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日本にのみ通用する真理と 実相独在の宇宙真理とは別けて考えるべきです。

2021-06-21 10:39:57 | 日記
私は日本の国の在り方というか、
日本が歴史的に独特の伝統をもつという点は
素晴らしいと思っております。
しかしこれが『生命の実相』の真理と合体してしまうと、
日本においてのみ通用する真理が
世界に君臨すべきということになり、
これはもう「実相独在」という宇宙の真理と
合わなくなるわけで、
何が何だかわからなくなります。
世界中の人々に対して言い訳できないです。
真理として混乱すべき要素を内在しているみたいだったことは、
私は否定できないと考えております。
日本にのみ通用する真理と
実相独在の宇宙真理とは別けて考えるべきです。

恥ずかしくなるほど薄い「生命の実相」の真理の定着度

2021-06-21 10:04:33 | 日記
<恥ずかしくなるほど薄い「生命の実相」の真理の定着度>
 
「生命の実相」の日本における真理の定着度は
極めて薄い。
私は真理そのもののことを言っています。
これは多分キリスト教が日本の伝統宗教でなかったということと、
西洋人に比べて歴史的に言って、
自主性・主体性が育っていないことから来ている。
フランス革命や歴史的動乱の中で
自らの内的思考で生き延びて来るしかなかったヨーロッパの人たちは、
間違いなく自分自身で考える能力という点では勝っている。
自分自身で考える主体性がある。
日本人は外的な文化を取り入れてそこから万遍なく長所を取り入れるという、
類いまれな能力の保持者だが、
それを裏から見れば
取り込みはするが深く考えないという欠点もある。
あれこれ吟味して考えず、
丸ごと受け入れる傾向がある。
“神の子”という言葉はみんな使っているが、
キリスト教文明国の人たちとは、
その言葉の理解がまるでちがう。
ニュー・ソートのクリスチャンは
聖書の新解釈をするにしても
旧約・新約の聖書から学んできた内容の下地がある。
創造の神の肖像(にすがた)としての“神の子”を
解釈変更するにしてもその真剣さが
吾々日本人とは異なるのである。
だからニュー・ソートの本は
何時だって取り寄せて読めるし、
多分多くの国でそれが可能だ。
日本では「生命の実相」や
谷口雅春先生の聖典を普通では手に入らない状態にある。
この事態は吾々信徒の心の反映として起ったことである。
つまり日本人の“人間神の子”の信仰が薄いから、
真剣さに欠けるから
起ったことなのだ。
人のせいなんかにすべきじゃない。
どうして現実を心の法則に照らしてみないのか。
仏教とキリスト教の本質がおなじであるという、
大真理を明らめた点は
谷口雅春先生のなさった信仰上の世界的一大地点だと思う。
だが雅春先生はキリスト教や仏教から真理を学んだのであり、
それらの宗教以上だという言明は
雅春先生だってしたことがない。
生長の家の教えが一番上位に来るなんて、
おかしないいかたであり、
そんな根拠ってあるのか。
しかし、
生長の家がここまで落ち込んでしまった原因はといえば、
落ち込んだそれ自体の体質にあることは否めない。
真理から言ってそうなのだ。
「雅春先生すべて完全」主義のせいだ。
真理は自分の「内」にあるのだから、
雅春先生完全主義はやめたい。
でも吾らのすべきことは、
批判ではなく、
真理を生かすことである。
救える状態に真理を正すことである。
私は以下が大事と思う。
①一人一人が宗教は「内」において神と向き合うものと、再認識する。これはヘーゲルの言及でもある。
②“神の子”というのは創造の神の人に宿ったものであり、創造の神が肉体化して人間となった、という『創世記』と『ヨハネ伝』の説く人間観をきちんと理解する。
③「真理は汝を自由ならしめん」であるので、“現象ナシ神の子あるのみ”一つの真理を一人一人が内面で追及する。
 
こうした信仰の在り方を
確立することで
「生命の実相」の真理は
よみがえると感じる。
アディントンもエメット・フォックスも
世界においては、
彼らの著作で現在も人を救っている。
雅春先生の著作が
人々を救えない理由はない。
だが“実相独在”の真理に絞らないと、
その大事なことの遂行は不可能だと思っている。
間口が広がりすぎて
現在の事態を招いたからだ。