優しさの連鎖

いじめの連鎖、って嫌な言葉ですよね。
だから私は、優しさの連鎖。

ポイントの活用

2018-02-23 16:21:26 | 日記
某保険会社に預けっぱなしにしていた保険の据え置き金にポイントが付いて、その「ポイントの一部は3月いっぱいで失効しますので、お好きな商品と交換してください」というはがきを貰っていたのだが、すっかり忘れていた。
どうせポイントと言ったってたかが知れてるからとも思ったが、まだ間に合うので、何がもらえるのか見てみた。
金額にしてみると1400円ほど。交換できる商品はと見ると、う~ん、どれも私にとっては必要のないもの。マイルにも交換できるとあるがそれも必要無いし。すると、寄付という項目があることに気づいた。ユニセフや赤十字などを選んで寄付できるという。
普段なら、町内の寄付や同窓会の寄付でも率先してやる方では無い私だが、これはぽちっとするだけだから簡単だし、何より自己満足が得られるではないか。
私にとって必要ない「物」をいただくより、必要な人に使ってもらえるならそのほうがいいに決まっている。
心の満足を貰うために迷わずクリックした。

「銀河鉄道の父」について ⑷

2018-02-18 12:30:38 | 日記
「けふのうちに とほくへいつてしまうわたくしのいもうとよ」ではじまる「永訣の朝」は教科書にも載っている有名な詩だ。
死にゆく妹を前にどうすることもできない深い悲しみと慟哭が何度読んでも心を揺さぶる。

雨雪取って来て、と頼むトシの言葉が(あめゆじゅとてちてけんじゃ)と何度も繰り返される。その願いを叶えるべく賢治は鉄砲玉のようにみぞれの中に飛び出して行く。トシの言葉は賢治の耳に残り、その声や息遣いがそのまま何度も再生されたのだと思う。

トシの言葉として書かれているのが他にも二か所ある。一つはローマ字表記の(Ora Orade Shitori egumo)。(これは若竹千佐子さんの芥川賞受賞作品の「おらおらでひとりいぐも」というタイトルにも使われている)賢治と同じ宗教を信仰したというトシから発せられた言葉としては悲しく、だが深くうなずける。あえてローマ字表記にしたのも意味があるのだろう。


でも、私が長年気になっていたのが、後半に出てくる言葉
(うまれでくるたて
 こんどはこたにわりやのごとばかりで
 くるしまなあよにうまれてくる)
というところだ。解説などを読むとこれは「生まれてくるときは今度はこんなに自分のことばかりで苦しまないように生まれてくる」という意味だと書かれている。私は同じ東北なので特に解説されなくても意味は分かるが、その解説に「自分のことではなく他人のために何かをしたいというトシの願いだと書かれているものもあった。その時はそれを読んでそうなのかなと思ったが、何かしっくりこなかった。これは本当にトシの口から出た言葉なのかな…。いつもその部分が気になっていた。

今回「銀河鉄道の父」を読んで一番の収穫だったのがそこだった。

トシが亡くなる日のことは「永訣の朝」に書かれているような情景だったという。
父政次郎が「遺言を書き取る。言い置くことがあるなら言いなさい」と巻紙を見せたときトシは、信じがたいことだが頭を浮かせ、のどの奥をふりしぼるようにして
「うまれてくるたて、こんどは…」と言いかけたそうだ。
だがその時、賢治が父を突き飛ばし、トシの耳元に口を寄せ「南無妙法蓮華経」のお題目を唱えたというのだ。
そしてトシが息をひきとるや、賢治は押し入れに首を突っ込んでけだもののような声で号泣した。

二年後、賢治から「春と修羅 心象スケッチ」と書かれた本を手渡された父が夜一人になってそれを読む場面に「くそっ」とつぶやくシーンがある。それが私が長年疑問に思っていたあの言葉だったのだ。

  ほろりと頭が枕に落ちた瞬間のトシのうつろな表情は、いまも政次郎のまぶたの奥にのこっている。
  それでいながら賢治は遺言を捏造した。トシ直身の意志を、おのが作品のために

   
だいたいトシがあの息もたえだえのありさまで、こんなことを言えるわけがないと政次郎は思ったというのだ。

捏造という言葉はいい意味では使われないかもしれないが、賢治は己が信仰のため「人類理想の遺言」をトシの口から出た言葉として書いたのだ。

  

一羽の白鳥

2018-02-13 20:55:17 | 日記
今朝家を出たときは雪も降ってなかったし風も無かったのに、車を運転して橋の上に差し掛かった時急に猛吹雪になって、目の前に白鳥が落ちてきた。渋滞で停車していたので、ずいぶん低空で飛んでいるなとその姿を確認した時だった。バサッと音がして、幸い落ちたところは車道ではなく歩道の上だったので車にぶつかることはなかったけれど、体勢を立て直して飛ぼうとしたら今度は歩道側の防風柵にぶつかってよろけていた。

今年の冬は雪の被害があちこちで出ているようだし、そういえばこの下を流れる川も凍っていた。
寒い国からやってくる白鳥たちでさえ、真冬日続きのこの寒さは厳しいのではないか。
もしかしたらこの吹雪でも上空を飛んでいたのかもしれないけれど、仲間の白鳥は見当たらなかった。
具合が悪くて飛べなくなり群れから離脱したのか、自然界で生きていくのは大変なことだ‥。




