2004 「中国・トン族・合善集落調査速報」科研・東アジアにおける共生の仕組み /2004.9
奇岩で知られる観光地桂林から車でおよそ6時間、貴州省、湖南省の省境に近い山奥の広西省三江トン族自治県周辺には、県名にあるように少数民族のトン族が多く住んでいる。トン族の集落空間の特徴に、漢族や他の少数民族と違って、それぞれの集落ごとに風雨橋と鼓楼をもつことである。
2004年9月、西日本工大、長崎総合科学大と共同研究を実施した。
三江とは、潯江、溶江、苗江の河川が合流する地域のことで、潯江にはさらに林渓河、八斗河が合流する。三江あたりの気候は、年間降水量がおよそ1500mm、平均の最低気温は1月で7度、平均最高気温は7月の27度で、乾季・雨季のはっきりした四季がある。
トン族は河川沿いの集落立地が多く、山で杉、松などの林業、斜面で茶や果物などの畑作、棚田や河川流域の水田で主に自家消費の米、主に住戸内で牛、豚、野禽などの飼育を営む。
三江トン族自治県にはおよそ180のトン族集落があり、そのほとんどが鼓楼をもつ。
風雨橋は洪水や老朽、火災などで消失し、再建できない集落があるためおよそ110の集落に残る。
鼓楼、風雨橋ともに健在で集落の典型的な空間構造をみせる侗族の集落を見つけるため、三江から林渓河に沿って奥地に進み、車で1時間ほどの程陽村馬安ほかを訪ねた。
程陽村には8集落あり、村の入口には世界遺産に登録されている壮麗な程陽橋がかけられていて、そのため観光化が進み、馬安の鼓楼周辺や民家に改修がみられた。
翌日は、程陽村のさらに奥地に進み、合華村合善ほか、冠洞村大冠洞ほかを訪ねた。
合華村合善は90戸弱で風雨橋と鼓楼があり、集落の構成も明快であった。冠洞村大冠洞には形の異なる2つの鼓楼があって興味を引かれたが、総戸数が500を越えることと、三江から2時間ほどと遠いのが難点である。
車はそれ以上進めないので、いったん戻り、八斗河沿いを進めるだけ進み、江頭、馬胖、八斗などを訪ねた。江頭は100戸強で集落域が大きく、木造風雨橋は下流側に離れていて、集落の入口になる風雨橋はコンクリート造であった。馬胖は200戸に近く民家の高密化がすすんでいた。八斗は近くに駅があるため煉瓦造の集合住宅や病院があり、集落構造がわかりにくい印象であった。
協議の結果、対象集落を合善とし、①集落の空間構成、②典型的な民家の住み方、③集住文化に関する聞き取りについて、調査を実施した。
合善集落は山を西にした東斜面に立地、東は林渓河に面し、その対岸に道路が通る。
集落の標高はGPSによるとおよそ200m、集落が直面する西の山は500mほどになり、急斜面は畑などに利用され、さらに奥は杉などの山林になる。
居住域は南北におよそ200m、東西におよそ100mで、居住域の南、川の下流側に風雨橋があり、集落にはここから入る。
風雨橋を過ぎてすぐに南の門があり、居住域が始まる。
主軸となる道は門からいったん西にのぼり、広場に出て、ここから等高線に沿うように南から北に向かい、鼓楼と舞台の建つ広場に至る。
数軒先に北の門、その脇に湧水があり、ここで道は終わる。聞き取りによると集落の主要な拠点は風雨橋と鼓楼で、風雨橋は歓迎、戦いの時の防御線、日常的な休憩やおしゃべりに、鼓楼は戦いの時の見張りや合図、祭り、集落の会合、日常的なおしゃべりや休憩に使われる。
鼓楼の斜め東側には広場を囲むように舞台が建つ。
民家は杉を使用した木造軸組み、床・壁・天井とも板張りで、棟を南北に向けた切妻瓦葺きである。
かつては2階建てが主であったが、1階の湿気が強いことと、広くし家畜を1階で飼育したいこと、火災を防ぎ、家を丈夫にしたいことなどを理由に、3階建てへの新築、改築がすすみ、さらに1階の外周を煉瓦壁にする作り方に変わってきたそうだ。
家族は2~3世代が主で、同居志向が強いが、実際は長期出稼ぎや都市への進学のため4~5人家族が多い。
民家の基本構造は、妻側およそ2.5m×4スパン、平側およそ5mを1単位(yien)として、2~3yienが多い。
1階(deigong)は家畜(豚、牛、鶏、家鴨など)、家畜用かまど、農具、燃料、物置、トイレなどに利用されるのが一般だが、水圧が低いために1階にcyufang=漢語の厨房をおき、食事室をかねている例があった。水圧があれば2階を使いたいと希望しており、特殊な例である。
飲用水は湧水が一般で、近年、湧水を水道配管で供給する工事が始まっている。
2階(wuyan)には入口、dingran=漢語では客庁、giwe=漢語では堂屋、chufangが並び、一部に寝室sangm=漢語では房間がとられる。
家でもっとも大事な部屋はdingran、giweiで、前者は大勢の人寄せ空間として使うため広く、東側に開放される。夏は涼しいので、ここで団らんや食事がなされる。
後者にはpyambeiと呼ばれる火床が木造床に設けられていて、ここで食事、団らんが行われる。冬は暖かいので、家族や客の集まり場になる。
3階(wumen)は数室のsangmが設けられ、残りが物置になる。
かつて14人の家族が住んでいた事例もあり、3階に6部屋のsangmが作られていた。
小屋裏は開放されていて、物置などに利用される。いずれの民家も、棟を南北とし主軸となる道にdingranを開放するスタイルが共通する。
・・・・トン族の人はどことなく日本人に似た風貌で、人なつっこい。調査をしていると、巻き尺を持ってくれたり手伝ってくれる。言葉は通じないが、気持ちが伝わる。子どもたちの目は生き生きしていた。懐かしい思い出である。