yoosanよしなしごとを綴る

つれづれなるままにパソコンに向かいて旅日記・斜読・よしなしごとを綴る

古代ローマ時代の都だったコルドバはイスラム進出後、後ウマイヤ朝の都となり、メスキータの建設が始まった

2016年11月07日 | 旅行

スペインを行く 31 2015年ツアー8日目+1994年ツアー5日目 コルドバへ メスキータ /2010.6記+2016.11記
 勘違いがあったので、修正した。ご容赦を。2016.11.8

2015年10月27日・火曜・スペイン8日目・・・・セビリアをあとにして、コルドバを目指す。
 セビリアもコルドバもグアダルキビル川沿いの立地で、舟運の便が良いことから栄えた。しかし、バスの走る道路は川から離れているようで、セビリアを出て間もなく、風景は高原+草原になった。ひまわり畑はすでに収穫が終わり、地肌を見せている。オリーブ畑も多い。オリーブオイルは換金性が高く、ひまわり畑からオリーブ畑に転作する農家が多いそうだ。換金性の高い作目を選ぶのは当たり前だから、そのうち、延々とひまわりが続くスペインの代表的な風景が消えてしまうかも知れない。

 コルドバは古代ローマ時代のヒスパニア・バエティカ?ベティカ?の首都だった。古代ローマ人がイベリア半島を支配下に置いたころから、グアダルキビル川沿いのここを重要拠点としてとらえていたことが分かる。
 ローマ帝国衰退後に進出した西ゴート王国はフランス・トゥールーズ、スペイン・トレドを都としたが、コルドバも主要都市として位置づけていた。
 話は変わって、661年、シリアのダマスカスを都としたイスラム国家ウマイヤ朝が成立する。ウマイヤ朝は、北アフリカを支配下に置き、711年にイベリア半島に侵攻して、西ゴート王国を滅ぼす。
 ウマイヤ朝は、750年、アッバース朝に敗れ、滅亡するが、アブド・アッラフマーン(アブドゥル・ラフマーンとも表記される・・)はイベリア半島に逃れ、756年、コルドバを都とした後ウマイヤ朝を興し、コルドバを都とした。
 アブド・アッラフマーン1世は、785年にメスキータの建設に着手する。

 ・・・・以下、1994年ツアー5日目  メスキータ①
 古代ローマ時代、グアダルキビル川沿いの丘にローマの神であるヤヌスを祀る神殿が建てられた。その後ローマはキリスト教を国教としたからこのヤヌス神殿は廃棄され、ここに教会がつくられた。

 西ゴート王国もキリスト教を国教としていたので、ヤヌス神殿跡の教会を利用し、聖ビセンテ修道院を建てた。この修道院はグアダルキビル川にほぼ並行して、北東-南西軸に建てられた。
 コルドバを支配したイスラム教徒は、この修道院の一部を礼拝の場として使い始めた。
 アブドゥル・ラフマン1世のメスキータもこの聖ビセンテ修道院の基壇を利用していて、柱などの石材もこの修道院や近在の教会堂から転用した。
 これは、新たに土地を造成し、石材を調達するよりはるかに合理的であるばかりでなく、キリスト教会堂をイスラム教のメスキータが凌駕するといった旧西ゴートの人々への心理的な効果もあったと思う。
 そのため、本来のメスキータはアラビア半島のメッカに向けてミヒラブ=壁窪を設けなければならないが、コルドバのメスキータはもともとの修道院が北東-南西軸のためミヒラブが少し振れた配置になっていた(現存しない)。

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