Kさんのこと

2018-02-12 09:08:46 | 日記
介護の仕事を始めたころ定年は60歳だった。
それが人手不足のためいつの間にか65歳になり、非常勤であれば70歳過ぎてもいいことになり、実際73歳で働いている仲間が二人いる。自分もいつまで働けばいいのか悩みどころだが、目標の60歳は過ぎたのであとは無理せず行こうかなと思っている。
そんな中でいくつか忘れられない思い出があるので書いておこうと思う。


Kさんのこと

十年も前の話になるが、自宅で最期を看取りたいという息子さんの希望で、一時入院していたkさんが退院し今まで通り自宅でヘルパーの介護を受けながら生活することになった。近所に住む息子さんが憎まれ口を利きながらもかいがいしく面倒を見ていた。

ある朝、デイサービスへ送り出しをするために訪問すると、何やら険悪な雰囲気・・・。
どうやら、親子喧嘩の最中だったらしい。

息子「そんなに死にたければ、死ねばいいべ!」
母 「死ねるんなら、とっとと死んでる!!」

この親子はどちらも竹を割ったような性格。
物の無い時代に育って、夫を戦争で亡くし、寝たきりになった舅姑の世話をし、小姑の面倒を見、苦労して三人の子供を育ててきたが、長男を小さい頃に事故で亡くしたという母。
そしてその母の苦労を一番わかってるのだが、自分のこと(何年にもわたる離婚問題がお金がらみでこじれている)やら介護のストレスやらで、いっぱいいっぱいになっている息子(次男)。

私にはその、身体が不自由になった高齢の母親の気持ちもわかるし、これまた若くはなくなった介護者である息子の気持ちもわかる。

「だって、親子だもの」
と私が、相田みつをさんばりの名言ならぬ迷言を言いながら間に割って入る。
「いいねぇ、忌憚なくぽんぽん言い合えるなんて」
普段は親子漫才のようなその掛け合いを面白おかしく聞いている私だが、さすがにこの場はまずいだろ。

母 「何か言うとすぐ怒るんだから!物も言えない!こんな身体になって情けない、ほんとうに・・」
息子「ひとこと言うと、死にたいだの死んだ方がましだの、とっとと死ねばいいべ、くそばばぁ」
私 「あ~、はいはい、今日のところは引き分けね。デイの送迎車が来る前に着替えてもらうからね~」

なんだかすごく茶化しているように聞こえるかもしれないけれど、実はこの人たちの喧嘩言葉は、ここでは表現できないくらいもっとすさまじいのである。若いころ荒くれた人夫を何十人も使って商売をやってきた親子だから。初めて耳にする人はびっくりするかもしれない。
でも私には、その言葉の陰にある優しさがちゃんと見えるのだ。なんだかんだ言ってもやっぱり似たもの親子なんですね 。

そしてその数年後Kさんは息子さんに看取られて自宅で最期を迎えることができた。





「銀河鉄道の父」について ⑶

2018-02-07 16:51:06 | 日記
賢治はシスコンで、トシのことを妹というより女性として愛していたのではないかと言う人もいる。
そんな生々しい話はともかくとして、トシのことを書いた作品は多く、童話の中にも兄と妹が登場する話は多い。
そして確かに賢治は、トシが東京の大学在学中に肺炎に罹り小石川の病院へ入院した時、自らその看病を買って出た。さすがに父は年ごろの娘とあって自分が付き添いをすることは遠慮したのか、妻のイチに一緒に行くよう言う。
この話は有名なので知っていたが、ずっと疑問に思っていた。いくら兄妹と言え看病のために上京するか?しかも最初のうちは薬を飲ませたり身体を拭いたり食事を食べさせたり、と母がやっていたことを自分にやらせてくれと言い、洗濯したり便の始末までしたというではないか(さすがに体はふかなかったけれども、という記述はあるが)。おまけに他の患者が汚物で汚した蛇口まで磨いたという。
当然のことながら病院内では看護婦や患者たちの噂になったらしい。

だよね。大正時代と平成の今だから感覚が違うということではないのだ。やはり一般的に考えてそこまで出来るかってことだ。
そこのところに今まで引っかかっていた私だが、今回この本を読んで妙に納得したのがここだ。

   (なんで、こんなに)
    自分でもよくわからない。
    こんなに心が沸き立つのは、ひょっとしたら、生まれてはじめてではないか。
   「賢さんは、負けずぎらいだからなハ」
    などとイチはしばしば当惑顔で言うし、
    まぁ負けずぎらいは事実だけれども、それよりも胸に浮かぶのは、
   (お父さん)
    政次郎の顔だった。
    今この瞬間もふるさとで質屋の帳場に座しているはずの、厳格な、しかし妙に隙だらけの父親。
    その視線の届かぬ場所にいるということが、心を躍らせ、
    手足をむやみと動かしているのは確かなようだった。
    いうなれば、逃避。
    
でも賢治が思ったのは逃避ばかりではなく、


    (あの人のやることが、おらにもできる)


というよろこびだったというのだ。


    自分には質屋の仕事も、世間なみの人づきあいも、夏期講習会の開催もできないが、
    家族の看護ならできるのである。
    そう、かつて政次郎がしたように。
    政次郎はこれまで、一度ならず二度までも、入院した自分をつきっきりで看病してくれた。

    賢治には、自分の命は、とても即物的な意味において、
    ―――父のおかげ。
    という意識がすりこまれている。
    そうしてその政次郎ですら、ほかの患者の糞便の始末まではしなかったということは、
   今の賢治は                        


    (お父さんに、勝った)


そうか、もちろん妹トシに対する愛情はあったと思うが、根本はそこなのだ。