よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2017年10月オールジャパンカップ達成。





第28回加古川ツーデーマーチ2日目20km(兵庫県加古川市)

2017-11-19 16:04:15 | オールジャパンウオーキングカップ

11/12(日)今日は私の〇〇歳の誕生日。FBには、たくさんの方からお祝いメールをいただきました。有難うございます。

………………………………………・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

11/12 第28回加古川ツーデーマーチ2日目。姫路のホテルで朝食をしっかり食べ、いざ会場へ。

今日は、大会終了後、明日からの東海道歩きのため静岡県に移動します。

   

加茂神社、泊神社を通り加古川へ。

加古川は、昔、鹿児川(かこがわ)と呼ばれており、昔、景行天皇が西国征伐のおり、印南野氷の丘(現在の日岡山)より望まれた河の三角州が、鹿の背に似ているところから、名付けられたという説と。

同じ頃、その周辺(現在の加古川駅前)に、多くの鹿が住みつき 鹿の村と名付けられたという説があります。(㈱カノコHPより)

   

加古川は、延長96kmの一級河川。河原の途中が1回目のチェックポイントでした。

  

水管橋を通り、「升田堤」へ。

升田堤は、万治元年(1658年)に姫路藩主・榊原忠次が築堤したもので、現在の堤防の基礎ともなっています。古くから加古川の流れはこの辺りから東西二つに分かれており、

参勤交代の大名や旅人は二つの瀬渡しで難儀し、地域の人々は毎年のようにおこる水害に苦労していました。忠次はこの二つの流れの間に堤防を築いて流れを一つにし、

かつての河床に新田や畑を開くことを決め即座に工事を実施に移しました。なぜなら当時、度重なる水害による被災者救済や石高の低下が藩の財政を圧迫し、

築堤による治水と新田開発に大きな期待をかけていたからです。こうして藩の命運をかけた「升田堤」には人員延べ60万人を動員、工期は約1ケ月余りという驚異的な規模と速さで完成し、

開墾した新田は藩に大きな利益をもたらしました。

  

平荘湖(へいそうこ)は、昭和41年に東播磨工業地帯の工業用水の安定供給を目的として建設されたダムによってできた人造湖です。

湛水面積約1平方km、貯水量900万トンで、1日20万トンの配水能力をもっています。湖面にはひょうたん型の島が浮かび、周辺は自然景観の美しいところです。

ここでN夫妻、とほ娘さんと合流。ここから一緒に歩きます。

 

  

  

 

2回目のチェックポイントがウェルネスパークです。ここでは、まちこん鍋が提供されました。

  

  

まちこん鍋を食べながら少し休憩します。食べ終わると再びスタート。

升田の町に入ります。このツーデーマーチの間、升田では、たくさんの案山子が出迎えてくれます。

升田では、地元の方が作られたぜんざいがあります。子供たちの呼びかけにつられ中に入りました。

今日は、私の誕生日。Nさんがぜんざいをおごってくれました。

帰りも案山子さんが見送ってくれました。

 

再び加古川河川敷を歩きます。川の土手には、わんわん応援隊の幟が・・・・・「愛犬ちゅんこと一緒に」のブログを書いておられる方でした。

  

河川敷では、加古川凧上げまつりも開催されていました。

  

加古川橋を通り、「じげまち商店街」へ。ここは5年前西国街道を歩いた時に通りました。

  

3回目のチェックポイントは、「ニッケパークタウン」です。日本毛織こと「ニッケ」の加古川工場跡地で現在ショッピングセンターになっています。

 

  

13:25 20kmコース(実際は22km)ゴール

  

2日間の参加者は前年度を上回ったそうです。歩いていていろんなお祭りにも遭遇し本当に楽しかったです。やまちゃんはじめスタッフの方有難うございました。

このあと、加古川駅に戻り明日からの東海道歩きのため静岡県藤枝市に向かいました。

   

 

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第28回加古川ツーデーマーチ1日目20km(兵庫県加古川市)

2017-11-17 17:48:22 | オールジャパンウオーキングカップ

11/11~12の「第28回加古川ツーデーマーチ」に参加しました。この大会は6~7年前に一度参加した大会で今回で二度目の参加。

11/11(土) 6:08博多駅発始発の新幹線のぞみに乗り、途中広島で別ののぞみに乗り換え、姫路駅から神戸線で加古川駅へ。会場に着いたのは、8:50.

どうにか、20kmのスタートには間に合いました。参加者が多いので列の一番最後に並び9:00スタート。(スタートは8:45から)

加古川は、我が福岡藩祖黒田如水(黒田官兵衛)の奥方「光(てる)姫」の生誕地。大河ドラマの時に作られた「てるひめちゃん」も応援に駆けつけました。

明日(12日)は、私の〇〇歳の誕生日。ゼッケンには、「気分は20歳です」と書きました。ちょっとサバを読みすぎたかな?

   

この大会は、仮装ウォーカーも募集していました。

 

30分ぐらい歩くと卸団地が1回目のチェックポイントです。卸団地では、ツーデーマーチに合わせ、卸まつりがおこなわれていました。

模擬店などおいしそうなお店が並んでいますが、先を急ぎます。

  

兵庫県は、溜池の数が日本一です。兵庫県でも一番は、淡路島ですが、明石、加古川、高砂、稲美町、播磨町などの東播磨地域の年間降水量は、全国平均の約半分と

雨が少ない瀬戸内気候です。稲作のためには、溜池で水を確保する必要がありました。

 

   

コースは、兵庫大学の構内に入ります。ちょうど兵庫大学では、学園祭が行われていました。ツーデーマーチに合わせての学園祭、お客さんも多いでしょうね。

  

  

コースは、加古川バイパスの歩道橋を通り、東加古川駅の方に向かいます。このあたりから歩友東京のMさんの奥さんに追いつきました。

 

2回目のチェックポイントは、教信寺です。

   

教信寺の横は、西国街道です。何年か前に山陽道・西国街道を歩いた時この道を通っているのですが、あまり覚えていません。

浜の宮公園が3回目のチェックポイント。

   

浜の宮公園では、元気鍋が振る舞われました。ここで小倉のNさんご夫妻と合流しました。ゴールまであと4,6km。ゴール時間は13:30頃かな?

