よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2017年10月オールジャパンカップ達成。





「青春18きっぷ」で山口へ

2012-07-31 01:00:00 | ウォーキング
一度「青春18きっぷ」というものを使いたく駅に行って買ってきました。
還暦過ぎのおじさんが使うのは何か抵抗がありましたが、
この際18歳になった気持ちで使ってみました。

博多発6時35分小倉行き快速で小倉へ7時41分到着、7時48分小倉発下関行、下関8時01分着、
下関8時12分で新山口9時22分着、新山口より山口線宮野行きで山口へ。
山口には10時ちょうどの到着でした。この山口線にはSL山口号が一日1本発車していて
新山口駅には昔仕様の時刻表もありました。






山口駅に到着するやいなや突然のにわか雨。この雨20分ぐらい降り続けました。
その間駅の観光案内所で山口の見どころをチェックし雨の止むのを待ちました。
小降りになった所でいよいよスタートです。
商店街のアーケードを通りますとオリンピックの横断幕が掲げられています。
卓球の「石川佳純」選手が山口市の出身だそうです。



アーケードを抜けると左側に古い建物があります。
よく見るとお菓子屋さんです。

そのお菓子屋さんの先を左折すると「萩街道」です。

案内板を見てみると、
「萩街道は萩から旭村、山口市を通って防府までの53kmの道を言います。
江戸時代になって幕府の一国一城令によって毛利氏は萩に城を築き参勤交代制度の
開始により萩と山陽道を結ぶ重要な道となり幅4mの道に整備された。
大内氏の時代には大内氏館や築山館のための大通りとしてまた江戸時代山口御茶屋敷が
設けられたこともありこの竪水路通りは人家が多く密集し最も活気ある道筋だった。」

今でもウダツのある家なんかも残っています。



その萩街道の右側には大内氏の菩提寺「龍福寺」があります。
1206年の創建です。


龍福寺のあと瑠璃光寺に向かいます。
山口市は初めて歩いたのですがお寺の多い町です。
これが「西の京」と呼ばれることになっているのでしょうか?

瑠璃光寺というとやはり「五重塔」でしょう。
室町時代の1442年創建で現在日本に現存する五重塔で10番目に古く
また日本三名塔の一つです。

前に池があり写真スポットとしては最高です。
私も撮ってみました。

本堂の横には水連が咲いておりその横には亀がいました。

瑠璃光寺のあと雪舟が造った庭があるという「常栄寺」へ。
瑠璃光寺の観光ガイドさんに行く道を教えてもらうと約3kmぐらいいった
山手にあるそうです。
タクシー乗り場はあそこと指で示されますが、こう見ても私は一応ウオーカーの端くれです。
歩いていくというとビックリされていました。

今日は突然の雨で蒸し暑く用意したペットボトル3本もすぐ無くなりました。
気温も35度ぐらいあるのではないでしょうか?
こう暑いとタクシーでいけばよかったかな?などと思います。

瑠璃光寺から常栄寺まで約23分かかりました。
2週間前の肉離れはもう痛みはとれていますがまだスピードが出ません。
ゆっくり一歩ずつ一歩ずつ登っていきます。

常栄寺で入館料を払い本堂へ
山の方から風が吹きとても気持ちがいいですね。
寝転んでみると少し眠くなってきます。
常栄寺は表側が石庭になっており箒で掃かれたラインがきれいな形を作っています。
雪舟庭は本堂の裏手にあり石を島に見立てた雪舟独特の工法です。
裏から散策もできるそうでしばし歩いてみます。


時間も12時を過ぎました。
今が一番暑い時なんでしょうか?
首にかけていたタオルも汗で湿ってきています。
案内所でバス停を聞きますがこのバス2時間に1本ぐらいで今からですと
15時半しかありません。仕方ないのでタクシーを呼んでもらいますが
このタクシー30分待ちだそうです。
30分もあれば駅に着くのではと思いまた歩いていきます。
本当はあとザビエル教会なども行きたかったのですが、山口というと「湯田温泉」
白キツネが見つけた温泉ということですので私も今日は白キツネになったつもりで
温泉に入ることにします。
13時半ぐらいの電車で山口駅の隣の駅「湯田温泉」へ。
1区間でも青春18きっぷは乗ることができます。
温泉に着いたのが13時45分。

このあと夕方にはブログ友達が待っている戸畑に行かねばなりませんので
あまり長湯はできませんがとにかくこの汗を流したいです。    (続く)

※【参考】
青春18きっぷは5回分あり11500円。(一回2300円分)
博多~山口まで片道3090円ですので往復だと6160円。
これが2人分ですから12320円。もう一回で元をとりました。



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筑前五ヶ浦廻船(福岡市西区)

