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イエスの来りたまいし明らかなる一大使命は「神は父であり、人間は神の子である」という真理を自証することであった

2018-10-05 21:26:15 | 日記
人間自身が霊的実在であることを
書いてある箇所が今日読んだ本にあったので、
そこを転載する。
あとイエスがこの世に出た使命も書かれているが、
「神は父であり、人間は神の子である」という真理を自証することであったと書かれており、
ここも素晴らしく思う。
(参考 人生は心で支配せよ 谷口雅春 日本教文社)
【何よりも先ず吾等は、吾等自身が霊的実在であるということを認識しなければならない。この事は、絶対必要のことである。人間自身が霊なのである。真の人間―真我は―肉体でもなければ精神作用でもない。それは内なる生命即ち内なる神性である―更に言い換うれば神を本源として湧き上がった永遠実在の精神なのである。吾等の内なる生命は神の霊知を承け継ぎ神の真理を理解し、神と偕に永遠であり、神と共同活動しているのである。この吾等の内なる生命は完全であり、渾てであり、無制限に真実在からその本質の流れを汲むのである。】
霊的実在というのは、
実相人間のことであり、
神の子のことだと
私は解釈する。
【かくの如き者こそ人間であるのである。健康と平和と豊富なる財(たから)との宝庫を開き得るのはこの真理を理解し、この真理にもとづいて活動することに依ってのみである。人間に宿るところの霊性を無礙自在に活動し得るようにするには、人間はその忘却したる霊性と神の子たる特権とを自覚にもどさなくてはならない。この自覚に人間を引きもどすことこそ、イエスの使命であり、聖霊のはたらきであるのである。イエスの来りたまいし明らかなる一大使命は「神は父であり、人間は神の子である」という真理を自証することであったのである。モーゼの使命は神と人間との結合を示すにあったが、イエスは更に之に加うるに神と人間との有機的関係―父と子なる関係―を説明したのである。】
雅春先生の使命も
「現象なし、実相のみある」という真理を
伝えるのみならず、
この真理による生活法を
人々に伝えることであったのだ。

“神想観”とは “神を思い観る”ということであり、もっと徹底して言えば、神以外のものは観ないということであります

2018-10-05 09:58:18 | 日記
神想観は
正しいやり方で実修しなければ
実相は顕われません。
神想観は“実相”(神)を観ずるのです。
神と神の国の完全さを観ずるのです。
それが基本です。
これは私が毎日続けているうちに
私がたどり着いた方法であり、
究極のものだと思っています。
『生命の実相』第8巻「無限生命に汲む道」には
このように書かれています。
【そこでどうしたらこの絶対健康の自覚を得、絶対健康の意識を生長させうるかと申しますと、(1)自己生命について、神なるその本来の面目を念うことによって、(2)本来の面目“のみ”を念ずることによって、(3)本来の面目のみが存在のすべてであると知ることによって、この自覚は促進されるのであります。】
藤原敏之先生は『安心と喜びを得る道』というご自身の著作の中で、以下のようにお書き下さっています。
【「生長の家」の生活法は、即神想観であり、神想観が即、生長の家の生活法でなければなりません。神想観と生活が別々であっては、生長の家ではありません。“神想観”とは字に示される通り、“神を思い観る”ということであり、もっと徹底して言えば、神以外のものは想わない、神以外のものは観ないということであります。】