  

このあと、浜の宮神社、尾上神社に向かいます。

尾上神社には、謡曲「高砂」に謡われた「尾上の松」があり、現在の松は五代目です。

   

鶴林寺

589年、聖徳太子が16才の時、秦河勝(はたのかわかつ)に命じ仏教をひろめる為の道場として建てられました。釈迦三尊と四天王を祀り「四天王寺聖霊院」と称されたのが

この寺のはじまりといわれ、播磨の法隆寺とも呼ばれています。平安時代の壁画が見つかった県下最古の木造建築物、国宝「太子堂」や、泥棒が盗み出し壊そうとしたら「アイタタ」という声が

聞こえてきたため、改心したと伝えられている国重要文化財「金銅聖観音立像」など、多くの文化財が残されています。

   

鶴林寺では、甘酒のサービスがありました。

  

13:20  20kmゴール

ゴール会場には、昔のムーンスターのSNSの仲間、明石の「くりちゃん」が応援に来ておられ、皆さんと記念撮影しました。右側の写真にくりちゃんが写っています。

  

今晩の宿泊先は、加古川駅から電車で10分の姫路のホテル。夕方姫路城でライトアップが行われるということで行ってきました。

 

 

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第26回富士河口湖もみじマーチ1日目20km(山梨県富士河口湖町)

2017-10-29 08:00:25 | オールジャパンウオーキングカップ

10/20  3年ぶりに「富士河口湖もみじマーチ」に参加しました。3年前は、雨で富士山が見れずリベンジのコースでしたが、天気予報では、台風21号が接近し、雨の予報。

福岡空港から7:00の飛行機で羽田に行き、羽田から高速バスで河口湖駅に向かいました。河口湖駅に着いたのが午後1時。

河口湖駅からレンタカーを借り、事前受付をするため会場の富士河口湖町役場へ。

   

     

10/21(土)第26回富士河口湖もみじマーチ1日目 20kmコース

台風21号のせいか、朝から雨が降っていて時々強く降る最悪のコンディション。7:30 30k、20k同時スタート。

天気のいい日には、会場から富士山が見えるのですが、今日は、顔を出してくれません。本当は、30kmコースにエントリーしていましたが、この雨で20kmに変更しました。

 

 

 

 

 

 

河口湖フィールドセンターに着きました。ここには、船津胎内樹型があります。

河口湖フィールドセンターの敷地内にある船津胎内神社の中に入口があります。洞穴の側壁は肋骨状、天井は鍾乳石状になっていたり、

流れ込んだ溶岩がうねったり奇妙なしわ模様をつくったりしていて、まるで人の胎内のようです。全長約70m、長いもので約20mの樹型が複数本組み合わさり、

一帯で最大大規模の溶岩樹型です。1617年に富士講の開祖長谷川角行が富士登山拝をした際、北鹿に洞穴を発見し、浅間大神を祀りました。富士講信者によって

1673年には、現在の船津胎内樹型が発見されました。洞穴には木花開邪姫命が祀られています。富士講信者は富士山の登山前後に身を清めるために胎内くぐりを行ったそうです。

胎内の中に入ってみたかったのですが、この雨です。先を急ぎました。

   

雨は、容赦なく降り続けます。道路には、水たまりもできました。そこを車がスピードを上げ通り過ぎ、私の所に水しぶきがかかってしまいました。

もう少しゆっくり走ってくれたらいいのに・・・・・・  

   

 

大塚丘(おおつかやま)は、西暦110年日本武尊(やまとたけるのみこと)東征の折に、途中で立ち寄ったとされており「北方に美しく広がる裾野をもつ富士は、この地より拝すべし」と

言葉を残したとされています。 大塚丘に浅間大神と日本武尊をお祀りし、北口本宮冨士浅間神社の創建となりました。 (富士吉田観光案内より)

  

北口本宮富士浅間神社です。この神社は1900年の由緒があり、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東方への遠征の折にこの地にて富士山の神霊を遥拝し「富士の神山は北方から拝せよ」と

仰せになり、祠を建てて祀ったのが始まりです。

富士山の女神である木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)、彦火瓊々杵命、(ひこほのににぎのみこと)、大山祗神(おおやまづみのかみ)がお祀りされています。

古くから富士山の遥拝地として信仰を集めていましたが、江戸時代に富士講が広まると多くの人がここより登拝し、富士山の北口(吉田口)登山道の起点として栄え、

17世紀初期に富士講の寄進により整備された境内は壮観で、富士山信仰の中心であることが感じられます。(富士の国やまなし観光ナビより)

  

北口本宮浅間神社を下りた所が、20k、30kの分岐点です。30kは、道の駅富士吉田~忍野八海を経由します。

20kは、金鳥居市民公園へ向かいます。20kのチェックポイントが金鳥居市民公園です。

  

 

 

チェックポイントを過ぎると、富士急ハイランドが見えてきます。今日は雨ですので遊戯施設は、見た所動いていません。台風だからお客さんも少ないのかな?

  

富士急河口湖駅です。昨日は、外国の方が多かったみたいですが、今日はどうかな?

11:44 ゴールの富士河口湖役場に到着。カッパを着てのウォーキングでしたが、シャツに水がしみ込んでいます。

その足で「紅富士の湯」に直行しました。この温泉も晴れていたら露天風呂から富士山が見れます。今日は・・・・・・・・

 

ホテルへ戻る途中、「道の駅富士吉田」に立ち寄りました。店先には、甲州のブドウが販売されていました。おいしそうなので一房買ってしまいました。

また、道の駅には、「吉田うどん」のお店があります。お腹も減ったので食べることにします。

吉田うどんの特徴は、太くてこしが強く、硬い麺です。キャベツや油揚げを入れます。

食べてみると、さすがこしが強く、硬いです。太さは、伊勢うどんみたいに太いです。

うどんは、博多も名物ですが、博多のうどんは、こしの弱い麺(柔らかい麺)です。博多のうどんばかり食べていますので、食いしん坊の私でもちょっと残してしまいました。

  

台風21号は、本州に近づいています。明日のウォーキングはどうなるでしょうか?

