よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2017年にオールジャパン完歩目指しています。





山陽道(西国街道)を歩く「尾道~今津宿(松永)」

2013-11-28 11:04:59 | 山陽道(西国街道)を歩く

11/22鞆の浦からバスで福山まで戻り福山から電車で尾道へ。尾道には12時前に到着。

街道の商店街を歩いていたら「カキフライランチ」の看板が・・・・ 広島と言えば牡蠣ですね。ここでお昼をすることにしました。

お腹もいっぱいになりまた歩き出します。

商店街の一角に「尾道バッチャ祭り」のポスターがありました。この祭りは11月3日に行われるのですが

この祭りの御神興が展示されていました。

   

商店街を過ぎると「防地口」の交差点に差し掛かります。街道はここから尾道商業高校の方に行くのですが防地口の先に

浄土寺」がありますのでそちらに向かいます。

浄土寺の入り口に「西郷四郎」の石碑が建っています。

  

西郷四郎は富田常雄の小説「姿三四郎」のモデルとして知られています。生まれは会津で会津藩家老「西郷頼母」の養子になりました。

嘉納治五郎が講道館を創設したころそれを助けて日本柔道を大成させました。小柄な体格でしたが特技「山嵐」の大業は天下無敵の

稱がありました。大正9年病気療養のため尾道に来てこの上の吉祥坊の方に仮寓し養生につとめていましたが大正11年12月

57歳で死去しました。

浄土寺は616年、聖徳太子の創建と伝えられるています。
足利尊氏が九州平定や湊川の戦の際、戦勝祈願をした寺としても有名です。
「本堂」「多宝塔」は国宝、「山門」「阿弥陀堂」は国重文、境内一帯は国指定文化財に指定されています。
奥庭には伏見城から移築したといわれる茶室 「露滴庵(国重文)」が寂然と建っています。(尾道観光協会HPより)

       

       

再び防地口の交差点の街道に戻ります。しばらく歩くと左側に「正念寺」の看板が見えます。中に入っていくと、ここには延命水があります。

手ですくって一口口の中に入れてみます。これで10年ぐらい寿命が延びたかな?

    

 寺の横には「亀山八幡宮」があります。ここには行司軍配を刻んだ石碑が建っています。

正念寺の隣には巨大な鬼瓦がある「浄泉寺」があります。行ってみようと思いましたが、ずっと廻っていかねばならなかったので断念しました。

写真でもわかりますか?

          

 尾道は本当にお寺が多い町です。正念寺の反対側の久保小学校の所には、「西郷寺」があります。

他に今回行きませんでしたが「千光寺」もあります。

    

尾道東高の前の道を歩いているとだんだん上り坂になってきます。ここが「防地峠」。尾道バイパスのガードを潜ると法華経のお題目があります。

     

更にくねくねした道を登っていくと前方が工事中。仕方なく池の方から迂回していきます。

ここには「番所」というバス停があります。というと境界?

今来た道の方には「芸州藩」。道路を挟んで反対側には「福山藩」の境界の石碑が建っています。

    

案内板を読んでみますと

江戸時代ここ防地峠は芸州藩と福山藩の国境でした。当時の山陽道。東の方へは尾道からこの峠を越えて今津、神辺、井原、矢掛と続いていました。

国境ですから人と物の動きをここでチェックするための番所が峠を挟んで芸州藩と福山藩の両方にありました。

明治維新で国境はなくなり番所もどんどん姿を消してしまって今や全国で3棟だけしか残っていません。しかも現地にあって街道を見下ろせるそのままの条件で

残されているのはこの防地峠だけです。明治の廃藩置県で芸州藩と福山藩が併合され広島県が出来上がりました。

防地池を通り高速のガードを通ると「高須」に入ります。

       

 一里塚の先の高台に細い道を行くと「関の地蔵尊」があります。下りて行ったら「ちかみち」の石碑が・・・・・

この地蔵尊に行くための近道なんでしょうか?

