優しさの連鎖

いじめの連鎖、って嫌な言葉ですよね。
だから私は、優しさの連鎖。

クマの出没

2018-06-25 08:34:20 | 日記
地元の新聞には毎日のように「クマ」の出没の記事が載っている。
市街地に近い高校のグランド近くを歩いていたとか、郊外の公園で出没情報が複数寄せられたため当分閉鎖することになったとか。
先日伐採作業をしていた60代男性が腕を噛まれたというニュースがあり、それが放課後デイに来ているH君の家の近くなので「気を付けてね」という話をしていた。すると迎えに来たH君のお母さん、「あぁ、クマね。あの辺はクマなんてしょっちゅう見かけるから、誰もいちいち通報なんかしないのよね。めんどくさいから。今回はおじいさんがかじられたからニュースになったけどね」とのことだった。
過去に関東の奥多摩地域で研究されたというデータでは、遭遇後にクマが人に向かってきたのは58例中3件だけ、実際に被害にあったのは1件とのこと。クマも人もお互いのため遭遇しないことが何よりだ。

二年前になるが、クマに襲われて亡くなった夫のことを語る妻の話が印象的でよく覚えている。
「山のおかげで現在がある。クマばかり悪いと言われぬ」その人はそう語った。
県境に近い開墾地区で生まれ育って、貧乏で貧乏で結婚式も挙げずじまいだった。コメや野菜も土地の条件が悪いから二束三文。減反して畜産を始め、高く売れたときもあったが、輸入物が入ってくるようになってからは安くなってしまいそれでも子供たちを育てなければならない。そんなとき春のタケノコ、山菜、秋のキノコが現金収入だった。山のおかげで現在がある。山には感謝している。クマだって命貰って生きなければならない、真剣だ。こっちも真剣だけど。「クマもじいさんとばったり会ってびっくりしたんだべ。かじるかひっかくかしかできねえ生き物だもの。私は山さ入るときクマさんおはよー、今日も仲よくしようなーって叫んだものだ。じいさんにも大声出すんだどって言ってたんだけど一人の時はどうしてだかな。元来静かな人だったからな。3分でも5分でも違ってればクマに会わねがったんでねえがな。そう考えれば運命だと思うしかねえ」

クマも人間も真剣だ。
宮沢賢治の「なめとこ山の熊」を彷彿させる話だった。

チャグチャグ馬コ

2018-06-13 16:43:14 | 日記

夜明げには

まだ間あるのに

下のはし

ちやんがちゃがうまこ見さ出はたひと




ほんのぴゃこ

夜明げがゞった雲のいろ

ちゃんがちゃがうまこ 橋渡て來る。




いしょけめに

ちゃがちゃがうまこはせでげば

夜明げの為が

泣くだぁぃよな氣もす




下のはし

ちゃがちゃがうまこ見さ出はた

みんなのながさ

おどともまざり



方言で書かれている宮沢賢治の連作短歌「ちゃんがちゃがうまこ」
賢治も観たチャグチャグ馬コ。

今年は6月9日に開催され、念願かなってこのお祭りを見ることができた。
滝沢市の鬼越蒼前神社から盛岡市の盛岡八幡宮まで約14・2キロを華やかな装束を纏った70頭の馬が行進するという。

盛岡駅前にも、ふれ合ったりできるように二頭の馬がいて、それだけでもかなりテンションが上がった。

駅前から歩いて夕顔瀬橋の上で待つ。


まだ時間があるのに橋の上はカメラを構えたり設置したりする人。

ほんの少し上空に小さな雨雲がかかったその時ちゃぐちゃぐうまこが橋を渡ってきた。

一生懸命な馬たちを見たら感動して泣きたいような気持にもなった。


そして材木町商店街での行進を見て大通りへ先回りをした。
さすがに大通りは人が多くて

中の橋、ちゃぐちゃぐうまこ観に出た皆の中に夫も混ざって。


ちょっとこじつけがましかったけど、賢治の連作に準えてみた。

道中長いためか、馬の背で男の子が完全に眠ってしまってゆらゆらしながらもうまい具合に乗っていたのには驚いた。

江戸時代が起源とされるこのお祭りは1000頭もの馬が参拝した時代もあったということだが、また戦争により軍馬の需要が増えしばらく中止されていたこともあったということだ。昔は人と馬の関係は今とはまた違ったものであった。農家の人に聞いたことがある。農作業のために飼っていた馬が怪我をすると使い物にならないからと払い下げて新しい馬を買い替えたそうだ。馬は道具であり、今で言えばトラックを買い替えるみたいな感じだと言っていた。
チャグチャグ馬コの馬たちを見て泣きたいような気持になったのは、その話を思い出したからでもあった。

残したい日本の音風景百選。