 

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ひらどツーデーウォーク2017 2日目16km(長崎県平戸市)

2017-10-10 19:24:25 | オールジャパンウオーキングカップ

10/08(日)は、ひらどツーデーウォーク2日目に参加しました。昨年に続き2年連続4回目の参加です。

  

8:30 30k、16k同時スタート。今日は、北九州市のNさんご夫妻、東京のとほ娘さん、札幌のSさん、広島のIさんと一緒に歩きます。

  

平戸城の横を通り、猶興館高校校門前を過ぎて平戸大橋へ。

猶興館高校は、現在じゃぱネットたかたの会長高田明氏の母校です。

  

カタクチイワシは、「いりこ」として出汁に使われます。このままですと、お酒のおつまみにもいいですね。

 

平戸大橋は、全長665m、昭和52年(1977)開通しました。昨年は風が強く私の相棒の「風車」の骨が折れたりしましたが、今年は風もなくその心配も無用でした。

  

橋を渡ると田平(平戸市)の町です。平戸大橋が完成する前までは、田平港からフェリーで平戸に渡っていました。

私が社会人になってすぐのころ、平戸港ターミナルの建設が行われていましたので、材料納入のため何回もこのフェリーを利用したことがあります。

当時、1日に30往復ぐらい便があったのではなかったでしょうか?フェリー代も高かったと記憶しています。

そのフェリーも平戸大橋完成後何年かは、営業していましたが、昭和59年(1984)廃止になりました。

  

松浦鉄道「たびら平戸口駅」は、日本最西端の駅です。

まだJRが国鉄の頃は、博多から筑肥線~松浦線を通って急行がこの「平戸口」まで走っていました。50年前の古い話です。

  

   

ナフコの踏切を渡ります。ここから昆虫館までは、このコースの最大の上り坂です。

  

最初のチェックポイントが「田平天主堂」。

  

北松(ほくしょう)農業高校は、今年も運動会でした。※北松は、以前この一帯が北松浦郡でしたので北松と呼んでいます。

  

田平公園です。ここからは平戸大橋のビュースポットです。

  

田平公園から平戸大橋に戻ってきます。ここからゴールまでは、約3km。

  

大橋を渡った平戸大橋公園が2回目のチェックポイント。

 

公園から国道に出ます。

  

  

歩いていると30kmのトップの方が追い抜いて行きました。東京のMさん、兵庫のIさんです。

  

12:06 16kmをゴールしました。ゴール後の楽しみは、ぜんざいです。お腹も減っていましたのでおいしかったです。

  

 

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瑠璃色ロマン神秘第19回田沢湖ツーデーマーチ2日目12km(秋田県仙北市)

2017-10-07 17:26:24 | オールジャパンウオーキングカップ

10/01(日) 第19回田沢湖ツーデーマーチ2日目。今日は昨日と比べて快晴です。

会場は、レストハウスよりバスで約20分のアルパこまくさ。2日目のコースは、①33km、②22km、③12km、④6km。

私たちは、帰る時間もありますので12kmコースを選択しました。

今日の田沢湖です。2日目のコースは、アルパこまくさから田沢湖レストハウスのゴールに向かうコースでほとんど下りばかりです。

アルパこまくさには、秋田駒ヶ岳へ向かう人がバスを待っていました。(今日、秋田駒ヶ岳は日曜日ですのでマイカー規制になっていて、バス以外は通れません)

 

出発式を終え9:15スタート!昨日までは、見れなかった駒ヶ岳が今日は綺麗に見えます。

  

  

 

お天気も良くそんなに暑くもなく絶好のウォーキング日和です。

 

田沢湖周辺には、乳頭温泉、水沢温泉、田沢高原温泉などの温泉があります。仙北市では、3か所の温泉が楽しめる温泉パスポート(1500円)を発行しています。

  

秋田駒ヶ岳をアップしてみました。所々紅くなってきていますね。

  

  

  

   

山のはちみつ屋です。赤いロンドンバスが目印です。

  

田沢湖湖畔にやってきました。もうゴールはすぐそこです。

11:20 ゴールしました。

  

 祝! オールジャパンウォーキングカップ完歩  

       

  

宿菜の花マーチから約10年、やっとオールジャパン完歩しました。始めたころは、まさか、達成するとは思いもしていませんでした。

家内と二人での達成です。

  

このあと、レンタカーで玉川温泉を経由して今日の宿「盛岡」へ向かいました。(続く)

 

 

 

 

 

 

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瑠璃色ロマン神秘第19回田沢湖ツーデーマーチ1日目23km(秋田県仙北市)

2017-10-06 04:44:48 | オールジャパンウオーキングカップ

9/30(土)瑠璃色ロマン神秘第19回田沢湖ツーデーマーチ1日目に参加しました。

この大会2日間を歩き終えると念願の「オールジャパンウォーキングカップ」(47都道府県の大会に参加完歩)達成となります。

会場は、田沢湖レストハウス。昨日からの雨は出発式には、小雨になっています。

1日目のコースは、①レストハウスからバスで移動してあきた芸術村からスタートする40km、②レストハウスからスタートして田沢湖一周する23km、③レストハウスからバスで移動して

むらっこ物産からスタートする12km、④レストハウスからバスで移動して御座石神社からスタートする6km・・・・・・・いずれもゴールは、レストハウスです。

私たちは、田沢湖を一周する23kmコースを歩きました。

  

ところが、ストレッチ、スタートの「激」の後、雨が本降りになってきました。あわててリュックからポンチョ、傘を出し、スタートしたのは、一番最後尾でした。

  

県民の森には、都道府県の木が日本地図のように植栽されています。

 

 

  

田沢湖のある仙北市は、今年7月23日の豪雨のためがけ崩れなどの被害が出ています。

   

スタートから約7km「クニマス未来館」があります。ここには、山梨県西湖から貸与された「クニマス」5尾が展示されています。

かつて、秋田県の田沢湖に生息したサケ目サケ科の淡水魚。ベニザケの陸封変種で、北海道の阿寒湖(あかんこ)などに生息するヒメマスの亜種または近縁種と考えられている。

体長30cm程度に成長し、黒色の婚姻色を呈する。田沢湖へ酸性河川の玉川の水を導入したことにより、1940年代の初めに絶滅したと考えられていたが、

2010年、山梨県の西湖に生息していることが確認された。かつて、西湖などにクニマスの受精卵が送られた記録があり、この子孫ではないかと考えられている。

クニマスは、田沢湖にのみ生息した固有種で、古くから漁労の対象とされていた。別名「木ノ尻鱒(ます)」とも呼ばれ、田沢湖の辰子(たつこ)姫伝説では、

湖に投じた松明(たいまつ)がクニマスに変じたとされる。「お国の鱒」ということから、江戸時代にはクニマスの名で秋田藩主佐竹義和に献ぜられ、江戸にも移送されたと伝えられる。

明治期末から、田沢湖でクニマスの孵化(ふか)放流事業も試みられていた。1920年代に新種として認められ、学名は紹介者である京都大学の川村多實二教授(当時)の名にちなんで、

