五十の手習い足払い

五十歳を過ぎて始めたブログももう何年目?
山梨に住む新しモノ好きのオヤジが自分の趣味や日々の暮らしをつづります。

ニッサンR390の戦い[その1]

2016年09月01日 | ミニカー
1960年代後半に日本のカーレースをけん引したニッサンR380。
今回はその流れをくむ「名前」を継承したGTカーであるR390について記します。

まずは、1997年のル・マン24時間レースにおけるR390。
決勝レースに先立つこと二か月前に行われた「Prequalifying(予備予選とでも訳すのでしょうか)」で1位になったR390の21号車です。

このクルマ、実はジャガーXJR-15というレースカーをベースに、ニッサンのグループCで活躍したエンジンを積んでいます。
製作したのはトム・ウォーキンショー・レーシング(TWR)という会社、前年にポルシェWSCというクルマでル・マンを制しています。
またデザイナーはシャドウやアロウズのF1マシンなどを設計したトニー・サウスゲートでした。

このマシン、予備予選では1位となったのですが、レース後にレギュレーション違反を指摘されてしまいます。
何でもリアトランクに冷却ダクトを置き、ギアボックスの熱をそこから外に出していたというのです。
市販のGTカーではありえない構造。
まあ、GTカー・クラスといっても、その実態はプロトタイプカーそのものだったのですが。

それはさておき、今回のモデルは本戦ではなく予備予選を走ったR390のもの。


決勝レースでは、トランクを密閉式にしてレースに臨んだのですが、やはり冷却系のトラブルが起こり、結果は芳しいものではありませんでした。

3台出走したR390は2台がリタイヤし、残る1台がかろうじて12位完走(とはいっても、トップから67周遅れ)を果たしたのでした。

翌年、ニッサンは新たなR390で再びル・マンに挑むことになりますが、それはまた次回で。

 → ニッサンR390の戦い[その2]

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