優しさの連鎖

いじめの連鎖、って嫌な言葉ですよね。
だから私は、優しさの連鎖。

40年ぶりのエドガー

2018-01-30 11:48:17 | 日記
去年の11月にネットのニュースを見ていたら、宝塚で「ポーの一族」が舞台化されるということを知り、捨てようと思っていた萩尾望都さんのコミックを引っ張り出してきて再度読んでいる私ですが、先日本屋さんに行った時のこと。

お目当ての本が見つからず、やっぱりネットで注文した方がいいなと諦めて帰ろうとした時、ふと目が合ってしまったのです。
本棚の「このマンガがすごい!2018」のコーナーで。

じっと見つめるその鋭い青い目は、そう、エドガー。ポーの一族のエドガーではありませんか!
萩尾望都さんが去年の夏に、40年ぶりとなる「ポーの一族」を発表されていたんですね。
舞台は第二次大戦下のヨーロッパ。18世紀に始まる物語が20世紀を舞台に、なんてことを思うと実際に経過した40年という年月も感慨深く、不死の一族ヴァンパイアを描く作者の萩尾望都さんが不死の一族でこれからもこのマンガが永遠に続いてくれたらと思う私でした。

大江健三郎を読む

2018-01-28 08:17:00 | 日記
この年になるまで大江健三郎の作品をまともに一つも読んだことが無かった。
ノーベル賞作家であることはもちろんだが、その他にも大学在学中に受賞した芥川賞をはじめ、数々の文学賞を取っている作家なので何かしら読んでいてもおかしくないのだが、なぜか今まで読むことが無かった。政治的な評論も多いということだから、もしかしたら過去に難しい評論を目にして難解なのではないかと遠ざけていたのかもしれない。

今回の文学講座はその大江健三郎だった。
下調べもしないで参加したので全くゼロからの出発だったということもあり、初めての大江健三郎は驚きの連続だった。
取り上げた作品はデビュー作と言われる「奇妙な仕事」。前年に書いた戯曲「獣たちの声」を小説に書き直したものということだ。
まず驚いたのが、奇妙な仕事というその仕事が犬殺しであるということだ。
東大在学中の1957年に書かれた作品なので、実際そんな仕事があったのかということになるが、まぁフィクションであってほしい。くれぐれも愛犬家は読まない方がいいと思う小説だ。
そもそもこの話は、附属病院で実験用に飼っていた150匹の犬を英国人の女が残酷だということで新聞に投書し、それらの犬を飼い続ける予算が無いので一度に殺処分することになったということから始まるのだが、そこから既に矛盾をはらんでいるような気がする。そして専門の犬殺し(30歳くらいの背の低い、しかし逞しい筋肉の男)とアルバイトの三人の学生が文字通り犬殺しをするのだ。もうそこだけ読んでも愛犬家なら卒倒しそうになるだろう。
というわけで、私が読んだ初大江健三郎はかなりショッキングな内容だった。

そして、大江作品に俄然興味が沸いて、次に私が読もうとしたのは「死者の奢り」。
読み始めてすぐ私ははっとした。
これは小学生の時、担任の教師が教えてくれた話だと気が付いたからだ。
その教師はよく自分のことを「俺は特攻崩れだ」と言った。年はいくつくらいだったろうか、40代もしかしたらまだ30代だったのかもしれない。

「死者たちの奢り」は「死者たちは、濃褐色の液に浸って、腕を絡み合い、頭を押しつけあって、ぎっしり浮かび、また半ば沈みかかっている」という書き出しで始まる。主人公の大学生が医学部にある死体置き場の水槽から数十体の死体を引き上げ、別の新しい水槽に移すというアルバイトをするのだ。
管理人と大学生の間でこんな会話がされる。
「古いとどうしても底に沈む。解剖の実習をやる学生は上に浮かんでいる新しい死体を持って行きたがる」
「僕もこの水槽に沈むかな」
「俺がうまい具合に底の方へ押し込んでやる」
「僕は廿歳だからそんなに早くじゃないけど」
「若いのも沢山くる」

そうだ。確かにこれは小学生の時、担任の教師が教えてくれた話だ。小学生の私は、アルコール溶液のプールに浮き上がってくる死体を長い棒で底へ押し込んでやる姿を想像して、冷え冷えした陰気で暗いコンクリートで囲まれた死体処理室に自分が入ったことがあるような気さえした。
その教師は痩せて背の高い人だった。自分が出撃すると決まっったその前日に戦争が終わったという話をよくしていた。長い棒を黒板の後に隠しており、注意するときはそれで生徒の頭を叩いた。その棒は長かったので撓んで頭に当たるとゴンッと音がした。怖かったけれど嫌いではなかった。40代半ばで胃がんで亡くなった。

先生、小学生に大江健三郎はちょっと早過ぎたんじゃないですかね。
でも、教えてくださってありがとうございました。
読み進めたいと思います。


悲しみが止まらない?

