神が人間を造った所の目的と人間が地球に出現した使命・・・谷口雅春先生の聖典『神癒への道』より
2021/6/12
<創造の神がみずから人間の形をとって人となって出現した>
私たちは
創造の神御自身が肉化して人間となった、
という聖書の記述を信じることが
不可欠なのです。
旧約聖書創世記第1章27節には
こうあります。
【 神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。】
つまり全知、全能、遍在である創造の神が、
みずから人間の形をとって時間空間の世界に
出現したのであります。
人間が顕の世界に出現した目的は
「神」という‟幽”なる存在を神御自身で
目に見え触れることのできる世界において物質としてでなく
知恵・愛・生命・供給・喜び・調和等の
物質と反対の精神なのだとして確認するがためであります。
「神」という‟幽”なる存在を神御自身で
目に見え触れることのできる世界において物質としてでなく
知恵・愛・生命・供給・喜び・調和等の
物質と反対の精神なのだとして確認するがためであります。
従って人は創造の神と同じ能力を備えている。
しかし人間が神と同様の能力を発揮するためには、
神の創造について知る必要があります。
この真実について確信したら
神に対座して知ったその真実を
申し述べる必要があるのです。
このために行うのが「神想観」なのです。
「神想観」は神様に向かい、
「私は物質体ではなく‟神の子”です」
と認めることなのです。
この方法によらない限り、
実相は絶対に顕われないです。
キリスト教の三位一体説にあるように
神と人と霊(言)とは一体なのですから、
「内」なる神の許に往き‟神の子”を観じれば
実相は現象化することになっています。
(参考 神癒への道p8 谷口雅春)
【しかし、「無」にして而も「無尽蔵」なる神御自身の自己顕現としてはこの程度のものでは甚だもの足りないのであって、ここに神は自己自らを最高完全に顕現した所の人間を創造したのであります。神御自身が夫に対して呼びかけ、人間自身も神に対して祈れば答える所の人格として、神そのものの如く、無にして無尽蔵なる働きができる所の人間を創造することになったのであります。神は「人間」の中に自分と全き等しき所の十全の神性をつぎこんだのであります。これが即ち人間であって、人間が「神の肖像(かたち)造られたり」といわれている所以なのであります。以上が、神が人間を造った所の目的であり、人間が地球に出現した使命なのであります。】