「本当の人間すなわち霊は原因と結果を超越していて時間と空間に束縛されないから、従って自由でなければならない。」
とあるように
本当の人間‟神の子”は神であるから
五感的認識で把握することができない。
だから‟神の子”の自覚は容易ではないのだ。
しかし神想観と科学的祈りは、
「観」によって
それが顕われることを可能とする。
‟神の子”を捕捉することはできないが、
「信」と「観」で「得たと感じる」ことができるし、
その「信」と「観」によって
それを現象化することはできる。
これは法則がしてくれる。
このことが生長の家の本当の目的かなと感じる。
過去にはすぐれた霊的指導者の実相を観る「観」の力で
神癒した人は多数いたが、
それができた少数の霊的指導者が存在しない現在、
聖人たちが伝えた実相現象化の方法論を吾等後輩は再構築し、
一人一人の真理追求と間断なき祈りで、
実相実現を証明すべき時代が来たのである。
吾等は永遠の真理を
恒久なるものとしてつかみ取るべきである。
神癒するぐらいで満足できるものか。
‟神の子”は神であるから、
時間を超え空間を超え、
因果関係を超えている。
このものの探究は実に興味深い。
(神と偕に生きる真理365章 谷口雅春)
【『甘露の法雨』には「時間は心の中に在り」と示されているのであるが、ヨガのヴィヴェーカーナンダも同じようなことを「人間の本性」と題して彼がロンドンでした講演の中で次の如く述べている。
「時間は心とともに始まる。因果関係は時間なしには成立しない。継起(註 時間の持続の中に起るという意味)という観念がなければ因果関係という観念もあり得ない。従って時間、空間、因果関係は心の中にある。そしてこのアートマン(ヨガの哲学に於ける人間の霊的本体)は心を超えて形のないものだから、時間を超え、空間を超え、因果関係を超えていなければならぬ。さて、時間を超え、空間を超え、因果関係を超えているとすれば、それは無限でなければならぬ。そうして、われわれの哲学における最高の思弁が現れる。無限なものは二つあることはできない。もし魂が無限だとすれば、ただ一つの魂があり得るだけである。そして種々(さまざま)の魂という考え方・・・・あなたが一つの魂を有し、私も別に一つの魂を有するといったような考え方・・・・は‟ほんもの”ではない。従って、本当の人間は一人で無限大で、遍在する霊である。そして、見かけ上の人間は本当の人間の限定物に過ぎない。その意味で、見かけ上の人間はどんなに偉大であっても、その背後にある本当の人間の朧げな反射に過ぎない。本当の人間すなわち霊は原因と結果を超越していて時間と空間に束縛されないから、従って自由でなければならない。彼は束縛されたことはないし、束縛されることはできなかった」(日本教文社刊『生きる秘訣』)】