2012-07-25 05:00:00 | 歴史

先日能古島に行ったときフェリーの中で能古島の歴史が書かれていました。
それを見ていると「筑前五ヶ浦廻船」のことが書いてありました。

江戸時代、高田嘉兵衛などの「北前船」が有名ですが、ここ福岡でも「筑前五ヶ浦廻船」といって千石船で
福岡藩の年貢米を瀬戸内海を経て大坂、江戸などに運ぶほか日本各地の産物を日本海や太平洋岸の
長距離輸送に活躍しました。遠くは津軽ぐらいまで運んでいたそうです。
江戸中期には50隻の廻船があったといわれています。

この筑前五ヶ浦廻船の基地になったのが「残島(能古島)」「今津」「浜崎」「唐泊(からとまり)」「宮浦」
でした。
五ヶ浦廻船が栄えたのは正保から享保、天明年間(1644~1647)にかけての頃でした。
この千石船は長さ45尺(約80m)、幅25,3尺(45,5m)、深さ8,8尺(15,8m)で帆の
長さは約40mありました。
殆どが千石船ですが残島には2千石を超える船があったそうです。
船には船頭、摂取、水主(かこ)、炊事など15~20人乗り組んでいました。










【遭難】
五ヶ浦廻船も繁栄を迎える頃になると遭難事故も多くなってきました。
遭難地点を見てみると紀伊半島沖、鹿島灘、三陸沖、能登沖などがあります。
また国外に漂流したのもありました。







宝暦2年(1752)12/8 浜崎の廻船「福聚丸」(15人乗り組み)は青森八戸から塩魚、大豆、小豆を
積み込んで江戸に向け出帆しましたが、いわき灘で遭難し国外へ漂流しました。
宝暦5年(1775)5/25長崎港へ入港した唐船が伊豆白浜出身の三之助を送り届けてきました。
長崎奉行の取調べに対し三之助はいわき灘で漂流し翌年1/29台湾の内海山にて救助され乍浦から
沈綸渓船にて送還されたと述べた。
漂流中10人が死亡、2人が病死他の1人も死亡して自分だけが生き残ったと証言している。

ところが翌年2/4乍浦出航の唐船が長崎に入港して4人の標民を渡した。
奉行所で調べてみると三之助と同じ福聚丸の乗組水主で2人は筑前1人は南部1人は長崎の出身だった。
漂流についてはいわき浦で大風に遭い数十日洋中に漂い翌2月ごろ2人病死、4/23破船し
船頭をはじめ9人が病死した。残る4人は海南島にて助けられ中国各地に送られたあと
長崎に送還されてきたということであった。
三之助の証言とは漂着した場所も異なっておりどちらかの証言に偽りがあることがわかる。

更に同年3/4唐船がまた4人の標民を長崎に送還してきた。これもまた福聚丸の乗組水主であった。
またまた死んだはずの乗組員が送還されたわけで長崎奉行の厳しい取調べによってようやく
真相がはっきりした。

実は呂栄島(ルソン島)近くで破船したこと、乗組員は全員生きていること、別々に帰国した
9人以外の6人は呂栄島に留まることを希望したというのが事件の真相だった。

では、なぜ漂着場所を偽って報告したのか、帰国出来た者がなぜ自分達以外は死亡したと証言したのか、
船頭の善右衛門他6人が帰国を断念しなぜ呂栄島に留まることになったのか・・・・・

周知の通り江戸時代は鎖国令が敷かれキリスト教は禁止されていた。
ひとたび国外へ漂流漂着した者は日本人とは認めないということになり帰国を断念するか、
死罪を覚悟の上帰国するしかないと考えられていた。
漂着の場所を偽証したのは自分にキリシタンの疑いがかかるのを恐れキリスト教布教国であった
呂栄島より中国の方が情状酌量の余地があると考えられたからである。
帰国した乗組員は厳重な取調べの上、偽証は不埒であるがその他怪しいことはないと
それぞれの国に引き取られた。死罪は免れたものの国外不出の居住制限をうけることになった。
それぞれの国以外に出てはならないということは再び船に乗組むことは許されないことを意味している。

宮浦・津上家の「御役頭廻船目録」によるとこの事件の顛末は
「そのうち一人亥年帰り候、また子年春四人帰り候、キリシタンの類に候、それ故、惣蔵をはじめ
親類50人、今宿の牢屋に取り込みなし、大庄屋召上げられ・・・・・」
つまり死罪は免れたもののキリシタンの疑いは晴れなかったわけで下浦大庄屋を務めていた今津浦の
間宗蔵は大庄屋を召上げられ浜崎浦の親類50人が牢につながれることになった。

