教えという
素晴らしい真理が神の恩寵によって
世に顕われたのである。
自分の魂に燈をともすことで
確実に周囲は明るくなってくる。
自分が神を顕わすことで、
現象に神の国が現実に顕われてくる。
創造の神を知り父なる神と‟神の子”として親子関係を結ぶことが、
現象生活が実際に素晴らしくなる根本である。
「真理探究と間断なき祈りの実行」によって
本当の幸せをつかむことが
今後雅春先生の聖典を学ぶ人たちが
目ざすべき目標であるのである。
(神と偕に生きる真理365章 谷口雅春)
【まずあなたの家庭を光明化することから学ぶがよい。家庭は最も手近かにある魂の道場なのである。もしあなたの家庭の雰囲気が充分明るく幸福でないならば、まず真理を先に知ったあなたから、自分自身を変革なさるがよい。あなたの周囲の状態は、あなたの心の態度、生活のあり方を反映するのである。一個の電燈がとぼったら、その電燈の周囲は明るくなるのである。その電燈の燭光の明るさにしたがって極僅かしかその周囲を照らさない小さな電燈もあるけれども、その燭光の大なるものほど遠い距離まで照すのである。最初は人類全体を照すような大なる光となることはできないにしても、自分の家庭を照す光となることは、さほど難しいことではないのである。先ず御自分が周囲を照す光となることが必要である。自分の魂に燈をとぼしなさい。自分の魂に燈(ひ)が点(とも)れば周囲が明るくなるのは当然である。】


人生の人間関係のトラブルはすべて実相が顕れていないことが原因なのであるが、このことに気がつくことが必要不可欠であるのである。

2020-09-30 10:40:14 | 日記
「窓ガラスを曇らせている‟迷いの雲”を晴らすには、真理の強力洗剤をもってあなたの心の窓ガラスを洗浄するのがよいのである。」
とあるように
家庭を明るくするには、
真理で迷い心の洗浄をするのが
一番よいのである。
真理を知らず、
家庭不和で苦しんでいる気の毒な人は多いと思うが、
解決方法は心の洗浄であるのである。
人生の人間関係のトラブルはすべて実相が顕れていなことが原因なのであるが、
このことに気がつくことが必要であり、
気がついて欲しいのである。
(神と偕に生きる真理365章 谷口雅春)
【では、自分の魂の燈を点ずるにはどうすれば好いのであろうか。あなたの生命は‟神の生命”が宿ってあなたの生命となっているのであるから、「燈」は既にあなたの内にあるのである。既に「燈」はとぼっているのに、‟迷いの雲”によって燈台の窓ガラスが曇っているようなものである。窓ガラスを曇らせている‟迷いの雲”を晴らすには、真理の強力洗剤をもってあなたの心の窓ガラスを洗浄するのがよいのである。「人間・神の子。家庭みんな神の愛に満たされている」と幾回でも一日のうち、一寸した機会を捉えてでも念ずるようにするならば、あなたが、自分の良人を、妻を、子を、その他自分の家庭で働いていて下さる人を‟神の子”だと感じ、また観じ得る程度に従って、迷いの雲は晴れわたりあなたの内にある‟神の子”の燈が明るくなるに従って、家族全部の内にとぼっている‟神性の燈”もあかあかと照り輝いて、家庭はそのまま天国をなるであろう。】


ヨガは説く「人間の本性は超時空で無限である」・・・この霊的実在(神の子)を探究し、後輩たちがデモンストレーションする時代が来たのではなかろうか。

2020-09-29 12:53:48 | 日記
「本当の人間すなわち霊は原因と結果を超越していて時間と空間に束縛されないから、従って自由でなければならない。」
とあるように
本当の人間‟神の子”は神であるから
五感的認識で把握することができない。
だから‟神の子”の自覚は容易ではないのだ。
しかし神想観と科学的祈りは、
「観」によって
それが顕われることを可能とする。
‟神の子”を捕捉することはできないが、
「信」と「観」で「得たと感じる」ことができるし、
その「信」と「観」によって
それを現象化することはできる。
これは法則がしてくれる。
このことが生長の家の本当の目的かなと感じる。
過去にはすぐれた霊的指導者の実相を観る「観」の力で
神癒した人は多数いたが、
それができた少数の霊的指導者が存在しない現在、
聖人たちが伝えた実相現象化の方法論を吾等後輩は再構築し、
一人一人の真理追求と間断なき祈りで、
実相実現を証明すべき時代が来たのである。
吾等は永遠の真理を
恒久なるものとしてつかみ取るべきである。
神癒するぐらいで満足できるものか。
‟神の子”は神であるから、
時間を超え空間を超え、
因果関係を超えている。
このものの探究は実に興味深い。
(神と偕に生きる真理365章 谷口雅春)
【『甘露の法雨』には「時間は心の中に在り」と示されているのであるが、ヨガのヴィヴェーカーナンダも同じようなことを「人間の本性」と題して彼がロンドンでした講演の中で次の如く述べている。
「時間は心とともに始まる。因果関係は時間なしには成立しない。継起(註 時間の持続の中に起るという意味)という観念がなければ因果関係という観念もあり得ない。従って時間、空間、因果関係は心の中にある。そしてこのアートマン(ヨガの哲学に於ける人間の霊的本体)は心を超えて形のないものだから、時間を超え、空間を超え、因果関係を超えていなければならぬ。さて、時間を超え、空間を超え、因果関係を超えているとすれば、それは無限でなければならぬ。そうして、われわれの哲学における最高の思弁が現れる。無限なものは二つあることはできない。もし魂が無限だとすれば、ただ一つの魂があり得るだけである。そして種々(さまざま)の魂という考え方・・・・あなたが一つの魂を有し、私も別に一つの魂を有するといったような考え方・・・・は‟ほんもの”ではない。従って、本当の人間は一人で無限大で、遍在する霊である。そして、見かけ上の人間は本当の人間の限定物に過ぎない。その意味で、見かけ上の人間はどんなに偉大であっても、その背後にある本当の人間の朧げな反射に過ぎない。本当の人間すなわち霊は原因と結果を超越していて時間と空間に束縛されないから、従って自由でなければならない。彼は束縛されたことはないし、束縛されることはできなかった」(日本教文社刊『生きる秘訣』)】