2018-01-26 21:47:09 | 日記
孤独担当大臣、Minister of Loneliness 何それ?
ロンリネスと聞けばすぐ思い浮かぶのは杏里の「I Can't Stop The Loneliness‥」で始まる「悲しみが止まらない」という曲ですが、本当にそんな名前のポストがあるのですね。
といってもイギリスの話ですが。

「孤独は現代における悲しい現実だとして、英政府は17日、孤独担当大臣の職を新設し、トレイシー・クラウチ下院議員(42、保守党)を初代大臣に任命すると発表した」とのことです。

孤独の問題はその人の主観によることもあり、本人がそれでよしとしているならかまわないだろうし、一匹狼なんていう言い方だったらなんかカッコいい人なのかなと思ってしまう。孤高の人というと天才肌で俗人を寄せ付けない卓越した人で、隠者と聞くと俗世を離れ達観しており、孤独とは違うような気がする。「孤独は山にはなく、むしろ町にある」という哲学者の三木清の言葉があるが、大勢の中にいるからこその孤独の方が深刻なのだと思う。

そんな孤独の問題に政府が手を差し伸べてくれるとは、イギリスは優しい国ですね。でも、アメリカではパーティーで一人立っていると寂しかろうと声を掛けられるが、イギリスでは彼は孤独を愛しているのだろうと放っておかれるというたとえもあります。

孤独は自分の心と折り合いをつけなければならない問題でもあると思います。

吹雪

2018-01-24 13:38:29 | 日記
関東で雪が降って大騒ぎしていた時こちらは積雪ゼロで申し訳ないくらいでしたが、いよいよ来ました。
今日は暴風雪、最高気温も最低気温も氷点下5度ということで、窓ガラス一面に雪が、ヒョウ柄の模様のように張り付いていました。暖房のそばのガラスは融けた雪が凍ったためか結晶模様になっていました。
こんな日は車の運転は余裕をもって出なければならないのですが、皆さん早めに出たせいか、不要不急の外出は控えるようにというニュース等での注意喚起が功を奏したか、通勤時間帯はいつもより車は混んでいませんでした。
ホワイトアウトして対向車はスモールランプだけでは確認できないくらいなので、もちろんスピードは出されません。交通量の多い国道を走行中、隣の車線の営業車がけっこうなスピードで通り過ぎました。えっ!?信号が赤ですよ!と思った瞬間、急ブレーキを踏んだらしくその営業車が半回転して止まりました。おそらく信号が見えなかったのだと思います。真っ白だったから。
急いでいたのかもしれませんが、事故を起こしたらそれどころではありません。かくいう私も、小路に右折しようとしたら、どこが道路なのかわからなくなって一本道路を行き過ぎてしまいました。
この天気は今週いっぱい続くという予報なので、外出の際は十分気を付けようと思います。

何が来たの?

2018-01-17 09:35:23 | 日記
ニュースを見ると毎日のように認知症が原因と思われる事故や事件が報道されている。
悲惨なのはやはり交通事故だ。周囲が運転を止めるように諭すころにはもう認知症の段階は進んでおり、こうなると人の言うことを聞いて判断することもできなくなっているので何を言っても無駄だ。

先日隣の家の奥さんが「うちにもついに来たのよ」と言うので何が来たのかと思ったら、旦那さんが認知症になったということだった。
うちの近所は認知症の高齢者が多く、あそこの家のおばあさんが徘徊しているという話やあそこの家の嫁さんが介護疲れで鬱になったとかいう話が増えてきたころ我が家も姑が問題行動を起こし、その奥さんに話を聞いてもらったりしていた。

私がびっくりして「だって、旦那さん最近まで仕事していたよね」と言うとやはり去年の秋頃までは再雇用で働いていたと言う。そういえば一か月ほど前から駐車場に車が無いのでどうしたのかなと思っていた。車はこの前事故を起こしたので即廃車にしたとのことだった。それはいい判断だったと思う。認知症は突然なるものではないので徐々にその兆候が出ていたのだとは思うが、それにしてもその旦那さんはずっと仕事をしていて、しかも市場の仕事なので朝が早く、運転もしないといけないのでお酒も飲まず、そうやって規則正しい生活を70歳過ぎても続けてきたと言うのに。

そしてその奥さんは、「たまに来る娘にお母さん、もう少しお父さんにやさしい言い方で物を言ったらいいのにと言われるけれど、それ、できませんて」と言っていた。
うん、わかりますよ、その気持ち。
認知症を理解して認知症の人に優しく接しましょうと書かれたのを見ると、確かにそれはその通りだし言おうとしていることもわかる。
でもそれができるのは部外者だからだと思う。安易にそんな言葉を365日向き合っている介護者に言ってはいけないと思う。
私はすぐに介護サービスの申請をするよう話した。