これによって今津浦、浜崎浦の廻船業は振るわなくなってしまった。
                           (今津小百周年記念誌より引用)

このブログを書くにあたって今の五ヶ浦の写真を撮りにいきましたが
今でも漁港として賑わっている港もありましたが、中にはレジャーボートの係留になったり
博多港の外港として外国との交易の中心であった港は港そのものの形がなくなっていました。



堅苦しい話で申し訳ございません。









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能古島一周ウオーク(福岡市西区)

2012-07-23 05:00:00 | ウォーキング
今日は西鉄レッツハイクで能古島に行く予定でしたが昨日時点で
今日の降水確率50%ということで中止になり仕方ないので家内と一緒に
能古島一周ウオークを行いました。

姪浜発10時のフェリーに乗ったのですが、夏休みに入ったせいでしょうか、
海水浴客が多く満員状態でした。
船は10分ぐらいで能古島に着きます。
海水浴場は東側ですが私たちは西側の自然道を歩きます。

自然道に入ると少し勾配がきつい坂道にさしかかります。
実をいうと私先週のソフトボールリーグ戦で右太ももの裏側を肉離れして
しまいました。
湿布薬をずっと貼っていたからでしょうかもう痛みはなくなっており
今回長い間歩けるかどうか試してみる意図もありました。
この一週間あまり歩いていないのでこの坂道応えます。
あせを拭き拭き登っていきます。
途中木々が日蔭になっておりだいぶん助かります。




このコースでは左側に糸島半島が見えます。
毘沙門山・・・・向こうには玄界島が・・・・


1時間半ぐらいで「アイランドパーク」に到着しました。
入場料1000円を払い中へ。

楽しみにしていたひまわりはまだ蕾
今はマリーゴールド、サルビア、ケイトウ、ペチュニアなどの花が咲いていました。
赤、黄色、オレンジ、白など色の組み合わせがいいです。


志賀島を見下ろす芝生広場ではマリーゴールドが満開でした。
持ち帰りできるということですので2株抜いてきました。


しばらく芝生広場を散策するとJRの高速船「ビートル」が博多港へ向かっていました。
ここは定期船の航路になっており、あと「カメリア」「ビーナス」なんかも通っていました。



帰りはバスという手もありましたが私の足の具合を確かめたく渡船場まで歩くことにします。
海水浴場付近では生演奏があっているんでしょうか、音楽が聞こえてきます。
井上陽水さんもここで「能古島の片思い」を作ったのでしょうか、何か歌と同じ景色です。
自然とこの歌を口ずさんでいます。(笑)

渡船場には13時50分に着きました。
14時ちょうどの船があったのですがやはり能古に来たら「能古バーガー」を食べない
わけにはいけません。
甘夏ジュースのセットで@600。
10分ぐらい待つと出来上がりました。
これです。

お腹も満足し帰途に着きました。
今日の気温は30度ぐらいあったのでしょうか、持ってきたタオルはもうビショビショでした。
肝心の足の方は痛みもなく歩けました。
まだスピードを出して歩けませんが・・・・・
距離は一周で約12kmぐらいでした。

【番外編】「黄色のトマト
渡船場で売っていました黄色いトマト
見ると柿みたいです。
珍しかったので買ってみました。
味は甘くも酸っぱくもありません。
ただ赤いトマトは食べた後皮が口に残りますが
この黄色いトマトは残りません。
サラダにいいと思います。
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「はるかのひまわり」咲きました

2012-07-21 16:11:23 | お花
4~5年前から「はるかのひまわり」を植えています。
今年も6月初旬に種をまき、芽が出たところで側道の植え込みの所に植え替えました。

  

毎朝、毎晩の水遣りしたからでしょうか、今年も花を咲かせてくれました。
今10本ぐらい咲いています。







花は小さいですが、まだ蕾もありますのでしばらくはご通行中の皆さんの目を
和ませてくれるのではないでしょうか?

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デジブック 『博多祇園山笠2012』

2012-07-18 20:49:03 | お祭り
7月1日より行われていました「博多祇園山笠」は
7月15日早朝の「追い山」で今年の幕を閉じました。
今年の飾り山、追い山ならし、追い山をデジブックで編集してみました。



デジブック 『2012博多祇園山笠』
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2012博多山笠追い山(平成24年7月15日)

2012-07-15 11:15:26 | 日記
今月1日から行われていました「博多山笠」も15日早朝の「追い山」で終了します。

今日は日曜日のせいか追い山見学の臨時電車もすし詰め状態。
駅に着きすぐ撮影ポイントを探しますがもう身動きがとれないです。
昨日の大雨で天気が心配されましたが空には三日月も顔を出しています。
お月様も山笠見学でしょうか?