Oncorhyncus nerka kawamuraeという。もともと田沢湖は流入河川がほとんどない湖だったが、日中戦争開戦(37年)に伴い、40年に国策として、電源開発と農業用水の確保を目的とした

玉川の強酸性河川水の田沢湖への導水が開始された。以降、田沢湖は酸性化が進み、クニマスを始め、湖に生息する魚類がほぼ死滅するに至った。

このため、環境省のレッドデータブックでもクニマスは絶滅とされていた。95~98年には、田沢湖町(当時)の観光協会が「深湖魚国鱒を探しています」というキャンペーンを

多額の懸賞金を懸けて実施した。今回、西湖で再発見されたクニマスは、地元では「クロマス」と呼ばれ、かねてよりよく知られた魚であり、西湖漁業協同組合もクニマスではないかと、

地元の水産技術センターに持ち込んだことがある。ただ当時の判定ではクニマスと認められず、そのまま長く存在が忘れられていた。

再発見のきっかけは、お魚タレントのさかなクンとして知られる東京海洋大の宮澤正之客員准教授が、京都大の中坊徹次教授の依頼でクニマスの絵を描くための参考に取り寄せたヒメマスのなかに

西湖の「クロマス」があったこと。その特徴などから中坊教授らが精査。遺伝子解析などの結果、ヒメマスとは異なることが明らかになり、クニマスであると確認された(知恵蔵より)

   

 

 

  

約半分の「むらっこ物産館」がハーフ地点。ここで40kmコースと合流します。40kmコースのトップは、歩友「東京のMさん」です。

 

ここでは、お味噌汁の接待を受けました。雨で濡れていましたので温まります。

   

むらっこ物産館で折り返し、「たつこ像」に向かいます。

  

田沢湖のシンボル「たつこ像」です。

たつこ姫伝説

田沢湖が田沢潟と呼ばれていた頃、院内にまれにみる美しい娘、辰子がいた。辰子はその美しさと若さを永久に保ちたいものと、密かに大蔵観音に百日百夜の願いをかけた。

満願の夜に「北に湧く泉の水を飲めば願いがかなうであろう」とお告げがあった。

辰子は、わらびを摘むと言ってひとりで家を出て、院内岳を越え、深い森の道をたどって行くと、苔蒸す岩の間に清い泉があった。喜び、手にすくい飲むと何故かますます喉が渇き、

ついに腹ばいになり泉が枯れるほど飲み続けた。

時が過ぎ、気がつくと辰子は大きな龍になっていた。龍になった辰子は、田沢潟の主となって湖底深くに沈んでいった。 

一方、辰子の母は娘の帰りを案じ、田沢潟のほとりに着き、娘が龍になったのを知って悲しみ、松明にした木の尻(薪)を投げ捨てると、それが魚になって泳いでいった。

後に国鱒と呼ばれ、田沢湖にしか生息しなかった木の尻鱒という(田澤鳩留尊佛菩薩縁起より)

 

  

田沢湖を含む秋田県は、韓国ドラマ「IRIS]のロケ地でした。このたつこ像にも韓国、中国からの観光客が来られていました。

  

瑠璃色の田沢湖です。光の関係で瑠璃色に見えるのでしょうか?

御座石(ござのいし)神社に着きました。ここまで17.5km。雨はまた強くなってきました。

  

御座石神社(ござのいしじんじゃ)という社名は、慶安3年(1650年)に秋田藩主佐竹義隆公が田沢湖を遊覧した際、腰をかけて休んだことに由来します。

朱塗りの鳥居のそばには、1本の木から7種類の木が生えた「七色木(なないろぎ)」や、たつこが飲んで龍となった「潟頭の霊泉」、たつこが姿を映した「鏡石」などの名所もあります。

雨が強いため、遠くから御参りしました。

 

  

あと3km地点になりました。雨は一向にやむ気配がありません。道路には、水たまりができ、通り過ぎる車が水しぶきを上げて走っていきます。

 

  

田沢湖レストハウス近くに戻ってきました。

   

 13:40 ゴールしました。この雨でシューズの中も濡れていました。早くホテルに帰り乾かさねば・・・・

  

今日の歩いたコースです。

 

 

 

 

 

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奥の細道鳥海ツーデーマーチ2日目20km「水と鳥海山麓、自然コース」(山形県遊佐町)

2017-09-09 16:32:29 | オールジャパンウオーキングカップ

9月3日 第25回奥の細道鳥海ツーデーマーチ2日目「水と鳥海山麓、自然コース」20km

今日も酒田発6:33の電車で遊佐に向かいます。2両編成の電車は、今日もウオーカーの方で満員です。

奥の細道鳥海ツーデーマーチ最終日のこの日の20kmコースは、30kコースと同時スタートがOKでしたので、スタートは、7:15です。

   

鳥海山に降る豊富な雨や雪は、遊佐町にたくさんの河川や湧水、井戸水をもたらしています。歩行中「丸勝の水」がありました。

 

 月光川河川公園は、2008年に公開され、日本アカデミー最優秀賞の映画「おくりびと」のロケ地にもなりました。

3kmぐらい歩いたところが、10kとの分岐点です。

   

しばらく歩くと「庄内おばこ発祥の地」の石碑が建っています。

説明板を見ると、「文政年間(1818~1829)の ある晩秋の嵐の夜,冷たい雨に うたれた旅の商人が,疲労して 一軒の農家に一夜の宿をとった。  

たまたま,この家に「梢」とい う娘がおり,板倉を仮の住まい とし,親切に看護したのが縁と なり愛し合うようになりました。 旅の商人が訪れるたびに,二人 は板倉や田んぼの外れで逢う 瀬を楽しんでいましたが,

梢の 両親は旅の商人との恋を許し ませんでした。このことを知った村人たびは

おばこいたかやと 裏の小窓からのぞいてみれば おばこいもぜで 用のない婆さまなど糸車」

とはやすように歌われたのが始 まりと伝えられております。 梢の生家(三郎兵エ)には 囲炉裏をきった板倉が有り ましたが,戦後の改築に逢 って今はない。

※「おばこ」とは、東北地方の方言で「娘さん」の意味。

庄内おばこのyoutubeは、こちら ↓ ↓ ↓

"https://www.youtube.com/embed/mtSKhGJ5NgE"

  

5km地点が30k、20kの分岐点。20kコースは、ここから上り坂になります。

  

金刀比羅神社は、祭神は、事代主命。

古四王(こしおう)神社:自然石をご神体として祀っており、このご神体を運び出して庭石としたところ、家人みんな耳が遠くなり、ご神体を元に戻したら耳が元通りになったという伝説がある。