街道脇の公園には今や盛りとばかりに「ピカサンサス」の実が真っ赤に実っています。「讃大松の碑」昔大きな松があったのでしょうか?漢文で書かれています。

更に先に進むと「高須八幡神社」があります。鳥居の横には「常夜灯」が建てられています。お宮に常夜灯?何かあまり釣り合いませんね。

調べてみますとこの八幡神社の下まで海だったそうです。   納得!

            

藤井川の真田橋を渡ると「福山市」に入ってきます。ここは「今津」 旧松永市(1966年に福山市と合併)です。

今津というと新しい港というイメージですが、周りをみても海らしいものがありません。1600年代には宿場町として栄えていましたからその以前が港町だったのでしょうか?

陰陽石神社を通ると「蓮華寺」があります。蓮華寺は、

 白鳳年間(七世紀)、今津地方の庄司である田盛庄司安邦の菩提寺として建立されたと伝えられる。

また、明治時代に入るまで、剣明神(つるぎみょうじん)の別当寺を務めていた。

寺伝によると、平安時代延暦二十三年(八〇四)弘法大師空海上人が遣唐使の一員として唐へ向かわれる途路、朝霧の中今津浦から見える山々が紀州の熊野三山に似ているところから、入唐留学の無魔成満を祈願され、今津の地に熊野三山を開山されたという。その一山が当山であり、熊野本宮の御本地仏、阿弥陀如来を本尊とする。
その六百年後、室町時代の応永十年(一四〇三)、当山中興の祖である尊慶阿闍梨は、大師開山六百年を記念して熊野三山を巡礼し、

熊野三所大権現を再勧請(さいかんじょう)している。

時代は下り、江戸時代には参勤交代の制定に伴い、山陽道今津宿の本陣は河本家、脇本陣は蓮華寺と定められ、その史跡「上段の間」が現存している。

宝暦三年(一七五三)に堂塔が焼失し、宝暦十三年には今津東坂旧墓地付近の丘より現在の地に移転。造営に際し、福山城主より多額の浄財の寄進を受ける。尚、本堂は類焼を免れ寛政六年(一七九四)に現在地に移転、再興された。

   

蓮華寺の先には「高諸神社」があります。

『福山史科』によると、白鳳5年、沼隈郡今津村の海岸に難破船が漂着した。乗人は3人で、言葉が通じない。村長の田盛が筆談すると、新羅国王だという。

田盛は彼を厚く遇し、朝廷にこれを報じた。
しかし、朝廷から返答のないまま、翌年に王が没し、前の山に葬った。
翌年、田盛の夢に王が現れ、自分は須佐之男命だと言った。そこで田盛は王を祀った。これが剣大明神(高諸神社)となった。

 

       

今津宿本陣」が設けられたのは慶長7年(1602)。尾道、神辺間の宿場町として戸数300戸、商家軒を連ねて賑わっていた。

本陣は代々庄屋の河本家によって世襲されてきた。

薬師寺は蓮華寺と共に弘法大師によって創建されました。蓮華寺が西方院に対し、この薬師寺は東方院と呼ばれました。

     

街道は本郷川を渡りすぐ左折します。このあたりに「今津一里塚」があるはずなんですが・・・・・・・わからず地図を眺めていると犬を連れて散歩されている方が教えてくれました。

この方は60代の頃、東海道を歩いて踏破されたということです。

松永は畳表に使うイ草の産地。街道沿いにはイ草組合がありました。九州では熊本・八代が有名ですね。

     

先に進みます。時間はもう4時近くなっています。今日は赤坂まで歩く予定でしたが時間的に見て無理ですので手前の「松永駅」までにします。

初冬の夕暮れは早いので少し急ぎ足になります。

松永駅の近くに「神村八幡神社」があります。先ほどの高須も八幡神社、何か八幡神社が多いですね。

駅に向かって歩いていると歩道に「下駄」のマークがついたブロックがあります。松永は履物の町でもあるのですね。

16:30JR松永駅に到着。

                  

16:53発の電車で今夜の宿福山に戻りました。

今日のGPSです。

 

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鞆の浦を歩きました(広島県福山市)