午前4時59分 櫛田神社の太鼓の音と同時に今年の一番山笠「千代流れ」がスタートします。
櫛田神社の「清道」を廻って博多祝い唄の「祝いめでた」を奉納します。

       ♪祝いめでたの若松さまよ 若松さまよ
        枝も栄ゆりゃ葉も茂る
        エイショウエ エイショウエ ショウエイ ショウエイ
        ションガネ アレワイサソ エサソエ ションガネ♪


今日カメラスポットに選んだのは祇園町の東長寺前の「清道」
櫛田神社を出た一番山笠がすごい速さでここに来ます。
連写で挑んだのですが、暗かったせいもありあまりよく撮れていません。





それから5分毎に各流れが走り出します。


最後の8番山笠「上川端通り」の山が来るころには博多の空も明るくなってきました。








     




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博多山笠追い山ならし(平成24年7月12日)

2012-07-12 19:57:23 | 日記
熊本、大分の集中豪雨謹んでお見舞い申し上げます。


博多山笠は15日早朝の追い山でフィナーレを迎えます。
今日は追い山ならし
言い換えると追い山の予行練習です。

7つの流れの舁き山と1つの飾り山笠が櫛田神社に集合します。





3時59分太鼓の合図で1番山笠「千代流れ」がスタートします。
櫛田神社の清道を廻り博多の祝い歌「祝いめでた」を歌います。

このあと5分おきに各流れがスタートします。







※8番山笠上川端通りは飾り山を舁いています。
真ん中から煙を出します。


今日福岡は雨は降らなく気温も30度を超え蒸し暑さと男衆の熱気で
非常に暑かったです。


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デジブック 『白糸の滝と紫陽花』

2012-07-11 19:13:01 | お花
6月30日に行きました福岡県糸島市「白糸の滝の紫陽花」をデジブックにしました。
こちらです。



デジブック 『白糸の滝と紫陽花』
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博多山笠追い山コースを歩きました。

2012-07-10 19:38:06 | 日記
博多山笠は今週からクライマックスを迎えます。
12日の追い山ならし、13日の集団山見せ・・・・と続き、15日早朝の本番を迎えます。

その追い山コースを7月7日(土)JRウオーキングの仲間と歩いてみました。
博多山笠は、今から約771年前(1241年)博多に疫病が流行ったので承天寺の聖一国師が施餓鬼棚に乗って
祈祷水を撒いたことから始まっています。

博多駅前の飾り山笠の所に集合しここから追い山スタート地点の櫛田神社まで歩きます。
櫛田神社ではこの期間限定で「祇園饅頭」が売られています。

追い山では早朝4時59分山留めをスタートした山が櫛田神社の「清道」を廻ります。
そして1番山だけ「博多祝めでた」を歌うことが許されています。
ですからスタートは4時59分です。



櫛田神社をスタートした山は次に「東長寺」の清道に向かいます。
東長寺は神仏混淆(こんこう)の時、東長寺の住職さんが櫛田神社の神官を務めたことに起因します。

山は山笠発祥の地「承天寺」へ。
こちらにも「清道」があります。



山は承天寺から御供所(ごくしょ)町の路地へ。
ここは聖福寺、東長寺、承天寺などお寺が多く旧町名は「寺町」でした。
御供所という名は筥崎八幡宮へのお供え物を調達できたからその名がついたそうです。

山は昭和通を抜け博多小学校の所から大博通りを博多駅の方に向かっていきます。
途中「東流れ」の飾り山笠が見えてきます。
東流れの今年の飾り山笠の題目は「清盛平定功」「牛若丸修験之場」です。

大博通りの右側にコンビニがあります。
そこから右折し、100mぐらい行ったらまた右折。
店屋町に入っていきます。
勢い水処を通り明治通り、昭和通を通り奈良屋町へ
ここが12日の追い山ならしのゴール地点。

本番の15日はここから左折し須崎町へ。
ここには大黒流れの舁き山が展示されていました。
(一口メモ)舁き山は奇数番がお宮の札をつけます。この大黒流れは4番の偶数ですので
それがついていません。


石村萬盛堂の所がゴール(廻り止め)です。

15日の本番には博多の男衆は燃えるでしょうね。
楽しみです。

この日のGPS










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2012博多祇園山笠その2(中洲・川端地区飾り山笠)

2012-07-04 05:00:00 | 日記
今日(7/03)は朝から大雨でした。
その雨の合間にまた飾り山笠を見学しました。
今回は中洲、川端地区です。

9番山笠博多レバレイン



8番山笠上川端通り



※この山笠は「走る山笠」とも呼ばれています。
追い山当日この山笠が博多の街を走ります。


6番山笠中洲流れ



15番山笠川端中央街

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