町内には古四王神社がいくつもあるが、共通することはきかずさまとして呼ばれている。古い木のお椀が耳の形に似ていることからさげており、耳の神として多くの信仰をうけている。

   

 8,1km地点の「杉山比山伝承館」が最初のチェックポイント。この横には、「語り部の館」があります。約300年前(元禄16年)に建てられた平津榊原家(旧大組頭斎藤家)を解体し、

その部材を使って復原した建物です。町指定文化財。

   

杉沢熊野神社に来ました。

杉沢熊野神社には、鳥海山の山伏神楽で比山神楽と呼ばれ、熊野神社が鳥海山で修行する山伏の宿坊として栄えた鎌倉時代から伝わっていると言われています。

地域の住民が連綿と受け継ぎ、衣装、面、小道具なども、その時代時代に修復、新調しながら、ほぼオリジナルの形を継承していると言われています。

趣のある神社の境内で、夕刻からの暗がりの中で舞われる様は、観客を否応なしに幽玄の世界に誘います。国指定重要無形民俗文化財に指定されています。

    

    

   

13,9km地点が昼食会場の四季の森しらい自然館です。四季の森しらい自然館は、鳥海の自然に恵まれた遊佐町白井新田地区の高台にある交流体験型宿泊施設です。

鳥海山や日本海にしずむ夕陽、そして高瀬峡や二ノ滝渓谷などの渓谷美を四季折々楽しめます。キャンプも楽しめます。

ここでは、お吸い物の接待がありました。

   

  

しらい自然館の少し先には、旧庄内藩17代当主酒井忠明氏の歌碑が建っています。藤井新田開村200年を記念してこの地を訪れ、この詩を詠んだそうです。

   鳥海の山より高き 父母の恩忘るべからず 開村200年

   

  

飼料用のお米を栽培している田圃がありました。日本の環境や国土を守っている水田を減らさないよう、また、飼料の自給率を向上し、畜産物の安定供給を図る意味だそうです。

  

  

野沢公民館が最後のチェックポイント。ここまで17,7km。

  

 

道路を見ると、何か、フェンスみたいなものが立っています。これは、冬場地吹雪を遮るためのものです。今は閉じられていますが、地吹雪になると視界が1mぐらいしかなく、

これを下して使うそうです。九州では、見られない光景です。

遊佐高校前を通ると、ゴールの看板が・・・・・

 

11:40 無事ゴールしました。今日の20kmのコースは、実測21,4kmでした。

  

  

これでオールジャパン46県目をクリアしました。オールジャパン完歩まであと1県(秋田)。

 

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奥の細道鳥海ツーデーマーチ1日目20km「緑と庄内砂丘、日本海コース」(山形県遊佐町)

2017-09-08 04:05:41 | オールジャパンウオーキングカップ

9月2日~3日まで山形県飽海(あくみ)郡遊佐(ゆざ)町で行われる「第25回奥の細道鳥海ツーデーマーチ」に参加しました。

宿泊先の酒田市のホテルから6時33分の電車で「遊佐駅」へ。電車の中は、この大会に参加するウオーカーでいっぱいです。

約15分で遊佐駅に到着。ここから会場の遊佐町民体育館まで徒歩で約10分です。

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遊佐町は鳥海山と繋がりの深い地域です。遊佐町には鳥海山山頂の大物忌神社本宮を始め、吹浦口之宮、蕨岡口之宮があり古来から信仰されてきました。特に鳥海山は活火山だった為、

たびたび噴火を繰り返し神の山として考えられ朝廷や幕府などの権力者からも崇敬されました。中世には神仏混合となり多くの修験者が遊佐町周辺に集まり、

杉沢熊野神社では「杉沢比山」と呼ばれる神楽を伝承するなど独自の文化が伝わっています。

又、遊佐町は古くから開けていた地域で、延喜式で記されている「駅」や「吹浦湊」があり出羽国府(城輪柵)と秋田城(秋田市寺内)を結ぶ重要な役割を持っていたと考えられています。

平安時代からは「遊佐荘」と呼ばれる荘園が置かれ延長5年(927)の記録では荘園主に遊佐太郎繁元、繁光の名前が記されています。

その後遊佐荘は平泉(岩手県平泉町)に本拠がある藤原基衛、久安4年(1148)には摂関家である藤原頼長へ所領が変わっています。江戸時代に入ると庄内藩に属し、

秋田から新潟にかけての羽州浜街道が整備されると藩境付近にあった女鹿集落に番所を置いて人や荷物の管理をしました。

松尾芭蕉も「奥の細道」行脚の際、遊佐町を通り象潟へ訪れていて元禄2年6月15日に吹浦に一泊し難所だった三崎峠で難儀したことが曽良日記に記されています。

戊辰戦争では庄内藩は奥羽越列藩同盟に組した為、政府側に回った秋田藩と矢島藩と交戦状態となり三崎峠は戦場となり双方に犠牲者がでています。 (遊佐町の歴史より)

   

会場へ着くと40kmコースの出発式が行われていました。何と「激」は、兵庫県高砂市のIさんが務めれれていました。

 

20kmのスタートは、8:30. 会場では、地元ラジオ局山形放送の方が参加者にインタビューをされていました。写真のこの方の前に、私の家内がインタビューを受けました。

私の風車と「福岡」からの参加ということでレポーターさんの目に入ったのでしょうね。家内は、私が美人だったからと言ってますが、さてさてどうでしょうか????(笑)

  

8時30分 20kmコーススタート。「激」は、地元中学生です。

 

歩いていると鳥海山が見えてきます。

鳥海山は、山形県と秋田県の県境にあって、日本海に面し、標高2,236メートル。またの名を出羽富士とも呼ばれ、山麓周辺の人々の守り神として、古くから崇められてきました。

気象変化は激しく、それだけに四季の彩りも鮮やかで、その自然の変化には目を見張るものがあります。降り積もった雪が豊富な沢水となり、幾条もの谷を刻んで広い山裾に流れ、

御水は水田を潤し稲を育ててきました。人々の生活の背景にはいつも鳥海山があり、信仰の山としての存在も大きく、その姿の美しさとともに心の支えとなっています。(遊佐町HPより)

  

9時20分5km通過。月光川沿いに歩きます。

  

最初のチェックポイントは、「高瀬まちづくりセンター」。給水所のお水は、鳥海山から何年もかけて湧き出た天然水。冷たくておいしかったです。

  

この高瀬まちづくりセンターの横には、「高瀬小学校前の水路はこのようにしてほしい」との思いを一枚の絵に託した一人の女の子の夢が叶えられて実現しました。

これが「美しき童の里」です。

  

田圃に「偶数」、「奇数」と書いた看板がありました。これは、月光川から水を引く日を書いてます。偶数=偶数日、奇数=奇数日。

田圃の中を電車が走っています。いつもは、2両編成なんですが、この電車は、4両編成です。

この日の10kmのコースは、遊佐駅から電車で吹浦(ふくら)駅に行き、そこからスタートします。この電車には、10kmの参加者で満員でしょう。

このあたりから、東京の「とほ娘」さんと一緒に歩きました。とほ娘さんとは、ムーンスターのSNS時代からの仲間です。

   

歩いていると、農家の方が何か用意されています。なんだろうとゆっくり歩いていると、スイカの差し入れでした。(私たちが一番目でした。赤いスイカは黒い種がありませんでした。新品種かな?)