2013-11-26 06:33:26 | ウォーキング

11/22~11/24まで山陽道「尾道~小田」まで歩きました。

11/22 博多発6:00発の新幹線で福山へ。急に「鞆の浦」に行きたくなり駅前からバスで鞆の浦へ。約30分で鞆の浦到着。

    

鞆の浦は沼隈半島の先端に位置し日本で最初の国立公園「瀬戸内海国立公園」の景勝地です。

瀬戸内海のほぼ中央に位置しこの辺りで潮の流れが変わることから古来、塩待ち、風待ちの港として栄え歴史的な事件や

さまざまな伝説が残っています。   (観光パンフより)

また、映画宮崎駿監督、「崖の上のポニョ」の舞台となった所です。

           

鞆の浦ミュージアムは、時間が早かったせいかまだ開いていませんでした。

その隣には「林家住宅」があります。

     

 林家は、明治時代の豪商で家の造り、なまこ壁など鞆最大の町屋です。

鞆の浦を歩いていると神社仏閣が多いのに目が付きます。

   

   

医王寺からは鞆の浦を一望できます。

 港の方に降りていくと焼アナゴを売っているおばさんがいました。

アナゴ丼にするとおいしいでしょうね。他にもお魚を売っている方が何人もいらっしゃいました。

昔の井戸ポンプ「ガチャポンポンプ」もまだ現役です。六角井戸はポンプでくみ上げているそうです。

   

    

港のシンボル「常夜灯」の方に行きますと何やらロケの真っ最中。着物を着た女性の方が海を見つめているシーンです。

      

聞きましたら「鞆の浦恋歌」のカラオケの映像だそうです。

常夜灯の横には「いろは丸展示館」があります。

慶応3年 1867年4月23日、”いろは丸事件”は起こりました。
土佐海援隊隊長、坂本龍馬が運用した、伊予大洲藩から借り受けた西洋式の蒸気船「いろは丸」。最初の航海で物資(鉄砲)を運ぶために長崎から大阪に向かっている途中、瀬戸内海、備讃瀬戸の六島(現在の岡山県笠岡市)で紀州藩の明光丸に2度にわたって衝突されてしまいました。その後、近くの鞆港(現在の広島県福山市)に曳航しようとしましたが、浸水のため宇治島沖で沈没してしまったのでした。
その後、両方鞆の浦にとどまり繰り返し賠償交渉が行われました。
交渉は難航し、鞆ノ浦では決着が付かず、舞台を長崎に移して行われました。その後も交渉は難航したものの、坂本龍馬の卓越した政治力、したたかな交渉能力、広範囲な人脈の駆使、傑出した対応・戦略により、賠償金七万両を龍馬達「いろは丸」側が受け取ることで決着がついたのでした。(鞆の浦HPより)

いろは丸展示館に入ってみると、いろは丸事件がジオラマで再現されています。

  

龍馬が紀州藩と直談判を行ったところが旧魚屋萬蔵宅。現在は町屋カフェーです。

  

    

あと太田家住宅や岡本家長屋門など見る所がたくさんありますが、そろそろ山陽道を歩く時間になってきましたので

鞆港からバスで福山駅に向かいました。次回はゆっくり廻ってみたいですね。

 

   

 

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「杜の都せんだいツーデーマーチ2日目」17km

2013-11-19 09:17:27 | ウォーキング

11/10(日)

昨日は快晴の天気でしたが今日は一転し、朝からポツポツ雨が降り出してきました。

7時半より出発式。準備体操では東北弁のラジオ体操の曲が流れ参加者の皆さん笑って体操をされていました。

           

コースは仙台市街地を通り広瀬川へ。川の真ん中には倒れた木々があります。先日の台風の影響でしょうか?

