優しさの連鎖

いじめの連鎖、って嫌な言葉ですよね。
だから私は、優しさの連鎖。

大江健三郎を読む

2018-01-28 08:17:00 | 日記
この年になるまで大江健三郎の作品をまともに一つも読んだことが無かった。
ノーベル賞作家であることはもちろんだが、その他にも大学在学中に受賞した芥川賞をはじめ、数々の文学賞を取っている作家なので何かしら読んでいてもおかしくないのだが、なぜか今まで読むことが無かった。政治的な評論も多いということだから、もしかしたら過去に難しい評論を目にして難解なのではないかと遠ざけていたのかもしれない。

今回の文学講座はその大江健三郎だった。
下調べもしないで参加したので全くゼロからの出発だったということもあり、初めての大江健三郎は驚きの連続だった。
取り上げた作品はデビュー作と言われる「奇妙な仕事」。前年に書いた戯曲「獣たちの声」を小説に書き直したものということだ。
まず驚いたのが、奇妙な仕事というその仕事が犬殺しであるということだ。
東大在学中の1957年に書かれた作品なので、実際そんな仕事があったのかということになるが、まぁフィクションであってほしい。くれぐれも愛犬家は読まない方がいいと思う小説だ。
そもそもこの話は、附属病院で実験用に飼っていた150匹の犬を英国人の女が残酷だということで新聞に投書し、それらの犬を飼い続ける予算が無いので一度に殺処分することになったということから始まるのだが、そこから既に矛盾をはらんでいるような気がする。そして専門の犬殺し(30歳くらいの背の低い、しかし逞しい筋肉の男)とアルバイトの三人の学生が文字通り犬殺しをするのだ。もうそこだけ読んでも愛犬家なら卒倒しそうになるだろう。
というわけで、私が読んだ初大江健三郎はかなりショッキングな内容だった。

そして、大江作品に俄然興味が沸いて、次に私が読もうとしたのは「死者の奢り」。
読み始めてすぐ私ははっとした。
これは小学生の時、担任の教師が教えてくれた話だと気が付いたからだ。
その教師はよく自分のことを「俺は特攻崩れだ」と言った。年はいくつくらいだったろうか、40代もしかしたらまだ30代だったのかもしれない。

「死者たちの奢り」は「死者たちは、濃褐色の液に浸って、腕を絡み合い、頭を押しつけあって、ぎっしり浮かび、また半ば沈みかかっている」という書き出しで始まる。主人公の大学生が医学部にある死体置き場の水槽から数十体の死体を引き上げ、別の新しい水槽に移すというアルバイトをするのだ。
管理人と大学生の間でこんな会話がされる。
「古いとどうしても底に沈む。解剖の実習をやる学生は上に浮かんでいる新しい死体を持って行きたがる」
「僕もこの水槽に沈むかな」
「俺がうまい具合に底の方へ押し込んでやる」
「僕は廿歳だからそんなに早くじゃないけど」
「若いのも沢山くる」

そうだ。確かにこれは小学生の時、担任の教師が教えてくれた話だ。小学生の私は、アルコール溶液のプールに浮き上がってくる死体を長い棒で底へ押し込んでやる姿を想像して、冷え冷えした陰気で暗いコンクリートで囲まれた死体処理室に自分が入ったことがあるような気さえした。
その教師は痩せて背の高い人だった。自分が出撃すると決まっったその前日に戦争が終わったという話をよくしていた。長い棒を黒板の後に隠しており、注意するときはそれで生徒の頭を叩いた。その棒は長かったので撓んで頭に当たるとゴンッと音がした。怖かったけれど嫌いではなかった。40代半ばで胃がんで亡くなった。

先生、小学生に大江健三郎はちょっと早過ぎたんじゃないですかね。
でも、教えてくださってありがとうございました。
読み進めたいと思います。


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