このスイカ非常に甘くおいしいです。有難うございました。

  

羽越本線の踏切を渡ると吹浦です。踏切のすぐ向こう側は、地元の酒蔵「東北泉」です。

  

吹浦の街並みの真ん中あたりに「鳥海山大物忌(おおものいみ)神社吹浦口ノ宮」があります。

創祀は欽明天皇二十五年(1400年以上前)の御代と伝えられています。鳥海山に噴火などの異変が起こると朝廷から奉幣があり鎮祭が行われました。

本社は山頂に鎮座し、麓に「口の宮」と呼ばれる里宮が吹浦と蕨岡の二ヶ所に鎮座しています。御祭神 大物忌大神 月山神。5月5日の例大祭と4日の前夜祭には吹浦田楽が奉納されます。(ウオーキングマップより)

大物忌神社を過ぎたあたりから上り坂になっています。勾配はそんなにきつくないのですが、距離が長いです。

   

左側には、吹浦小学校があります。敷地も広く、造りもモダンで目を引きます。

サンセット十六羅漢の所にきました。ここで10kmコースの人と合流しました。10kmコースは、地元の小学生・保護者が多く参加されているようです。

これから海岸の方に下りていきます。

 

地元遊佐出身「斎藤勇氏」の歌碑があります。  冬来れば 母川回帰の本能に 目覚めて愛し鮭ののぼりくる

意味は、先人たちの長年の人口孵化事業の辛苦のもと、月光川で生をうけた鮭の稚魚が遠く北洋の旅を終えて、母なる川月光川の清流を慕い帰ってくる姿を詠みあげました。

 

十六羅漢岩は、吹浦海禅寺第21代寛海和尚が、日本海の荒波で命を失った漁師諸霊の供養と海上安全を願って、明治元年(1867)、22体の磨岩物を完工しました。

16の羅漢に釈迦牟尼、文殊、普賢の両菩薩、観音、舎利仏、目蓮の像を合わせて22体あります。

  

飛島は、山形県唯一の離島です。酒田市に所属しています。

 

出羽二見岩は、海に浮かぶ二つの並んだ岩に注連縄が張られ、二見ヶ浦になぞらえて出羽二見と呼ばれています。 5月と8月頃に出羽二見の間に夕陽が沈みます。

出羽二見岩の所には、芭蕉の句碑が建っています。 あつみ山や 吹浦かけて 夕涼み

※あつみ山(温海山)は、鶴岡市にある736mの山です。

この句の意味は、ここあつみ山から吹浦(海)を見下ろす。「あつみ山」と名前からして暑さを思わせる山から涼しい風を思わせる吹浦を見下ろすのは、しゃれた夕涼みだ。

     

  

 昼食会場は、西浜キャンプ場。ここでは、アオサの味噌汁が振る舞われました。

ここからゴールまではあと約10km。現在11時ちょうどです。ゴールは13時ごろかな??(寄り道をしなかったら)

  

再び歩き出します。鳥海温泉「遊楽里」の看板が見えてきました。歩友北九州のIさんは、ここに泊まっているそうです。また、FB仲間の埼玉・Oさんもここです。

今度参加するときは、ここを予約しようかな?(Iさんの話では、2月ごろに予約したそうです)

道の駅鳥海「ふらっと」に来ました。Iさんの情報では、店内で肉厚のカレイを焼いて食べさせてくれるそうで、それがおいしいとのこと。

食いしん坊の私たちですのでここは、寄り道をせざるをえません。ただ、ここの国道7号線、横断歩道がありません。仕方なく手を挙げて渡りました。(勿論、停まってくれた車に頭を下げました)

 

お魚の焼ける匂いこれもたまらないですね。カレイは身が厚く、脂ものっていましたのでおいしかった。

 

国道7号線を歩きます。前方には、風力発電用のたくさんの風車があります。このあたりは、風が強いところなんでしょうか?

  

2回目のチェックポイントが十里塚公民館です。ゴールまであと6、2km。現在12時丁度。ゴールは、13時15分ぐらいかな?

  

   

玉龍寺にやってきました。玉龍寺は、天保の国替事件をモデルにした、藤沢周平の「義民が掛ける」の舞台です。

天保の国替事件は、武蔵国川越藩主松平斉典を出羽国庄内へ、庄内藩主酒井忠器を越後国長岡へ、長岡藩主牧野忠雅を川越へ転封しようとしたもの。実現することはなかったが、

数ある三方領知替えの中で最も有名である。

第11代将軍徳川家斉の実子・斉省を養子にとった川越藩主松平斉典が、実高が多く裕福な 庄内藩領地を狙って幕閣に働きかけたものだったが、

庄内藩の士民を挙げた猛烈な抵抗にあい(天保義民事件)、翌年閏1月に家斉が没すると諸大名の間でもこの問題に対する不満が高まった。

同年7月に12代将軍徳川家慶の「天意人望」に従うとする判断によって沙汰やみになった

  

  

13:20 スタート会場の遊佐町民体育館にゴールしました。距離は、20kmでなく、22,9kmでした。

 

    

 

このあと、16:00からのウオーカーの集いに参加しますのでそれまで会場内を見て回りました。

 

 

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第17回SUN-IN未来ウオーク2日目22km(鳥取県倉吉市)

2017-06-15 19:45:41 | オールジャパンウオーキングカップ

6/4(日)SUN-IN未来ウオーク2日目22km。「八幡往来・名探偵コナンコース」です。

倉吉パークスクエアから、シャトルバスで琴浦町役場に移動し、パークスクエアに戻るコースです。

  