                   

7,6km地点が瑞鳳殿。ここからの坂が急で坂の入り口には無料で杖が貸し出されていますが、私も一応ウオーカーの端くれ、杖を使わず登っていきます。

コースはこの瑞鳳殿を通るだけですが、折角ですのでコースアウトして中に入ることにしました。

      

瑞鳳殿は1636( 寛永13)年、70歳で生涯を閉じた仙台藩祖伊達政宗公の遺命により、その翌年ここ経ケ峯に造営された霊屋(おたまや)です。
桃山様式の遺風を伝える豪華絢爛な廟建築として1931(昭和6)年、国宝に指定されましたが、1945(昭和20)年の戦災で惜しくも焼失しました。
現在の建物は1979(昭和54)年に再建されたものです。(瑞鳳殿HPより)

     

    

     

細かい細工が施され見事な建築物です。

瑞鳳殿を見学し再びコースに戻ります。この辺りは「太白(たいはく)区」になるんでしょうか?

因みに仙台市は平成元年(1989)に全国11番目の政令指定都市になり青葉区、宮城野区、若林区、太白区、泉区の5区があり、人口約105万人です。

この「杜の都せんだいツーデーマーチ」も2日間で5区を歩くことになります。

しばらく歩くと「愛宕神社」の看板が見えてきます。そこを左折。すると長い階段が待っています。

入口には「虚空蔵尊(こくうぞうそん)」と書かれています。何の意味だろう?

      

 HPを調べてみますと「虚空蔵尊 大満寺」は

虚空蔵尊は丑・寅年生まれの守り本尊で初詣の時などは、その歳生まれの参拝者が多く訪れます。
境内の見所として仙台名物「向山の早鐘」という鐘楼があります。この鐘は享保5年に鋳造されたもので、もとは大年寺にありました。城下に危急を告げたり時を告げたりしたもので、今も地域の人たちに親しまれています

 ここは高台にあり仙台市の市街地が見渡せます。パノラマで撮ってみました。

大満寺の横が「仙台 愛宕神社」です。

   

愛宕神社の急な階段を下りてくると雨が降ってきました。すぐDバックの中から雨合羽を取り出し、マップが濡れないようビニール袋に入れておきます。

コースは国道4号線に合流し、広瀬橋で左折、渡り終えると広瀬川沿いに歩いていきます。河原を見ると今日も「芋煮会」をされているグループがいました。

11:20「陸奥国分寺・薬師寺」に到着。ここが15,2km地点。あと2km弱。この調子なら12時前にゴールできそうです。

   

陸奥国分寺は奈良時代に聖武天皇が全国に建立した国分寺の中で最も北にある寺です。室町時代に廃れ、現在の薬師堂は慶長12年(1607)

仙台藩主伊達政宗が講堂跡に建立したもので国の重要文化財になっています。

この薬師堂の隣は木ノ下公園でいろいろな木が植えてあり今は銀杏、モミジが綺麗です。

また、芭蕉の句碑も建っています。  あやめ草 足に結ばん 草履の緒

               

         

薬師堂から500mほど歩いたところに球場が見えてきました。ひょっとして「Kスタ宮城」?

広い駐車場があり向え側は、JR貨物駅です。

球場には9/26にパリーグ初優勝を飾った写真が掲げられていました。

また今月3日には、セリーグの覇者ジャイアンツを破っての日本一です。私は九州ですのでホークスファンですが、同じリーグとして楽天を応援していました。

楽天の日本一は東北の方々に沢山の感動と勇気を与えてくれたでしょう。町には「楽天優勝!日本一おめでとう!」の垂れ幕がたくさん掲げられていました。

九州人の私としても大変うれしかったです。

     

11:47 ゴールの榴岡公園に到着。

私達、この大会でJWAのオールジャパンでハーフの24県達成しました。あと23県で全国制覇となりますが先が長いですね。

5~6年ぐらいで達成したいと思っています。

       

今日17kmのGPSです。

 

 

 

 

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杜の都せんだいツーデーマーチ1日目35km(宮城県仙台市)

2013-11-16 23:07:59 | ウォーキング

11/09 朝、仙台は快晴です。起きると気温が5度。やはり東北の朝は寒いです。

7時半にホテルを出て会場の榴岡(つつじがおか)公園に向かいます。

もともと仙台のウオーキング大会は東松島ツーデー大会でしたが2011.3.11のあの震災で被害を被りその年の大会が中止になりました。

あれから2年9か月・・・・・・・

                

