如来とは何かについて
参考になる文章を見つけました。
(正法眼蔵を読む 行持の巻 谷口清超著)
<仏祖の真面目>
そもそも仏祖の面目とは何か。それは自己が仏それ自体であるということであって、その実相は、不去なる(去らざる)ものである。しかしそれは如去(去るが如く)であり、如来(来るが如く)でもある。どこかから来て、どこかへ去るようだが、本来不来である。即ちどこからか来たのではなく、どこかに去ったのでもない。如より来生するもの、即ち実在そのものであるが、その本質は吾々の一日の行持によって受けつがれつつ現成するのである。