   

8:30琴浦町役場前をスタート。琴浦町は、2004年、東伯町と赤碕町が合併してできた町です。

右側には、山陰のランドマーク「大山」が見えました

 

コースは、方見神社を通り、加勢蛇川に架かる宮橋に出ます。ここからは、日本海が見えてきます。

 

 

今歩いているコースは、昔「八橋(やばし)往来」と言って伯耆(ほうき)国の中心であった倉吉と出城があった八橋とを結ぶ奈良時代からの街道でした。

かの伊能忠敬もこの街道を実測しており当時の道筋が200年経った今でも残っています。伝馬跡、宿場跡等が現存しています。

  

この先には、「斉尾廃寺跡」があります。

奈良前期・白鳳時代の寺院跡で、法隆寺式伽藍配置をとった山陰で唯一の国指定特別史跡。東西160m南北250mの土地に

塔・金堂・講堂・中門・回廊・土堀の跡があり、基壇・礎石が当時の面影をしのばせます。金堂跡の周辺で多くの塑像片が出土

(琴浦町歴史民俗資料館蔵)し、その中に丈六の仏像と小さな塑像があり、金堂に安置されていたものと思われます。

仏頭は、高さが14cmと小さく表情は優雅で優しさをもつ小塑像で原品は、京都国立博物館に所蔵されています。(琴浦町HPより)

 

 

「鳥取芝発祥地」の石碑が建っています。鳥取県は、全国でも有数の芝の産地。1958年(昭和33年)にここ琴浦町で栽培されました。

 

鳥取県の日本海側は、風が強いからでしょうか、風力発電用の風車が建っています。

コースは、北栄町に入りました。北栄町は、2005年北条町と大栄町が合併してできました。

  

北栄町は、スイカの産地です。ビニールハウスには、出荷待ちのスイカがありました。マンホールにもスイカがデザインされています。

  

北栄町は「名探偵コナン」の作者「青山剛昌さん」の生誕地です。北栄町は、コナンで町おこしです。

  

由良駅は「コナン駅」

 

  

北栄町のスイカのオブジェもありました。

 

北栄町の由良は、江戸期には山陰道(伯耆街道)が東西に通り、伯耆街道より八橋で分岐して倉吉に向かう八橋往来も通る交通の要衝であり、

享保17年(1732)から宿駅に指定された。

由良が大きく発展したのは享保4年(1719)に由良宿内に藩蔵が建設されたことによる。藩主池田氏は由良が水陸交通の要地であることに着目し、

由良川左岸の微高地(現JR由良駅北方の海岸まで400m程のところ)に年貢米2200俵格納可能な13棟もの藩蔵を建築した。

藩蔵は東西50間・南北34間という大きなもので、これにより由良は港町・宿場町として大きく発展するのである。

藩蔵は明治4年まで約160年間も使用された。

伯耆街道を荷車が通れる広さに拡張整備し、藩蔵周辺の道路も整備して問屋や住民の移住を促し、蔵役人も移り住んできた。

寛永9年(1632)家数21・人数146、元文2年(1737)村分帳では家数90余り、明和4年(1767)家数144、天保11年(1840)240、

文久3年(1863)組合帳では243戸となり、江戸時代を通じて港町・宿場町として賑わっていた。

藩蔵正面から伸びる広い道を本町通りとし、そこに御蔵役人や米問屋が軒を並べ、年貢米の廻船業者も集住して在町の発達を促した。

そして天保初期から由良川水路開削が行われ、川船の運航を便利にし、藩蔵の所在地と宿駅であることも相まって、各地の物産の集散地となり

在町としても賑わいを見せ、鍛冶屋・紺屋・米屋・運送屋などもいた。(中国地方の古い町並みより抜粋)

 

また、由良には、「由良台場跡」がありました。江戸末期、文化5年(1808)のフェートン号事件、安政8年(1825)の異国船打払令など

諸外国との緊張が高まる中、沿岸警備のため築造されました。その設置場所も鳥取県海岸線東西160km(40里)の内、重要港湾を控えた

八か所(浦富、浜坂、賀露、橋津、由良、赤碕、境)に築造されました。

 

お台場公園を過ぎると「青山剛昌ふるさと館」があります。中に入ってみると、名探偵コナンのグッズでいっぱいです。

 

 

北栄町は、「長芋」の生産でも有名です。畑では、長芋の植え付け作業が行われていました。

 

 

コナン大橋を渡り、まっすぐ行くと「北栄町役場」です。

 

役場の横には、「豊田父子頌徳碑」があります。豊田太蔵(たぞう)、豊田収(おさむ)さん父子で、太蔵さんは、安政3年5月9日生まれ。

鳥取県会議員をつとめ,明治39年生地の鳥取県由良村(大栄町)に育英黌(いくえいこう)を創立。私財を投じて学校経営にあたり,

現在の県立由良育英高の基礎をつくりました。息子の収さんは、衆議院議員を6期務め、政務の傍ら、郷土における有為な人材育成を忘れず、

私学経営のみならず、各種育英、奨学事業に一生を捧げました。

由良育英高校は、2003年、赤碕高校と統合し、「鳥取県立鳥取中央育英高校」と名称が変わりました。

頌徳碑には、鳥取県知事石破二朗の名がありますが、現自民党の石破茂氏のお父上です。

   

六尾反射炉跡に立ち寄り再び先に進みます。この辺りの田んぼは、もう田植えが終わっています。お米は、「きぬむすめ」かな?

 

歩いていると子供たちが待っています。コナンのせんべいのお接待です。ちゃんとコナンの印も入っており、おいしかったです。

  

 

チェックポイントは、灘手公民館です。ここまで15,2km。接待では、メロンが振る舞われました。

  

和田橋、出口橋を渡ると倉吉の市街地です。

 

倉吉淀屋は、倉吉に現存する最古の町屋建物です。「淀屋」は、倉吉を代表する商家で、淀屋橋で有名な大阪の豪商「淀屋」と密接な関係を

持っていたといわれています。大都会大阪の中心に架かる「淀屋橋」の名前の元となった天下の豪商「淀屋辰五郎」は五代目のときに、

闕所・大坂処払いの極刑を受けて没落。しかしながら、先代の番頭であった「牧田仁右衛門」の徹底した陰働きによって、

「淀屋」は再興したのですが、実はこの「牧田仁右衛門」が、倉吉の出身で稲扱き千刃の発展普及に深く関与し、倉吉と大坂の橋渡しをし、

倉吉の産業発展の礎となった「淀屋清兵衛」の元祖だったのです。

 