今回、「杜の都せんだいツーデーマーチ」と名称を変え再スタートです。

出発式ではこの震災で亡くなられた方の冥福をお祈りし5分間の黙とうをしました。

午前8時35kmのスタートです。

         

約10km地点が台原森林公園です。周りは木々で囲まれ本当に気持ちのいい場所です。

木々には黄葉や紅葉しているのもありました。

   

   

 11時15分チェックポイントの「水の森公園」にやってきました。18.8km(コースの約半分)。

ここは仙台市民の憩いの場、バーベキューコーナー、多目的広場などがあります。

さすが「杜の都」といわれるだけに仙台の公園には木々が生い茂り森林浴が楽しめ素晴らしいウオーキングです。

マップにはここで昼食と書いてますので私たちもここで休憩します。

           

時間も12時を過ぎ暖かくなってきました。ただじっとしていると少し寒いです。コンビニで買ったサンドウイッチを食べ再びウオーキング開始。

歩き始めた途端急な上り坂です。上って下ったかと思うとまた上り・・・・・・・

コースは泉区から青葉区に入ってきました。

                  

 歩いていると右側に三重塔が見えてきました。

ここが「輪王寺」(りんおうじ)です。

輪王寺は、嘉吉元年(1441年)、伊達家九世政宗の夫人、蘭庭明玉禅尼の所願により、十一世持宗が、太菴梵守和尚を開山として、福島県梁川に創建されました。
 政宗夫人は、三代将軍足利義満の生母の妹に当たるため、六代将軍義教は、後花園天皇に奏請し、「金剛寳山輪王禅寺」の額を賜りました。

輪王寺は1441年、福島県に創建されたお寺です。その後、伊達家の居城の移り変わりとともに、輪王寺も米沢や岩出山と変わって仙台市に移ってきたのが伊達政宗が拠点を仙台に移した1602年でした。輪王寺の場所が計6回変わったので「輪王寺の六遷」というそうです。(寺院HPより)

      

輪王寺をバックに更に進みます。柏木1丁目の交差点が20kとの合流点です。ここを左折。

右側は東北大学薬学部、左手が東北大学病院です。少し進んだ交差点の所に初めて見る「信号」が・・・・・・

この信号一台で全方向を指図するんですね。慣れるまで大変かと思いますが効率のいい信号だと思います。福岡では見たことがありません。

            

 26km地点が「大八幡宮」です。

平安の昔、東夷征伐に際して坂上田村麻呂は、武運長久を祈念すべく武門の守護神である宇佐八幡宮を現在の岩手県水沢市に勧請、鎮守府八幡宮を創祀しました。その後、室町時代に奥州管領大崎氏はこれを自領内の現遠田郡田尻町に遷祀し守護神として篤く崇敬した為、世に大崎八幡宮と呼ばれました。
大崎氏の滅亡後は伊達政宗公が居城の玉造郡岩出山城内の小祠に御神体を遷し、仙台開府後仙台城の乾(北西)の方角にあたる現在の地に祀られました。
この際に旧領の羽前国米沢にて代々崇敬しておりました成島八幡宮と共に祀られました。
社殿の造営にあたっては、当時豊臣家に仕えていた当代随一の工匠が招聘され、その手に成った御社殿は豪壮にして華麗なる桃山建築の特色が遺憾なく発揮されており、仙台六十二万石の総鎮守として伊達家の威風と遷宮当時の絢爛たる息吹とを今に伝えております。
藩政時代を通じ歴代藩主の篤い尊崇を受け、明治以降は大崎八幡神社と称しておりましたが、御遷座四百年を間近に控えその歴史的経緯を考慮し、平成九年六月、社名を大崎八幡宮に復し、現在に至っております。
尚、当社殿は安土桃山時代の我が国唯一の遺構として国宝建造物に指定されております    (神社HPより)

           

境内では七五三を迎える子供さんがお祓いを受けていました。

コースは仙台の市街地に入ってきます。大橋の手前の階段を下り河川に出てきます。

ここが「広瀬川」です。 広瀬川流れる岸辺 想い出は帰らず 早瀬躍る光に揺れていた君の瞳

河川敷には何組もの方が集まっておられ、バーベキューでもされているのかな?と思っていましたら大きなお鍋がありました。

芋煮会」をされているのですね。やはり使われているのは「仙台味噌」でしょうか?