河村郡は明治時代の呼び名、それから久米郡~東伯郡になり、倉吉市になりました。

豊田家住宅は、久米郡倉吉驛だった施設でした。驛とは街道に設けられ,宿泊施設・馬・舟・人夫その他を供給した場所のことで、

うまやとも言われます。なおこの豊田家は代々呉服屋だったそうです。

  

コースは、弁天参道を左折します。その先が「大連寺」。大連寺は、豪商淀屋清兵衛歴代の墓や武将脇屋義助所縁の寺として知られています。

 

倉吉のシンボル「白壁土蔵群」です。江戸、明治期に建てられたものです。

 

 

クラカフェが給水所です。冷たい胡瓜が出されました。ちょっと塩味でおいしくて塩分は控えなくてはいけませんが、2本いただきました。

 

滝沢馬琴「南総里見八犬伝」のモデルと伝われている、房総里見十代里見安房守忠義の無念の想い、江戸時代の初め頃、

幕府の陰謀によって国替となった里見忠義主従と8人の家臣は、ここ倉吉の地で終焉、東町にある古刹「大岳院」に静かに眠っています。

 

53代横綱琴桜(佐渡ヶ嶽親方)は、ここ倉吉の出身です。琴桜記念館もありました。

 

 

 大江磐代君誕生の地

倉吉の町娘“りん”と鳥取池田藩の家老荒尾志摩守の家臣“岩室常右衛門”との間に生まれた“つる”は、第119代光格天皇(明治天皇の曽祖父)の

御生母“大江磐代”なのです。   つる女9歳の時、父親とともに京の都へ上り、当時の女性として一流の教養・行儀作法を身につけ、

閑院宮家へ奉公。閑院宮典仁親王の目に留まり、後の光格天皇・祐宮師仁親王を生むことになりました。

  

13:08 2日目ゴールしました。2日目のコースは見どころがいっぱいで寄り道ばかりしましたので予定時間より遅くのゴールです。

 

ゴールすると、白バラ牛乳、ノンアルコールビールなどが配られました。

2日間の参加者は、約2700人でした。

   

ゴール後、本日の宿泊地、岡山・蒜山(ひるぜん)高原に向かいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

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第17回SUN-IN未来ウオーク1日目22km(鳥取県倉吉市)

2017-06-07 17:50:22 | オールジャパンウオーキングカップ

6/3~6/4 鳥取県倉吉市で行われた「第17回SUN-IN未来ウオーク」に参加しました。

倉吉市を含む鳥取県中部地方は、昨年(2016年)10月21日、M6,6、最大震度6弱の鳥取県中部地震が発生しました。町を歩いていると、まだブルーシートで覆われた家が見られます。

今回の未来ウオークは、鳥取県中部地震復興祈念ウオークと称された大会です。

会場は、倉吉パークスクエア。来賓には、スキーで金メダルの萩原健司さんが来られていました。

       

9:00 22kmコーススタート。22kmコースは、天神川沿いに歩き、はわい温泉、東郷温泉を有する東郷湖畔、中国庭園「燕趙園」を通り、途中、伊能忠敬が訪れた「八橋往来」の現存する道を歩きます。

   

会場を出ると、すぐ旧JR倉吉線跡地を歩きます。JR倉吉線は、倉吉~関金の山守駅までの20kmの区間でした。1985年(昭和60年)に廃止されました。

 

天神川の倉吉大橋を渡り、コースは、天神川沿いの側道を歩きます。

  

東伯郡湯梨浜町に入りました。湯梨浜町は、2004年(平成16年)、羽合町、泊村、東郷町の3町村が合併して出来た町です。

温泉(湯)、二十世紀梨(梨)、砂浜(浜)とそれぞれの町の特徴を取って付けられたそうです。

湯梨浜町のマンホールは、梨、温泉、グランドゴルフ、海水浴がデザインされています。グランドゴルフは、旧泊村が発祥地だそうです。

   

田後区集会所の所に「道標」がありました。右、よなご、左、くらよし、東、一の宮?、北、とっとり、南、おかやま。ここは、「八橋(やばし)街道」だったのでしょうか?

コースは、東郷湖に向かいます。(旧東郷町)

    

東郷湖は、周囲12kmの汽水湖で、池の中央から温泉がわき出るという全国でも珍しい湖です。湖畔には、羽合(はわい)温泉、東郷温泉があります。また、ヤマトシジミの産地でもあります。

  

  

更に進むと、中国庭園を有する「燕趙園(えんちょうえん)」があります。これは、鳥取県と中国河北省の友好のシンボルとして平成7年(1995)に建設されました。

 

 

 

四ツ手網は、網(一辺9m)の四隅に竹を張り湖岸の小屋から滑車で上げ下ろしが出来ます。目の細かい網を使い、エビやシラウオの漁をしていましたが、昨年の地震でいくつかの網が壊れたそうです。

    

松崎の所が折り返し地点です。これから松崎の町に向かいます。

  

しばらく歩くと松崎駅の手前が商店街になっています。ここでは、角を生やした女性軍が迎えてくれました。まるで鬼が島に来た感覚です。

商店街のご婦人達がもう一度活性化しようと「鬼が島プロジェクト」を立ち上げました。この女性軍を「鬼嫁」と呼ぶそうです。角が1本の女性は、鬼嫁予備軍だそうです。

鳥取県は、羽衣伝説の地でもありますし、「天女と鬼嫁」実にすばらしい組み合わせですね。(笑)

  

ここがチェックポイントになっており、お接待で東郷湖のシジミ汁が振る舞われました。

  

この松崎で13,8km。ゴールまであと9kmです。再び歩き出します。

 

北山古墳は、全長110m、後円部径70mの山陰地方最大の前方後円墳です。

羽衣石城は南条貞宗によって築かれた城です。「関ケ原の戦い」で西軍に味方しために領地没収となり廃城となるまでの約250年間、南条氏の拠点となっていました。

現在は山頂の本丸跡に模擬天守と「羽衣石城主南条公累代碑」が建てられています。

  

倉吉市に帰ってきました。天神川に架かる竹田橋を渡り、川沿いを歩きます。

  

倉吉東高校の所から会場の倉敷パークスクエアに向かいます。ゴールでは、スタッフの方が笑顔で迎えてくれました。

   

13:22 ゴール!距離は、22、8kmでした。

翌日(6/4)地元紙日本海新聞には、私達の写真が掲載されました。

6/3(土)のGPSです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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