       

      

 櫻岡大神宮を通り仙台青葉通りを通って仙台駅へ。仙台駅の自由通路を通り仙台駅東口に行きました。

もうゴールまであとわずかです。

       

14:17 35km無事ゴールしました。

  

仙台は震災後初めてのJWAの大会でしたが、よく整備された公園などを歩き大変気持ちがよかったです。

今日(9日)35kmを歩いたGPSです。

今日の夕ご飯は、ブログ友達Kさんのご紹介の仙台の料理屋さんでいただきました。

 

 

  

  

 

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円通院の紅葉(宮城県松島町)

2013-11-15 17:04:40 | 旅行

円通院は瑞巌寺の西隣にあり伊達正宗公の孫光宗の霊廟です。

光宗は文武両道に優れていましたが正保2年(1645)19歳の若さで亡くなりました。

ここの三慧殿には支倉常長がヨーロッパから伝えた西洋文化の影響が強く厨子の右側の内部には日本最古といわれる

西洋バラが描かれています。通称「バラ寺」とも呼ばれています。

さて、この円通院は紅葉の名所としても知られています。こちらに来るときネットで調べましたら「見ごろ」ということでした。

     

円通院の山門は切妻造茅葺の薬医門です。本堂とともに松島町の文化財に指定されています。

先ずは石庭へ

 

    

     

三慧殿(さんけいでん)

三慧殿は、技術の粋をつくした伊達家屈指の建築物で国の重要文化財に指定されています。その厨子には支倉常長が西洋から持ち帰ったと伝わるバラの絵が描かれており、円通院はこのバラを題材にした庭のある「バラ寺」として知られております。(円通院HPより)

  

        

心地池 本堂大悲し亭の前にある 池でお寺の方がライトアップに備え池の掃除をされていました。

本堂大悲亭は光宗君の江戸納涼の亭で愛息の早逝を悼んだ忠宗公が解体移築したものです。

           

                     

時間も4時半近くになりました。ライトアップ期間中は昼の拝観は4時半までです。ここで私達はいったん外に出ました。

ライトアップは5時半からです。その間、お菓子屋さんで一休みしました。

              

 東北の夕暮れは早いですね。まだ4時半だというのにあたりが暗くなってきました。福岡はまだ明るいですが 1時間以上違うみたいです。

円通院の紅葉のライトアップは5時半からということで5時10分になりましたのでお菓子屋さんを出てゆっくり円通院に向かいました。

開園前だというのに円通院の前は長い行列ができています。ライトアップは別に入場券(500円)が要り隣の食堂で購入しました。

     

 

円通院ライトアップの写真があまりにも多いので下記のデジブックに投稿しました。

クリックしてご覧ください。

タイトル「円通院のライトアップ」

http://www.digibook.net/d/83c4cdb3901daa9033eb4d04a6ab5a5e/?viewerMode=fullWindow

円通院を出たのが6時10分前。仙石線の時刻表を調べると6:04があります。

急いで駅に戻りどうにかこの電車に間に合いました。

仙台駅に着くともう夕食の時間です。

仙台というとすぐ「牛タン」が浮かんできます。

仙台駅構内の牛タン屋さんへ。5~6人ぐらい並ばれていましたが5分ぐらいの待ち時間で入りました。

明日は仙台市内を35km歩きます。ちょっと贅沢に「牛たん焼極定食」を注文しました。

           

明日は、杜の都せんだいツーデーウオークです。頑張るぞ  エイエイオー

 

 

 

 

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瑞巌寺(宮城県松島町)

2013-11-14 05:07:57 | 旅行

松島・五大堂のあと「瑞巌寺」(ずいがんじ)に向かいました。ここは16:00で閉門になりますので少し急ぎました。

宮城県民謡の斎太郎節(さいたらぶし)には、松島のサーヨー瑞巌寺ほどの(ハ・コリャコリャ)寺もないとエー・・・・・・・・

瑞巌寺の名前が出てきます。

        

門を潜り歩いていくと両側に杉並木が続いています。

             

瑞巌寺は正式名称を「松島青龍山瑞巌円福禅寺」といいます。現在臨済宗妙心寺派に属しております。
開創は平安の初めにさかのぼります。天長5年(828年)比叡山延暦寺第三代座主慈覚大師円仁が淳和天皇の詔勅を奉じ、3000の学生・堂衆とともに松島に来て寺を建立しました。この寺は延暦寺と比肩すべき意を持って延福寺と命名され、平泉・藤原氏の外護を受けました。
藤原氏滅亡の後は鎌倉幕府が替わって大檀越となりました。北条政子は当時学徳一世に高かった見仏上人に仏舎利を寄進し、夫の菩提を弔わせています。その仏舎利・寄進状は今に伝わっております。

この天台宗延福寺は鎌倉時代中期、開創以来28代約400年の歴史をもって滅しました。
法身禅師が開山とされ、天台宗延福寺にとって替わった寺は円福寺と命名されましたが、正確な開創年はわかっておりません。
歴代住持の経営努力によってその勢力を岩手県南部にまで伸長してき、寺格も五山十刹に次ぐ諸山の高位にありました。しかし、戦国時代を経て次第に衰退し、妙心寺派に属するようになりました。

慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いが終了した後、仙台に治府を定めた伊達政宗は、仙台城の造営と併せて神社仏閣の造営も行い、
塩竃神社・仙台大崎八幡宮・陸奥国分寺薬師堂を相次いで完成させました。
当寺の造営は特に心血を注いだ事業でした。用材を紀州(和歌山県)熊野山中から伐り出し、海上を筏に組んで運びました。大工は梅村彦左衛門家次一家や、刑部(鶴)左衛門国次ら名工130名を招き寄せております。工事は慶長9年(1604年)、政宗自ら縄張りを行って始まりました。丸4年の歳月をかけ、慶長14年(1609年に)完成しております。

伊達家の厚い庇護を受け、瑞巌寺は90余りの末寺を有し、領内随一の規模格式を誇りました。
しかし、明治維新を迎え王政復古の政策は廃仏毀釈を惹起し、さらに伊達家の版籍奉還による寺領の撤廃が瑞巌寺を始め松島の諸寺院を直撃し、零落・廃絶・焼亡等の憂き目を見ることになりました。瑞巌寺はそれでも時の住持太陽東潮の努力によりようやく維持されていたのですが、明治9年、天皇の行在所となり、内帑金千円が下賜され、復興の契機となりました。
現存する本堂・御成玄関、庫裡・回廊は国宝に、御成門・中門・太鼓塀は国の重要文化財に指定されております。(瑞巌寺HPより)

杉並木を抜けると洞くつに仏像があります。これは「瑞巌寺洞窟群」といって

元来納骨や供養の為の施設で造営は鎌倉時代に遡り江戸時代まで続いた。松島は古来「奥州の高野」と呼ばれ浄土往生を祈念する

神聖な霊場でした。

      

        

本殿近くに来ると工事中の看板が・・・・・・・

    

現在瑞巌寺では平成の大修理と言って

素屋根(覆屋)を建設して建物の保護を行い、各作業に必要な足場を建設。
解体に際し事前に彩色部分の剥落止め工事を行う。
素屋根建設後、屋根瓦、瓦下地、床組、建具、土壁、敷居や長押等、飾金具、諸設備を解体。
御成玄関部分については屋根瓦、土壁、建具、本堂取り合いの柱間装置を解体。
基本的に柱や小屋梁は解体しない。
予定範囲部分の解体後に発掘調査を予定、終了後に本堂全体を持ち上げ基礎工事と柱の破損した修理を行う。完了後本堂を下ろして解体した部材を修理しつつもしくは取替を行いながら組立工事を行う予定。(瑞巌寺パンフより)

工事は平成30年まで行われる予定でその間、庫裡(くり)(寺院の台所)、大書院(仮本殿)、陽徳院御霊屋(寶華殿)などが特別に公開されています

庫裡は、正面13.78m、奥行き23.64m。
大屋根の上にさらに煙出しが載っています。
他にない巨大さで、本来実用本位の建物に唐草や花肘木の彫刻が施されたことに、政宗公の美意識をうかがえます。

                  

大書院では伊達家代々のお位牌が置かれています。このお位牌70~80cmぐらいあるでしょうか?凄く大きいです。

         

    

次は外に出て今回特別公開された「陽徳院御霊屋」に行きます。

岩を削ったトンネルを超えると小高い丘には紅葉が紅く染まっています。

      

陽徳院御霊屋(寶華殿)は、伊達正宗公の正室陽徳院田村氏愛姫(1568~1653)の墓室で万治3年(1660)孫の綱宗によって造営されました。

平成18年から3年をかけ創建当時の豪華絇欄な姿に復元されました。

    

時間も4時近くなりました。もう閉門時間です。このあと私たちは松島の紅葉の名所「円通院」に向かいました。        (続く)

  

 

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松島へ②(宮城県松島町)

2013-11-13 15:49:05 | 旅行

松島やああ松島や松島や

一度は行ってみたかった日本三景の一つの「松島」。(あと二つは京都天橋立、広島・宮島)

もう何十年も前になりますが、当時山本譲二さんの「みちのく一人旅」という歌が流行っていたころ

この歌を歌って家内を口説き落としゴールインしました。

月の松島 日暮れの白河・・・・・・・俺にはお前が最後のおんな ・・・・・・

それはさておき、2011年の大震災ではここ松島でも津波が押し寄せました。

                 

 幸い松島の島々のおかげで大惨事にはならなくて済んだそうですが45号線などは冠水や陥没の被害があったそうです。

         

   

 松島のシンボルが「五大堂

     

五大堂は、大同2年(807)坂上田村麻呂が東征のとき、毘沙門堂を建立し、天長5年(828)慈覚大師円仁が延福寺(現在の瑞巌寺)を開基の際、

「大聖不動明王」を中心に、「東方降三世」、「西方大威徳」、 「南方軍荼利」、「北方金剛夜叉」の五大明王像を安置したことから、

五大堂と呼ばれるようになりました。

ここに行くには、透かし橋を渡らなければいけません。

「透かし橋」は身も心も乱れがないように足下をよく照顧して気を引き締めさせるためだそうで道板の下には海面が見えます。

      

松島は260個の島々から形成されており、日の出と月の名所として知られています。

                    

 

この島々をじっと見ていると時の経つのも忘れてしまいそうです。

然し、私たちはこのあと瑞巌寺、円通寺などの見学を予定していますので重い腰を上げながら次の瑞巌寺へ向かいました。

 

 

 

 

 

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松島へ①(宮城県松島町)

2013-11-11 18:57:07 | 旅行

11/08(金)

11/09~11/10に仙台で行われる「第一回杜の都せんだいツーデーウオーク」に参加のため仙台に行ってきました。

10:20福岡空港発ANAで仙台には12:00丁度に到着。

    

ホテルのチェックインまでの時間があり一度は行ってみたかった日本三景の一つ「松島」に行ってきました。

仙台空港アクセス線で仙台駅へ。仙台駅からは仙石線に乗り換え14:00松島海岸駅に到着。

(仙石線は、震災の影響から松島海岸の次の高城駅~陸前小野駅間が不通でバスで代行運転中です)

       

仙石線には、石巻にゆかりのある石ノ森章太郎さんの「まんが列車」が走っています。

        

松島の町の中を歩くと「焼きカキ」の看板が目に入ります。お腹も減りましたので近くのカキ料理店に入りました。

              

注文したのは「カキ御膳」でカキフライ、焼きガキ、煮たカキ?がついて2100円。

さすが松島のカキです。粒も大きくてとてもおいしかったです。                                   (続く)

 

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